紀元前1千年紀、大国にスルーされ続けたためにマイナー扱いのアラビア半島について
アラビア半島の古代文明、というと、一体何を思い浮かべるだろうか。遺跡に興味のある人でさえ、いいとこヨルダンのペトラ遺跡とか、ナバテア人(ナバタイ人)の遺跡、あるいは古代のメソポタミアとの関連でディルムンくらいではないだろうか。ムハンマドが出現して、イスラム教とテスラム帝国が拡大していく時代まで、アラビア半島は歴史ジャンルの中ではマイナーだし、「オリエント」世界の歴史としても周辺扱いである。
しかし実際には、紀元前1千年紀にも様々な国家が繁栄しており、主流の歴史に関わっているところもある。
という話をしたい。
まずは前提なのだが、アラビア半島はぜんぶ砂漠なわけではない。
海沿いのヒジャーズと呼ばれる地域はそれなりの大きな街があり、古くから栄えている。また南の、現在のイエメンがある辺りはいわゆる「香料の道」の起点となっている。この辺りは古代世界では経済的に豊かな地域に入る。

にも関わらず、紀元前1千年紀の大国たちは、だいたいここスルーしている…。
帝国期のアッシリアの最大版図がこれ。なかなかのスルーっぷり。むしろ、ここは飛ばしてエジプトまで遠路はるばる遠征している。(そして短期間だけ支配して撤退している)
※出典元「アッシリア全史」中公新書

アッシリアは、敵としてアラブ人勢力を数えていて、紀元前853年の反乱連合軍との戦いではアラブのラクダ隊とも交戦したという。ラクダ騎兵の壁画もある。でも支配対象にはなっていない。

ちなみに、紀元前8世紀頃のアラビア半島に栄えた国として知られるのは、サバァ、アウサーン、カタバーン、ハドラマウトである。
サバァはシェバとも言われ、シバの女王伝説の名前の元になっている。決してマイナーではないと思うのだが、メソポタミアの歴史と繋げて語られることは滅多に無い。
続いて、新バビロニア。この国はギリでメディーナの街あたりまで支配している。
しかしこの大国もいちばん繁栄している部分までは立ち入らず、境界碑を置いてそれ以上先へは進まなかった。新バビロニア自体がこの直後に滅亡してしまうというのもあるだろうが、エジプトまで行っておきながらアラビア半島はスルーしているあたり、やはり意図的なものを感じる。
サウジアラビア北部で新バビロニア最後の王ナボニドスの碑文が見つかる。(解読中)
https://55096962.seesaa.net/article/202107article_23.html

こうなった理由は分かる。
紀元前1千年紀のアラビア半島は氏族社会であり、複数の国が成立しており、まとまった政権が無い。エジプトみたいに中央政府をぶっ叩けば領域で支配できるわけではなく、一つの部族を支配下に置いても残りの部族が襲ってくるとかいう状況なので支配に時間がかかる&コスパが悪い。
そして、地中海世界に比べると、アラビア半島は文明的に後発組であり、ラクダとかいうよくわかんないケダモノに乗った蛮族、くらいの認識だったのかもしれない。
ただ、文明としてはすでに萌芽が存在し、独自文化もあるのは間違いない。にもかかわらず、同時代の大国たちの歴史にほとんど絡まないために、エジプト本を読んでも、バビロニアやアッシリア、メソポタミアの本を読んでも、アラビア半島の歴史は全然出てこないのである。
結果として、南アラビアの遺物にたどり着くには、ジャンル違いのイスラム教の歴史とか、サウジアラビアかイエメンの単体での歴史本を読まないといけなくなるのである…。
イスタンブールで見た像の正体。まさかの南アラビアだった
https://55096962.seesaa.net/article/500356257.html
この像を見て、「紀元前1千年紀のアラビア半島南部の遺物だ」と分かる人は、果たしてどのくらいいるだろうか。私はサッパリわからず、最初に博物館で見かけてから10年後にたまたま資料を見つけて「あーー!」ってなったものである。
ヨルダンのナバテア人の遺物とは違う。似ているのはエチオピアで見かけた像。
メソポタミアとエジプトをごっちゃにしてまぶしたような雰囲気があるので、両者の周辺のどこかだろうなとは思っていたが、アラビア半島という発想がでてこなかったのだ。というか、そこにオリエント世界の影響を受けた周辺文明があることすら認識していなかった。
「周辺」と呼ばれる文明は、単体で本が出ることもなく、キャッチーな名前やイメージも無いため認識から零れ落ちてしまう。
だが事実として、アラブ人は新アッシリアや新バビロニアの栄えていた時代から既に独自文化は持っているし、ごく一部とはいえ歴史に絡んでいる。そのことは強調しておきたい。
ちなみにこの状況は、アラビア半島の大部分を占めるサウジアラビアが、近年まで「古代」に注意を向けてこなかったのも原因の一つである。
イスラーム以前の歴史はあまり研究されず、ないがしろに近い状態だった。その状況が変わり、外国の発掘隊なども入るようになって、イスラーム以前の歴史や文化が明らかになりつつある。
砂漠の地上絵に関する研究も、その一つだ。
サウジアラビア~ヨルダンの砂漠に作られた「デザート・カイト」、設計図ありだった
https://55096962.seesaa.net/article/499396716.html
サウジアラビアの「地上絵」、水源から水源へ向かう通路上に設置された「葬送の道」だった可能性が示唆される
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_16.html
サウジアラビアの謎の「地上絵」のうち、長方形のものについて続報が出たぞ! というわけで
https://55096962.seesaa.net/article/202105article_5.html
本来は、人が住み始めた最初の時点から現代に至るまでの歴史を順番に追いかけて、文化の編年を作っていくべきなのだろうが、現在はあいだの時代が何箇所か抜けているという状態なのだと思う。南アラビアを中心とした視点でメソポタミアやエジプトといった北方の大国を眺める歴史も、面白いと思うのだが。
しかし実際には、紀元前1千年紀にも様々な国家が繁栄しており、主流の歴史に関わっているところもある。
という話をしたい。
まずは前提なのだが、アラビア半島はぜんぶ砂漠なわけではない。
海沿いのヒジャーズと呼ばれる地域はそれなりの大きな街があり、古くから栄えている。また南の、現在のイエメンがある辺りはいわゆる「香料の道」の起点となっている。この辺りは古代世界では経済的に豊かな地域に入る。
にも関わらず、紀元前1千年紀の大国たちは、だいたいここスルーしている…。
帝国期のアッシリアの最大版図がこれ。なかなかのスルーっぷり。むしろ、ここは飛ばしてエジプトまで遠路はるばる遠征している。(そして短期間だけ支配して撤退している)
※出典元「アッシリア全史」中公新書
アッシリアは、敵としてアラブ人勢力を数えていて、紀元前853年の反乱連合軍との戦いではアラブのラクダ隊とも交戦したという。ラクダ騎兵の壁画もある。でも支配対象にはなっていない。
ちなみに、紀元前8世紀頃のアラビア半島に栄えた国として知られるのは、サバァ、アウサーン、カタバーン、ハドラマウトである。
サバァはシェバとも言われ、シバの女王伝説の名前の元になっている。決してマイナーではないと思うのだが、メソポタミアの歴史と繋げて語られることは滅多に無い。
続いて、新バビロニア。この国はギリでメディーナの街あたりまで支配している。
しかしこの大国もいちばん繁栄している部分までは立ち入らず、境界碑を置いてそれ以上先へは進まなかった。新バビロニア自体がこの直後に滅亡してしまうというのもあるだろうが、エジプトまで行っておきながらアラビア半島はスルーしているあたり、やはり意図的なものを感じる。
サウジアラビア北部で新バビロニア最後の王ナボニドスの碑文が見つかる。(解読中)
https://55096962.seesaa.net/article/202107article_23.html
こうなった理由は分かる。
紀元前1千年紀のアラビア半島は氏族社会であり、複数の国が成立しており、まとまった政権が無い。エジプトみたいに中央政府をぶっ叩けば領域で支配できるわけではなく、一つの部族を支配下に置いても残りの部族が襲ってくるとかいう状況なので支配に時間がかかる&コスパが悪い。
そして、地中海世界に比べると、アラビア半島は文明的に後発組であり、ラクダとかいうよくわかんないケダモノに乗った蛮族、くらいの認識だったのかもしれない。
ただ、文明としてはすでに萌芽が存在し、独自文化もあるのは間違いない。にもかかわらず、同時代の大国たちの歴史にほとんど絡まないために、エジプト本を読んでも、バビロニアやアッシリア、メソポタミアの本を読んでも、アラビア半島の歴史は全然出てこないのである。
結果として、南アラビアの遺物にたどり着くには、ジャンル違いのイスラム教の歴史とか、サウジアラビアかイエメンの単体での歴史本を読まないといけなくなるのである…。
イスタンブールで見た像の正体。まさかの南アラビアだった
https://55096962.seesaa.net/article/500356257.html
この像を見て、「紀元前1千年紀のアラビア半島南部の遺物だ」と分かる人は、果たしてどのくらいいるだろうか。私はサッパリわからず、最初に博物館で見かけてから10年後にたまたま資料を見つけて「あーー!」ってなったものである。
ヨルダンのナバテア人の遺物とは違う。似ているのはエチオピアで見かけた像。
メソポタミアとエジプトをごっちゃにしてまぶしたような雰囲気があるので、両者の周辺のどこかだろうなとは思っていたが、アラビア半島という発想がでてこなかったのだ。というか、そこにオリエント世界の影響を受けた周辺文明があることすら認識していなかった。
「周辺」と呼ばれる文明は、単体で本が出ることもなく、キャッチーな名前やイメージも無いため認識から零れ落ちてしまう。
だが事実として、アラブ人は新アッシリアや新バビロニアの栄えていた時代から既に独自文化は持っているし、ごく一部とはいえ歴史に絡んでいる。そのことは強調しておきたい。
ちなみにこの状況は、アラビア半島の大部分を占めるサウジアラビアが、近年まで「古代」に注意を向けてこなかったのも原因の一つである。
イスラーム以前の歴史はあまり研究されず、ないがしろに近い状態だった。その状況が変わり、外国の発掘隊なども入るようになって、イスラーム以前の歴史や文化が明らかになりつつある。
砂漠の地上絵に関する研究も、その一つだ。
サウジアラビア~ヨルダンの砂漠に作られた「デザート・カイト」、設計図ありだった
https://55096962.seesaa.net/article/499396716.html
サウジアラビアの「地上絵」、水源から水源へ向かう通路上に設置された「葬送の道」だった可能性が示唆される
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_16.html
サウジアラビアの謎の「地上絵」のうち、長方形のものについて続報が出たぞ! というわけで
https://55096962.seesaa.net/article/202105article_5.html
本来は、人が住み始めた最初の時点から現代に至るまでの歴史を順番に追いかけて、文化の編年を作っていくべきなのだろうが、現在はあいだの時代が何箇所か抜けているという状態なのだと思う。南アラビアを中心とした視点でメソポタミアやエジプトといった北方の大国を眺める歴史も、面白いと思うのだが。