伝統はいつから伝統になったのか。「女人禁制」の本を読んでみた

宗教コーナーの本だらだら見てたらなんかあったので読んでみた。山の「女人禁制」、今ではほとんど無くなった習慣である。
世界各地を見ても、宗教の場を男性のみ(または女性のみ)、もしくは「未婚の男性」「神官と子ども」などレギュレーションをもうけるケースは少なくない。キリスト教の修道士と修道女が別々の場所で修行しているのなどは、よく知られている事例である。日本の場合も、山や寺を聖地と設定し、男性限定の修行の場としてきた伝統がある。

女人禁制 (講談社学術文庫) - 鈴木正崇
女人禁制 (講談社学術文庫) - 鈴木正崇

内容はだいたい知ってるものだったのだが、面白いなと思ったのは「山の民」と「平地の民」という区分で、山の神の信仰する聖域としての山と、平地の民が信仰する神の降りてくる場所としての山の認識には相違がありそうだということだ。
女人禁制の伝統の多くは、理由づけとして「血の穢れ」「不浄」を挙げる。月経や産褥による血である。
しかし山の女神は自ら山の中で出産したり、女性たちのお産を手伝うこともあるという。そもそも獣を狩って殺して食うには血を流すのは必然なので、山の民の信仰する山の女神は、血を穢れとはしないらしい。

山の神様は、女神とされることが多い。「山の女神は醜いので女性が入ると嫉妬する」という女人禁制の理由づけがなされることもある。
が、血を穢れとは思わず、むしろ血みどろになりながら生命を循環させる「美人な女神」も山の民の信仰対象として存在した、というのは、なるほどなあと思った。狩猟民と農耕民の意識の違いというか、山を生活の場をしている人々と、仰ぎ見ながらもたまにしか訪れない人々の感覚の差が、山という聖域の理解の中に二重に重なっている。

農耕が主流となって以降、近代に近づくに従って、山の民は姿を消し、人々は「平地の民」になっていく。その過程で、平地の民の信仰が山の民の信仰をのっとる形で上書きしていった部分もあったのかもしれない。


あと、女性の不浄に関しては、仏教の「女人5つの障りあり」の考え方、女性は極楽に行けないという思想から、神道に対して仏教が優勢になる過程で生み出された新しい伝統という説もあった。山に籠もって修行するのは基本的に男性のみ、女性は汚れた存在なのでその邪魔をしてはいけない。という、これについてはまあ、ちょっと差別的な考え方と言えなくもないが、それを言うならアダムの肋骨から女を作って従属させている創世記もどっこいどっこいな話なので、これも別に日本に限った話ではない。

ただ、仏教が入ってくる以前の日本古来の宗教では、神託にしろ神事にしろ、「ヒコ」「ヒメ」という男女一対の神職が役割分担していたようなので、最も古い伝統に従えば、男子禁制の聖域と、女子禁制の聖域の2つが設定されるのが自然だったのだろう。



と、本の内容について書いてきたが、山岳信仰としての自分の体験から少し別視点の補足をしておきたい。
実際に女人結界の残る山に登ってみたことがある。そういう山は、最初から「女坂」「男坂」と道が分かれていて、女性は女坂のほうから登る。で、山の途中に女性専用の寺社がある。
そう、今では観光地となっている高尾山も、かつては女人結界のあった山の一つなのだ。

で、道が分かれている場合、キツいのは例外なく男坂のほうである。男坂から女人禁制の本殿、または山の奥のほうにある奥の院などに詣でることはできるが、体力的にはなかなかハード。なので、道が整備されておらず、街灯や道案内の地図なども無かったような昔は、案内人と一緒に山に登るのが一般的だった。

山は修行の場である。男性には強制的に修行を、祈りに値する心身を要求している。
女人結界のある山では、女性は結界の手前までしか入れない代わり、手前の楽なところにあるお社で祈願できる。
つまりこれは、見ようによっては女性優遇であり、修行しなくてもお話聞いて上げるよ…という配慮とも取れる。

まあ嘘だと思うんなら、実際に登ってみればいいです…
ふもとから普通に歩いて登る場合、体そんなに鍛えてない人や病気の人、高齢者、体に不自由のある人などは、願掛けしようにも、そもそも祈りの場にすらたどり着けないですよ、山の聖域…。高尾山ですらヘバってる人かなりいるので…。

女人禁制/女人結界が敷かれた理由や時代は、山によって違うのだろう。
ただ、かつての女人結界の名残りだった石碑を各地で眺めて、かつての参道を歩いてきて思う。「女性用の道は歩きやすいし登りやすい」。そして、女性用の祈りの場には、桜や紅葉など見栄えのいい古樹が生えていることが多く、子授け地蔵など女性的な信仰遺物の多いこともあいまって、どこか女性的な優しさを感じられる場所になっていた。

単に山の聖域をバッサリと男女に切り分けたのではなく、そこには、山を知っている人の意図が感じられる。
禁が解かれ、男性が女坂を登っても良くなり、女性が禁足地まで踏み込んでも良くなったのは時代の流れとして必要な変化だったにしても、過去の信仰のあり方も、それはそれで意味のあるものだったと思うのだ。