エジプトの墓は盗掘より近所の住民の活動で破壊されることが多い。最近修復されたアトリビスの墓から

エジプト中部、ソハーグ近郊アトリビスにある紀元後2世紀(ローマ支配時代)の墓が修復されて公開されるようになりましたーというニュースが流れていた。
そんなニュースちまちま出してるより早く大エジプト博物館の正式オープン日出せよ…という気持ちもあるのだが、まあ、まあ。

Sohag's 1,800-year-old Tomb of the Towers reopens to public after restoration
https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/40/549512/Antiquities/Ancient-Egypt/Sohag;s-,yearold-Tomb-of-the-Towers-reopens-to-pub.aspx

この墓は王墓ではなく庶民のもので、イプ・パマニとパ・メヒトという兄弟の墓とされる。両親の名前はホル・ネフェルとタシュレト・ホル・セジェム。時代的には移民も多い頃だが、両親や本人の名前がエジプト名なのでおそらく土着エジプト人のものかと思う。墓は昔から開かれており、状態もあまり良くない。棺や遺物などは残されていない。最初の発掘者は大御所、フリンダース・ピートリである。

あまり広くはなすが、黄道十二宮の天井で知られる墓なので、それをウリにするらしい。
わざわざ状態の悪いこの墓を修復して公開したのは、中部エジプトにはあまり目玉となる観光地がないので、地元のお金落とさせるために見どころを増やそうとしてるんだろうな…。


で、写真が何枚かついているのだが、注目するのは最後の二枚である。

sfgg8.png

だいぶ傷んでいるのだが、壁についたススのようなものを取っているのが判るだろうか。
これ、実は煮炊きの後なのである。エジプトの墓、ちょうどいい横穴なので貧しい人たちの家になったり、近所の人の別室になったりしがち。近代の集落に近い岩窟墓は大抵、煮炊きのスス跡の跡や生活痕が残されている。

王家の谷のような、集落から離れたヘンピなところにある墓は生活する人がいないのでススの跡はつかないが、キリスト教徒が祈りの場に使って十字架刻まれてることとかはある。

そして落書きの多さ…アラビア語とアルファベット。この落書きの多さもまたエジプトの遺跡のひとつの特徴。
この墓は百五十年以上前から開かれていたことが分かっているので、保護されるようになる前にやって来た観光客たちが書いていったものだろう。
落書きは大ピラミッドやルクソール神殿のような有名遺跡ですら消しきれずにあちこち残っているくらいなのだ。観光国として長い歴史を持つエジプトならではの苦悩、と言えるだろう。落書きがないのは、最近になってはじめて発見され、きちんと管理が行き届いているところくらいなのだ。(最近発見されても管理されてなくて落書きされてるところはある…)

この落書きもまた、遺跡と同じくエジプトの「歴史」の一部と言えるのかもしれない。


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なおアトリビスといえば、近年では以下のような発見があった場所でもある。

アトリビスは、カイロとルクソールの中間くらいにあって、東京と京都・大阪で例えるなら名古屋ポジジョンなんすよ。どっちからも微妙に生きづらいし、飛行機でいけないからカイロから長距離バスか、ルクソールから送迎頼むか、あとは時間かかるけど船とか…。
一ヶ月くらいエジプト周遊する富豪で、一泊する気合いくらいないと人来ない気がする。「これ絶対見たい!」というものがないと、なかなか観光客呼びづらいとは思うんですよねー。


中部エジプト・ソハーグ(アトリビス神殿)の未発掘エリアから神殿が追加で発見される。内ゲバ時代の神殿だぁ!
https://55096962.seesaa.net/article/505819380.html

古代人の落書きコレクション。アトリビスの寺子屋から大量のオストラカが発見される
https://55096962.seesaa.net/article/202202article_3.html