「トルコで5千年前の巨大建造物を発見!」→重要なのは年代ではなく「文明の起源に関わる内容」の部分
以下のようなニュースが流れていて「?? なんで今それ流すの」と思っていた。
ここはだいぶ前からノートルダム清心女子大学の発掘隊が掘ってて、内容的にも今年の春の報告会でもう出ていたものだった。なので「新発見ですごいもの見つけたで!」よりは「各方面の専門の研究者にも頭出し終わったんで、今までうっすら言われてきた説の強力な証拠として使ってよさそう。」くらいのニュアンスなのかなと思った。
というわけで、ニュース記事だけだとイマイチわからん背景情報の部分とかを補足していきたい。
トルコで5千年前の巨大建造物か 直径100mの円形の可能性も
https://news.yahoo.co.jp/articles/8fc73dbae008500b66fd759e982b06630e997cd2

今年の春の発掘報告会ででてた内容
中央アナトリアにおける銅石器時代解明へ向けて
─キュルテペ遺跡中央トレンチ発掘調査(2024 年)─
http://jswaa.org/wp/wp-content/uploads/2025/02/c97a9646dfe0ed2fa2ff4a51cea0206f.pdf

中の人のメモ
今年もちょっと聞きに行ってきた。第32回西アジア発掘調査報告会(1日目)メモ
https://55096962.seesaa.net/article/512356092.html
何度も言っているが、このテのニュースは、なんも分かってない記者が書いた一般ニュースサイトよりは、大元のプレスリリースを見るのがいちばん手っ取り早い。というか大元に書かれている内容の重要なところが削ぎ落とされて丸められてしまったものが外部の一般ニュースサイトに出回っているものなのだ。
プレスリリースは以下。
都市出現期の巨大円形建造物か? トルコ共和国キュルテペ遺跡発掘調査から
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000132419.html

これを読むと、研究者が強調したい部分は見えてくる。
約5,000年前という年代自体には、あまり重要性はない。
その時期は、メソポタミア文明、エジプト文明の萌芽が芽生え、両文明ともに初期の都市が成立していく時期に当たる。なので、地理的に近いトルコ南部でも同時期に都市が発生していたこと自体はオーパーツ的な話でもなく歴史の文脈的には妥当。
重要なのは、都市国家・都市文明の起源は実はトルコ南部にもあるのでは? という部分。
より正確に言うと、メソポタミアで都市が発展するのと同時期に、このトルコ南部でも同時並行で個別に都市プランが発展していた可能性がある、ということ。
古さだけから言うと、むしろ都市の本場はトルコ南部で、ここで成立した都市のマスタープランが川を下ってメソポタミアでカスタマイズされた可能性すらある。
これは最近出てきたトレンドで、要するに、「文明はオリエントに始まる」のオリエントがメソポタミアから、川を遡った現在のトルコ南部/シリア国境付近になる可能性があるということだ。
今回の報告にあるキュルテペ遺跡の近くには、ギョベックリ・テペという1万年前くらいまで遡るさらに古い遺跡がある。
だが、ギョベックリ・テペは都市とは呼ばれない。単純に人が集まって無秩序に住み始めた結果、巨大化した…という感じがある遺跡である。
最古の都市と呼ばれるのは、少し北のほうにある「チャタル・ホユック」だが、この遺跡も都市としては作りが未熟で、疫病などが蔓延して放棄されたのでは? と言われている。
「都市」というのも、実はテクロノジーの一種なのだ。人が密集して暮らすために必要な公共ルールや公衆衛生の技術の集合体。
円形に街を作るとか、中心部に重要な建物を集めて大通りを設定するとか、街の周囲に城壁を作るとかいう作り方だと、最初から都市を作るつもりで都市計画して作らないと出来ない。
都市計画も人類の叡智。チャタル・ホユックに見る「失敗」と、その後の都市の作り方について
https://55096962.seesaa.net/article/505364279.html
メソポタミア南部に都市が出現した時、このトルコ南部で試行錯誤された「都市」という概念が意識された可能性は十分にある。
これは、以前取り上げた以下の話題とも関連する。シュメール文明は麦作の技術を川の上流から輸入しているはずなので、その際に「都市」概念も取り入れているというのは有り得ない話ではない。
「シュメール人は何処から来たか分からない謎の民族!」→最近はそこまで謎でもない
https://55096962.seesaa.net/article/504527709.html

また、栽培化されたエンマー小麦の故郷の一つがトルコ南部でこれらの遺跡のあるエリアと被っているのも、この説の強化に使える情報かもしれない。
植物DNAの分析と「葉緑体DNA」: 古代エジプトの小麦についての覚書き
https://55096962.seesaa.net/article/517098996.html
都市の構造自体は土地に合わせてカスタマイズされていそうなので「メソポタミアにおける都市出現期に、中央アナトリアにおける異なる都市社会の存在が見えてきた」という言い方をしているが、ほぼ同時期にトルコ南部ではトルコ南部ならではの都市のあり方が模索されていたというのは有意義な知見になる。
と、まあ背後の情報とかこれまでの経緯を洗うと「なるほど、面白い発見なんだな」というのは分かるんだけど、一般ソースはそこまで書いてくれないのでちょっと不親切だよね…。
より詳しい発掘状況とかは、過去資料として以下にも公開されているので興味ある人は適当に漁ってみるといいと思う。
最近はPDFで研究報告が読める、実にいい時代になりました。資料コピーお取り寄せしなくていいとか天国か。インターネット時代に感謝。
『西アジア考古学 第23号』(2022年3月発行)
http://jswaa.org/publications_all/jwaa/jwaa23-2022/
なおエジプトの場合、都市の概念は輸入されたかもしれないがあまり発展はしなかった。
というか「川沿いの土地しか住めるとこない」「川沿い以外は砂漠なので敵の侵入とか気にしなくていい」「農業しないと食料ないので川沿いに畑が広がり、集落が点在する構造になるしかない」といった特殊な気候条件ゆえに、おそらく「都市」の概念がそのまま定着することは無かったのだと思う。
麦作が入ってきてるということは一緒に都市概念も輸入はされていると思うんだけど…。
エジプトの都市のありかたが特殊すぎるので、長らく「都市なき文明」とか言われてたくらいだしな…。
今回の話はあくまでチグリス・ユーフラテス川流域での話、と限定されるかと思っている。
ここはだいぶ前からノートルダム清心女子大学の発掘隊が掘ってて、内容的にも今年の春の報告会でもう出ていたものだった。なので「新発見ですごいもの見つけたで!」よりは「各方面の専門の研究者にも頭出し終わったんで、今までうっすら言われてきた説の強力な証拠として使ってよさそう。」くらいのニュアンスなのかなと思った。
というわけで、ニュース記事だけだとイマイチわからん背景情報の部分とかを補足していきたい。
トルコで5千年前の巨大建造物か 直径100mの円形の可能性も
https://news.yahoo.co.jp/articles/8fc73dbae008500b66fd759e982b06630e997cd2
今年の春の発掘報告会ででてた内容
中央アナトリアにおける銅石器時代解明へ向けて
─キュルテペ遺跡中央トレンチ発掘調査(2024 年)─
http://jswaa.org/wp/wp-content/uploads/2025/02/c97a9646dfe0ed2fa2ff4a51cea0206f.pdf
中の人のメモ
今年もちょっと聞きに行ってきた。第32回西アジア発掘調査報告会(1日目)メモ
https://55096962.seesaa.net/article/512356092.html
何度も言っているが、このテのニュースは、なんも分かってない記者が書いた一般ニュースサイトよりは、大元のプレスリリースを見るのがいちばん手っ取り早い。というか大元に書かれている内容の重要なところが削ぎ落とされて丸められてしまったものが外部の一般ニュースサイトに出回っているものなのだ。
プレスリリースは以下。
都市出現期の巨大円形建造物か? トルコ共和国キュルテペ遺跡発掘調査から
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000132419.html
これを読むと、研究者が強調したい部分は見えてくる。
約5,000年前という年代自体には、あまり重要性はない。
その時期は、メソポタミア文明、エジプト文明の萌芽が芽生え、両文明ともに初期の都市が成立していく時期に当たる。なので、地理的に近いトルコ南部でも同時期に都市が発生していたこと自体はオーパーツ的な話でもなく歴史の文脈的には妥当。
重要なのは、都市国家・都市文明の起源は実はトルコ南部にもあるのでは? という部分。
より正確に言うと、メソポタミアで都市が発展するのと同時期に、このトルコ南部でも同時並行で個別に都市プランが発展していた可能性がある、ということ。
古さだけから言うと、むしろ都市の本場はトルコ南部で、ここで成立した都市のマスタープランが川を下ってメソポタミアでカスタマイズされた可能性すらある。
これは最近出てきたトレンドで、要するに、「文明はオリエントに始まる」のオリエントがメソポタミアから、川を遡った現在のトルコ南部/シリア国境付近になる可能性があるということだ。
今回の報告にあるキュルテペ遺跡の近くには、ギョベックリ・テペという1万年前くらいまで遡るさらに古い遺跡がある。
だが、ギョベックリ・テペは都市とは呼ばれない。単純に人が集まって無秩序に住み始めた結果、巨大化した…という感じがある遺跡である。
最古の都市と呼ばれるのは、少し北のほうにある「チャタル・ホユック」だが、この遺跡も都市としては作りが未熟で、疫病などが蔓延して放棄されたのでは? と言われている。
「都市」というのも、実はテクロノジーの一種なのだ。人が密集して暮らすために必要な公共ルールや公衆衛生の技術の集合体。
円形に街を作るとか、中心部に重要な建物を集めて大通りを設定するとか、街の周囲に城壁を作るとかいう作り方だと、最初から都市を作るつもりで都市計画して作らないと出来ない。
都市計画も人類の叡智。チャタル・ホユックに見る「失敗」と、その後の都市の作り方について
https://55096962.seesaa.net/article/505364279.html
メソポタミア南部に都市が出現した時、このトルコ南部で試行錯誤された「都市」という概念が意識された可能性は十分にある。
これは、以前取り上げた以下の話題とも関連する。シュメール文明は麦作の技術を川の上流から輸入しているはずなので、その際に「都市」概念も取り入れているというのは有り得ない話ではない。
「シュメール人は何処から来たか分からない謎の民族!」→最近はそこまで謎でもない
https://55096962.seesaa.net/article/504527709.html
また、栽培化されたエンマー小麦の故郷の一つがトルコ南部でこれらの遺跡のあるエリアと被っているのも、この説の強化に使える情報かもしれない。
植物DNAの分析と「葉緑体DNA」: 古代エジプトの小麦についての覚書き
https://55096962.seesaa.net/article/517098996.html
都市の構造自体は土地に合わせてカスタマイズされていそうなので「メソポタミアにおける都市出現期に、中央アナトリアにおける異なる都市社会の存在が見えてきた」という言い方をしているが、ほぼ同時期にトルコ南部ではトルコ南部ならではの都市のあり方が模索されていたというのは有意義な知見になる。
と、まあ背後の情報とかこれまでの経緯を洗うと「なるほど、面白い発見なんだな」というのは分かるんだけど、一般ソースはそこまで書いてくれないのでちょっと不親切だよね…。
より詳しい発掘状況とかは、過去資料として以下にも公開されているので興味ある人は適当に漁ってみるといいと思う。
最近はPDFで研究報告が読める、実にいい時代になりました。資料コピーお取り寄せしなくていいとか天国か。インターネット時代に感謝。
『西アジア考古学 第23号』(2022年3月発行)
http://jswaa.org/publications_all/jwaa/jwaa23-2022/
なおエジプトの場合、都市の概念は輸入されたかもしれないがあまり発展はしなかった。
というか「川沿いの土地しか住めるとこない」「川沿い以外は砂漠なので敵の侵入とか気にしなくていい」「農業しないと食料ないので川沿いに畑が広がり、集落が点在する構造になるしかない」といった特殊な気候条件ゆえに、おそらく「都市」の概念がそのまま定着することは無かったのだと思う。
麦作が入ってきてるということは一緒に都市概念も輸入はされていると思うんだけど…。
エジプトの都市のありかたが特殊すぎるので、長らく「都市なき文明」とか言われてたくらいだしな…。
今回の話はあくまでチグリス・ユーフラテス川流域での話、と限定されるかと思っている。