本当の愛を…教えてあげますよ…!的な本「プラトンのプラトニック・ラブ」

「プラトニック・ラブ」といえば、現代では「肉体的な性愛を伴わない精神的な愛情」という解釈をされていることが多い。
プラトンという古代ギリシャの哲学者の言葉から生まれた概念で、古代ギリシャには少年愛が多かったこともあり、年上男性+少年の恋愛に関してこの用語が使われることもある。

だが実際には、この概念は曲解または誤用に近く、真実在<イデア>を目指す愛のあり方こそ、本来プラトンが語っていたものである、という説明をしているのがこの本。

表紙めくった最初に「純愛の話じゃなくてギリシャ哲学の説明です」というのが書かれているので、まあ本の内容とか方針としてはわかりやすかったのだが、いかんせん、構成はあまり上手じゃなく話がものすごく遠回りなのと、なぜ誤用されるようになったのか、という部分の記載が無いのがわりと致命的。

読んだあとモヤる人も多そう。
というか終わり方が中途半端なので私もモヤったが。


プラトンのプラトニック・ラブ (学術選書 118) - 國方 栄二
プラトンのプラトニック・ラブ (学術選書 118) - 國方 栄二

さて、プラトニック・ラブという言葉は、プラトンの死後だいぶ経ってから発生した単語で、本人はそんな言葉を使っていない。プラトンが書いたのは、いわば独自の「恋愛論」とでも言うべき内容である。
この本では、実際にプラトンが書いたその内容から、プラトンが目指していた愛とは何か、ギリシャ語でいうエロースとは何か、を説明しようとしている。

前提として、プラトンの考え方には、「この世にあるあらゆるものはニセモノであり、真実の姿、イデアは神々の世界にしかない」という考え方がある。いわゆるイデア論である。これは教科書に載ってるような内容でググれば解説は山程でてくるので詳細は割愛する。

目の前にある人について、目に見える姿かたちを愛するのではなく、内在するイデア、魂の本質というべきものを愛することこそ本当の愛である。恋愛の最終段階とは、相手の持つ精神や知識といった見えない美しさに惹かれてこそである。…というのがプラトンの言っている内容。

これは最近の恋愛もの創作などでもよく見かける純愛ロジックで、ある意味では「プラトニック・ラブ」=肉体的な性愛を伴わない愛、という解釈でも間違いではないのかもしれない。ただし、そこからは「現実世界にあるものは全てニセモノ、神々の世界にある真の実在の投影に過ぎない」というプラトンが本来言いたかった前提は忘れられてしまっている。

イデア論では、この前提のとあとに「人間の魂は翼を失い、このニセモノだらけの世界に落とされてしまっている。イデアを愛し、真の実在を思い出すことによっていつか神々のの住まう本当に世界に戻れる」という思想が続く。プラトニック・ラブとは、地上に落とされた人間の魂が本来愛すべきものを見出し、いずれ真実の世界に戻るための過程でもあった。

なんか宗教的だな? と思うかもしれないが実際これは宗教概念であり、のちのキリスト教の、「人間の魂は罪を背負って現世にあるが、いずれ父の住まう天に戻るべき」という概念とも被っている。そのため、ギリシャ哲学の「愛」=エロースとキリスト教の「愛」=アガペーは、しばしば比較される対象となる。
この本の後ろの方でもその話は出てくるが、著者が力尽きたのかそのへんの話はだいぶ中途半端に終わっているので、気になる人は他の本で補完したほうがいいかもしれない。

ともあれ、プラトンが言いたかった大元の「恋愛観」、のちにプラトニック・ラブと呼ばれるようになるものの概念はこんな感じである。
正しく愛することによって自分の魂は天界に戻れる。本質を見抜く知恵を身に着け、知を愛せよ。という、いかにも哲学者的な物言いである。

まあ、こんな恋愛は実際にはそうそう出来るものでもないし、時代ごとに解釈を少しずつマイルドに変えていった結果が今の「肉体的な性愛を伴わない愛」という意味なのかなあ…とは思うのだ。