ヒッタイトの属国・イシュワだったかもしれない遺跡「コルジュ・テペ」についしての覚書き

ちょっと調べ物をしていたら、ヒッタイトの国境近く、南東側の防衛拠点としてコルジュテペという要塞都市の遺跡が上がっていた。
ここはヒッタイトに隣接する小国イシュワの都市と考えられている。イシュワは、独自の王の名も知られてはいるが、帝国最盛期には属国として支配下にあった小国だ。ヒッタイトがミタンニ攻略に乗り出した際には軍事的に重要な拠点の一つだったし、バビロニア遠征に時に通過した土地でもあるという。

交通の要所っぽいし、なんか重要な遺跡なんだろうなーそのわりに名前全然聞いたことないな? と思って調べてみたら、その理由はすぐに分かった。
ダムに水没してるので、今はもうない。

もうないよ…! 水没前に緊急発掘された資料しか残ってない…!

↓場所ココ
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https://pleiades.stoa.org/places/966705384/location-of-korucutepe

↓ヒッタイト、ミタンニ、イシュワなどの位置関係はこれ
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しかも資料がなんか中途半端。
どうやら最初に発掘を任された海外の発掘隊が、遺物を勝手に国外に持ち出してしまったせいでペナルティをくらい、発掘途中でトルコ政府から契約を切られてしまったようなのだ。その後、トルコ政府主導で別の調査隊が発掘を続けたらしいのだが、両者の報告があまり綺麗に繋がっていない。

というわけで、重要遺跡だった「はず」なのだが、情報はダム水没前に残せたもののみで断片的なものにとどまっている。
ヒッタイト帝国時代に築かれたヒッタイト様式の城塞などの資料はいちおう残っているのだが、古い時代の資料が足りていない。紀元前4,000年頃から人が居住していた長い歴史を持つ遺跡なので、短時間では掘りきれなかったのだろう。


↓シカゴ大とアムステルダム大の出している報告書、Vol.3まである。

The Excavations at Korucutepe, Turkey, 1968-70: Preliminary Report. Part I: Architecture and General Finds
https://www.jstor.org/stable/543231?read-now=1&seq=1#page_scan_tab_contents

緊急発掘という性格上、急いで全容を明らかにする必要があったらしく、遺跡のド真ん中にトレンチぶち抜いてるのは、なかなか他では見ない手法だと思う。こんなん見たのトロイ遺跡いらいやでw

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居住が一時期途切れた形跡があるとか、ヒッタイト時代に街の性格が変わってそうとか、鉄器時代以降は放棄されたのは何でなんだろうとか、色々疑問点もあるが、新たに発掘することも、50年前の発掘状況を現地で見直すことも出来ないので、今ある資料で考えてみるしかない。
というか、時代柄なのか、印章とか文字のあるものは残されていても土器類は廃棄されているものが多そうだし、写真も少ない…。
なんか色々もったいないな、という気がした。

(チグリス川、ユーフラテス川の最上流部分はトルコにあり、トルコさんはそこに複数のダムを築いているため、水没した遺跡の数も多い。)