「史実」とは何なのか。歴史記録に書かれたこと=史実、ではない。という話
辞書で「史実」という言葉を引くと、「歴史上の事実。歴史上、実際にあった事柄」という意味が出てくるだろう。
これは、読んで字のごとくであり、それ以上付け加えることのない説明である。
なのに実際には、誤解された使われ方をしていることが多い。
具体例を上げてみよう。
古代エジプトの王ラメセス2世には、子どもが100人以上いたとされる。
これは「史実」と言っていい。何故ならば、実際に100人に達する子どもたちの名前が残されており、子どもたちを埋葬するための墓であるKV5にはとんでもない数の埋葬室が準備されているからだ。(まだ発掘が終わっていない。最新の報告では130の部屋が発見済み)
ラメセス2世は長寿で、在位は60年を大幅に超えており、古代世界でありながら90歳まで生きたとされる。
これも「史実」と言っていい。実際に即位年のカウントと見つかっているミイラから確認が取れているからだ。
しかし、ラメセス2世がカデシュの戦いで神の力を借りて無双した、というのは史実ではない。
これは証明出来ないし、王が最前線で孤軍奮闘ってちょっとありえないからだ。神殿の壁に堂々と記録してるけど、それ話盛ってない?? とツッコまなくてはならない。
古今東西、どこの国の歴史/神話であろうと、戦記物や戦勝記録は数・実績が盛られていたり、不都合な事実は隠されていたりするのはよくあることだ。文字通り受け取るのは適切ではない。
従って、歴史記録の中でもバイアスのかかっていそうなものは、史実かどうかを疑う必要がある。
ここでのポイントは、「バイアスのかかっていそうなもの」という点だ。
王家の権威を保つために記録された戦勝記念碑の内容が盛られているのは当然だろうが、書記が記録した会計簿は盛られている可能性が低い。というか、そこを盛ってしまったら国の運営が立ち行かなくなってしまう。
たとえば、つい先日取り上げたウィルボウ・パピルスのような税収、土地測量、神殿や国庫の財政に関わるお会計文書などは、計算間違いはあるにせよ、数字や内容が意図的に改ざんされている可能性は低い資料とみなされている。
王家の記録で「景気いっすわ、ウハウハですわー!」と書かれていても、税収文書で「ナイルの水位低すぎて税収アカン、お給料の支払いが滞ってストライキ起きてるっす」と書かれていれば、信用すべきは後者の文書。「史実」として採用されるのは税収文書に書かれている内容になるだろう。
つまり、「史実」とは、単純に「古い記録に書かれていること」ではないのだ。
記録にあるものが本当に起こったことを正しく記録しているのか吟味してから、史実として採用するか、改ざんされていたり何らかのバイアスがかかっているので史実ではないとみなすのかを判断する必要がある。
中には、研究者の解釈が間違っていた/解釈自体にバイアスがかかっていた、などで、「やっぱあれ史実じゃなかった…」となるものもある。
判断・解釈しているのは、その時代ごとの専門家なので、まあそういうこともままある。
新しい発見によって、それまで史実とされてきたものとの矛盾が発生することもある。
なので、「史実」とは、未来永劫変わらない絶対の真実ではなく、とくに遠い昔になればなるほど、不確かな部分を含むものだと認識しておく必要があると思ったほうがいいだろう。
まあ、ここに来るような人にとっては、ほとんど釈迦に説法ですけど…
意外とこれ忘れてる人もいるので、おさらいがてらに…。
これは、読んで字のごとくであり、それ以上付け加えることのない説明である。
なのに実際には、誤解された使われ方をしていることが多い。
具体例を上げてみよう。
古代エジプトの王ラメセス2世には、子どもが100人以上いたとされる。
これは「史実」と言っていい。何故ならば、実際に100人に達する子どもたちの名前が残されており、子どもたちを埋葬するための墓であるKV5にはとんでもない数の埋葬室が準備されているからだ。(まだ発掘が終わっていない。最新の報告では130の部屋が発見済み)
ラメセス2世は長寿で、在位は60年を大幅に超えており、古代世界でありながら90歳まで生きたとされる。
これも「史実」と言っていい。実際に即位年のカウントと見つかっているミイラから確認が取れているからだ。
しかし、ラメセス2世がカデシュの戦いで神の力を借りて無双した、というのは史実ではない。
これは証明出来ないし、王が最前線で孤軍奮闘ってちょっとありえないからだ。神殿の壁に堂々と記録してるけど、それ話盛ってない?? とツッコまなくてはならない。
古今東西、どこの国の歴史/神話であろうと、戦記物や戦勝記録は数・実績が盛られていたり、不都合な事実は隠されていたりするのはよくあることだ。文字通り受け取るのは適切ではない。
従って、歴史記録の中でもバイアスのかかっていそうなものは、史実かどうかを疑う必要がある。
ここでのポイントは、「バイアスのかかっていそうなもの」という点だ。
王家の権威を保つために記録された戦勝記念碑の内容が盛られているのは当然だろうが、書記が記録した会計簿は盛られている可能性が低い。というか、そこを盛ってしまったら国の運営が立ち行かなくなってしまう。
たとえば、つい先日取り上げたウィルボウ・パピルスのような税収、土地測量、神殿や国庫の財政に関わるお会計文書などは、計算間違いはあるにせよ、数字や内容が意図的に改ざんされている可能性は低い資料とみなされている。
王家の記録で「景気いっすわ、ウハウハですわー!」と書かれていても、税収文書で「ナイルの水位低すぎて税収アカン、お給料の支払いが滞ってストライキ起きてるっす」と書かれていれば、信用すべきは後者の文書。「史実」として採用されるのは税収文書に書かれている内容になるだろう。
つまり、「史実」とは、単純に「古い記録に書かれていること」ではないのだ。
記録にあるものが本当に起こったことを正しく記録しているのか吟味してから、史実として採用するか、改ざんされていたり何らかのバイアスがかかっているので史実ではないとみなすのかを判断する必要がある。
中には、研究者の解釈が間違っていた/解釈自体にバイアスがかかっていた、などで、「やっぱあれ史実じゃなかった…」となるものもある。
判断・解釈しているのは、その時代ごとの専門家なので、まあそういうこともままある。
新しい発見によって、それまで史実とされてきたものとの矛盾が発生することもある。
なので、「史実」とは、未来永劫変わらない絶対の真実ではなく、とくに遠い昔になればなるほど、不確かな部分を含むものだと認識しておく必要があると思ったほうがいいだろう。
まあ、ここに来るような人にとっては、ほとんど釈迦に説法ですけど…
意外とこれ忘れてる人もいるので、おさらいがてらに…。