ヒッタイトの聖都ジッパランダとされる遺跡ウシャクル・ホユックの発掘調査:ヒッタイト時代の子どもの埋葬とは

かつてエジプトと張り合った大国だった時代もあるヒッタイトだが、首都の位置は分かってるのに、実は他の都市の位置はわりと曖昧である。
記録に残っている都市名と、実際の遺跡とが結びつかないケースが多いのだ。

たとえば、よく出てくる「アリンナ」という都市ですら、位置が確定していない。宗教都市だったとされるジッパランダ、ネリクは「おそらくここだろう」という都市があるが、アンクワ、タウィニア、ハラナッサ、ティプナなどの街は「お祭りでこれらの都市を巡ったよ」と記録が残っているにも関わらず、どこだったのかが分かっていない。(一部、候補の遺跡はある)

その中で、ジッパランダは可能性が高い遺跡があるだけまだマシなほう。
その可能性の高い遺跡というのがウシャクル・ホユックで、近年の発掘でモザイク床や儀式に使われていたらしい円形の建物が見つかっている。

写真や発掘状況に関する記事(外部)

で、発掘を続けていたら円形の建物の近くで子どもの遺骨が集積されてる場所が出てきた、幼くして死亡した子どもたに関わる儀式をやっていたのでは? というのが、今回の話。

Remains of Seven Children Discovered in a Mysterious Hittite Circular Structure in Ancient Zippalanda
https://www.labrujulaverde.com/en/2025/08/remains-of-seven-children-discovered-in-a-mysterious-hittite-circular-structure-in-ancient-zippalanda/

これはイケニエにされたとかではなく、幼くして亡くなった子どもたちをまとめて同じ場所に埋葬したとか、そういう話らしい。

亡くなった子どもたちをどう埋葬するか、墓をつくるかどうかは、文明ごとに異なる。アナトリアの古代文明だと床下に埋めるという方法が知られているし、ローマだと乳幼児専用の墓が造られていた事例がある。古代の南米だと子どもだけ特別なミイラにする手法がある。古代エジプトだと子どもの墓が造られることは稀で、幼い子供の遺体はほとんど残っていない。

ヒッタイトにおける子どもの埋葬は文献に記録がなく、これまでに証拠もなかったためどうしてたか分からないのだが、なにか特別な作法があったのかもしれない。というのが、この話の主旨である。


なお、ジッパランダは、ヒッタイトの王自らが主催する春の豊饒祭で巡幸されたと記録のある都市だ。円形の建物は、犠牲を捧げるためのものだったのではとされている。実際、発掘では馬、ロバ、シカの骨が見つかっているらしい。
ヒッタイトの春の豊饒祭は、先住民であるハッティ人に起源を持つとされる古いお祭りで、天候神テシュプが邪竜イルヤンカを打倒したことを記念するストーリーを演じていたという。

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地図で見ると首都ハットゥシャとジッパランダとされるウシャクル・ホユックの遺跡は、あんまり離れていない。
一ヶ月かけて宗教都市を巡っていたらしいのだが、これなら移動にそんなに日数もかからないだろうし行けそう…? 他の、まだ確定されていなない都市も首都からそんなに遠くなさそうな気もするのだが、意外と確定が難しいものなんだな…とちょっと思った。

まあアナトリア、ずっと人が住み続けている場所なので、邪魔な遺丘は畑や道路をつくる時に削られちゃった可能性もあるんですけどね。
日本でいう古墳と一緒で…。