「神の子」と主張出来なかった第19王朝創始ファラオたち、ラメセス2世はいかにして「王権の正当性」を主張したか

まず前提として、古代エジプト、特に新王国時代には、王家の血統は「最高神アメン神の子」である、という主張がなされていた。

古代エジプトの王家は万世一系ではなく、王家の純血的な血筋にこだわりはなかった。近親婚も多かったが、必ずしも兄弟姉妹で結婚していたわけではない。にも関わらず王が王位の正当性を主張出来たのは、王に宿った神が王妃と交わった=王は「神の子だ」、という点なのである。
これは、ハトシェプスト女王が女性でありながら王位を主張する際に「父アメンが私を王位につけてくださった」ことを根拠とした話とも繋がっている。
アメン神の子、神の子であり、父に認知されていることが、王として必要な権威を付与するものだったのだ。

にも関わらず、第18王朝最後の王たち(アイ、ホルエムヘブ)や第19王朝最初の王たち(ラメセス1世、セティ1世)は、この主張が出来ない。
父は王ではなく、母は王妃ではなく、庶民出身の「一般人」。たとえ王女を嫁にもらったとしても、自身を神の子と主張できる要素が何もない。

アイと、王位を継いだ時に既に高齢だったラメセス1世はまだいいとして、そこそこ在位年の長いホルエムヘブやセティ1世は、どのようにして自身の王位の正当性を担保したのだろうか。これは気がついてみると、ちょっと不思議な感じがする。
ホルエムヘブについては、妻のひとりムトノジュメトが王家の血を引いていた可能性が考えられるためまだ何となく分からなくもないが、ホルエムヘブの養子として王位を引き継いだ第19王朝の創始者たちは正当性の担保出来そうな要素が見当たらない…。

ちなみにラメセス2世も、年齢からして祖父が第19王朝の創始者となった時には既に誕生していたと考えられる。つまり「王位を継ぐのはアメン神の子」という資格条件でいうなら、この大王ですら外れてしまう。

だとすると、第19王朝を創始した王たちがさかんに立派な神殿や葬祭殿を建て、海外遠征も繰り返していたことは、足りない権威を積み増しし、実績をもって王位の正当性を世間に認めさせるためでもあったんじゃないかなあ…。

人として生まれたただの人間が、自らの才知をもって神の子という至高の座へ駆け上がっていく、なんていうストーリーも、ラメセス2世ならアリなのかもしれない。