ラメセス2世の即位年と4人の皇太子:ド平民が伝説の王になるまで

こないだ、第19王朝の王たちは平民出身で、王権の根拠である「神(アメン神)の子」とは名乗れなかった、という話をした。

で、ふとラメセス2世ってそもそもいつ生まれたんだっけな…と年表書いて逆算してみた。
死亡したのが90歳くらい、治世67年。父セティ1世は12年統治、祖父ラメセス1世は2年統治なので、逆算すると…なんと第18王朝最後の王、ホルエムヘブの治世の真ん中あたりだ!

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ホルエムヘブが薨去した時、ラメセス2世は10歳くらい。祖父はホルエムヘブの養子だったので、ホルエムヘブは義理のひいじいちゃん。ひいじいちゃんのお葬式には出てただろうし、第18王朝の終焉も見届けていたのだ。そして、第19王朝の創始されるのも見ていた。

とすると、アクエンアテンの宗教改革から受け継がれた負の遺産、ツタンカーメンの若死にによる王家断絶とツタンカーメンの嫁がやらかしたアレのゴタゴタとかも多分、家族や周囲から聞いて知ってただろうなと…。そりゃ、二度と国を混乱に陥らせないためにはアメン神の威光に流れるし、王家の断絶を防ぐために子どもめっちゃ作りまくるだろうし、墜ちた権威を取り戻すためと失った国土の奪還のために遠征繰り返すでしょうよ。前王朝のやらかしがあまりにも強烈すぎた。

で、今回はさらに、治世67年の中で立太子された四人の王子たちの年表も足してみた。
ラメセス2世の後を継ぐのは、第13王子メルエンプタハ。この人は皇太子になるのが父の治世55年とかなり遅く、その時点で老人だった。

だいたいの死亡年齢がわかっているので、そこから逆算すると誕生は祖父セティ1世の治世の晩年。
ラメセス2世の治世9年目に発生したダプールの攻城戦に参加した記録があるのは第10王子までで、従軍できる年齢を15歳くらいからと考えると、ダプール時点でメルエンプタハは12歳となり、参加できなくても仕方ない年齢となり丁度いい。

他の即位しなかった兄王子たちの生没年はよくわかっていないが、最初に皇太子となった第一王子に「皇太子」の称号がついているのがラメセス2世の治世25年目までなので、おそらくそのあたりで死亡している。
誕生したのはラメセス1世の治世中かセティ1世の治世の最初の頃のはずなので、当時の平均年齢である40歳くらいまでは生きていたと考えられる。決して早死ではない。

続いて皇太子になるのが第二王子、ラメセス2世の治世25年目から50年目まで25年も皇太子やってた、なんかイギリスのチャールズ現国王みたいなポジションの人…。いや普通はこれ即位できるんですけどね…父が長生きすぎましたね…。
第一王子と同じ頃に生まれているはずなので、おそらく70歳を越えての死亡。長寿。

次が有名な第四王子カエムワセト、この人はラメセス2世の治世50年から55年の間、皇太子をつとめて死去。そのあとが冒頭の第13王子メルエンプタハ。つまり間の王子たちは先に死亡しているわけだが、年齢見るとまあ、うん。
だいたい妥当というか、ラメセス2世の子どもたち長寿の人がけっこういるなという印象。それでも父には敵わなかった。

ラメセス2世の人生は、愛した妻たちだけでなく、子どもたちにも次々と先立たれてゆく、「別れ」の人生だったのだ。




なお、第19王朝はラメセス2世以降は急速に権威が衰え、第20王朝は簒奪王朝とされる。第21王朝以降は、外国にルーツを持つファラオや平民出身のファラオが次々と即位する、安定しない時代が続いていく。
神権政治はここで終了し、王になるのに「王家の血統」や「神の子」である資格を必要としない時代が始まる。

その時代の先にあるのが、ギリシャ系のプトレマイオス朝なのである。