「ギリシャ人は白人」「エジプト人は黒人」の誤解。「アジア・アフリカ・ヨーロッパ」の区別は古代世界では使えないという話

「クレオパトラは白人ではない」、「そもそもギリシャ人は白人ではない」という話は、以前書いた

その後、もしかして「ギリシャはヨーロッパ」=白人、「エジプトはアフリカ」=黒人という勘違いをされてるのか…? というそもそものところに気づいたので、まずはここから説明していきたい。

最初に言っておくと、「古代ギリシャ」はヨーロッパではなく、「古代エジプト」はアフリカではない。両者は同じ「西アジア」または「東地中海世界」という括りに属する、人種的にも文化的にも近い一塊の世界の中にある。

「アジア・アフリカ・ヨーロッパ」という地理的な区分は近代のものであり、古代世界にはそんな区切りは無いのである。



まず、皆知ってる「アジア・アフリカ・ヨーロッパ」という区分について。これは以下のようになっている。
この区分だと、現代国家としてのギリシャはヨーロッパに、現代国家としてのエジプトはアフリカに属している。

Continents_vide_couleurs.png

しかし、よく見て欲しいのだが、エジプトのすぐ隣はアジアであり、ギリシャのすぐ隣もアジアである。人が移動しないはずもない。というか実際に、ギリシャもエジプトも歴史的に西アジアとの関連性が深く、移民や入植都市の関係で文化圏的には「ヨーロッパ」でも「アフリカ」でもなく「西アジア」に所属している状況なのである。(逆に言うと、ヨーロッパやアフリカ奥地との関係は薄い)

わかりやすいところだと、ギリシャ神話に出てくる神々の多くはルーツを西アジアに持っている。
エフェソスのアルテミス像などを思い出してもいいだろうし、インド・ヨーロッパ語族の神話体系として、語族の先祖がいた場所が黒海沿岸のどこかである可能性が高いことや、類似する神話体系がインドまで広がっていることを思い起こしてもいい。

また、ギリシャは故郷の土地が貧しかったために海外に多くの入植地を持っており、主な都市の分布は以下の地図で赤文字になっているところ。つまり古代ギリシャ人の人口の多くがアジア地域に暮らしており、現代国家ギリシャと古代ギリシャはほぼ別物、というか古代ギリシャのごくごく一部の領土と要素だけが残ったものなのだ。

AntikeGriechen1.jpg

ちなみに、現代ギリシャ人は民族・人種的にも古代ギリシャ人とはかなり違っている可能性がある。
というのも、近代にオスマン帝国から分離独立する際に、「キリスト教徒はギリシャ人、イスラム教徒はトルコ人」という分け方をしたからだだ。宗教を基本として、ギリシャとトルコで大規模にな住民交換(という名の強制移住)も行っているため、その時代にギリシャに移住させられたアラブ系またはその他のルーツに属する人も多数いる。

古代ギリシャ人にいちばん血縁が近いのは、もしかしたら、イスラームに改宗しつつトルコのエーゲ海沿いのギリシャ人植民地跡に住み続けた住民なのかも入れない。


次にエジプトの話だが、エジプト人は海外に入植地を作ることはほぼ無かった。
しかし豊かな土地に人が流れ込むのは世の常で、歴史を通して大量のアジア系移民を受け入れ続けてきた。
ギリシャ系移民でいえば、最古の事例は紀元前1,500年頃、第二中間期のミケーネ文化に属する人々と考えられており、ナイルデルタからはミケーネ文化に属する品が多数見つかっている。
第二中間期にはヒクソス人王朝に代表されるようにシリア・パレスチナからもまとまった移民があったことが分かっている。
それに対し、ナイル川上流、アフリカ奥地からの移民はほとんど無く、第25王朝としてヌビア人王が立ったことはあったが、ペルシアに敗北してナイル上流に引き上げてしまっているため定着していない。

つまりはプトレマイオス朝成立より千年以上も前から、エジプトは主にアジア系移民との混血が進んだ地域だったのである。
実際にエジプトのミイラを時代別に調査してみると、どの時代でもアジア由来の遺伝的要素の比率が高く、アフリカ特有の要素の割合は少ない。
その話も以前書いた
ちなみに外国人嫁を多く迎えていた新王国時代の王家の場合、アジア由来のDNA比率は庶民よりも高そう。という話はこちらを参照



というわけで、

・古代ギリシャ人は現代の区分で言うアジアに多く暮らしており現地民と混血していた
・古代エジプト人は現代の区分でいうアジアからの移民を多く受け入れており移民との混血が進んでいた
・古代にはヨーロッパともアフリカ南部とも関係が薄い

 ↓ ↓ ↓

両者は遺伝的に近く、一つのグループに属しており、白人・黒人ほど違った見た目をしていたとかいうわけではない

ということが言えるのである。



まあこれギリシャとエジプトの話に限定されたものではなく、他の地域でも一緒で、「地理的に近ければ人の行き来にによって遺伝子はシャッフルされるので見た目も遺伝的な要素も近くなる」という、ごく当たり前の話。
国境がキッチリ決められたり、文化や宗教による結婚タブーが厳しくなったりするのって、人類の歴史上だいぶ後の方なんで…。


さらにもう一つ付け加えておくならば、古代世界において、「海」は離れた地域を結ぶ高速道路のような扱いを受けていた。
陸上の道は人工的に維持管理せねばならず、天変地異などで荒れることもあり、街道として安定させるには周辺の治安がいいという条件も必要になる。
陸のシルクロードが盛んに使われていた時代は中国の権力が安定していた、という話などはその代表例だ。

それに対して海路の場合、メンテは不要で、気候条件などで使えない季節はあるにしても全く使えなくなることはほぼ無く、封鎖されるとか海賊に遭うとかいう可能性も古代世界ではほぼ無い。(襲われるとすれば岸辺に到着した後。)

そのため海路のほうが使い勝手がよく、安定して人や物の移動ができるメリットがあった。
地中海に面したエジプトとギリシャは、まさにこの海路で古くから繋がれており、距離は遠くても「お隣さん」とか「隣の隣の地域」くらいの認識だったと思われる。
古代エジプトの歴史を通じ、相互に人と物が移動していた証拠は豊富で、互いの間に「ヨーロッパとアフリカ」のような壁があったことは想定出来ない。



というわけで、最後にもう一度まとめると、

・現代でいう「アジア・アフリカ・ヨーロッパ」の区分は古代世界には適用できない
・古代ギリシャも古代エジプトも同じ「西アジア」または「東地中海文化圏」という同じ括りに属し、文化・人種ともアジア寄り

そして、古代ギリシャ人、古代エジプト人ともアイデンティティも遺伝的にも西アジア寄りだし、人種的には「白人」でも「黒人」でもない、と言えるだろう。


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前提の前提みたいなところから説明したので、さすがにこれで…伝わりますかね…?