対ペルシャで同盟していたかもしれないスパルタと古代エジプト、古代エジプト・末期王朝のエジプトとギリシャの関係について

古代エジプト史の中でも、エジプト語以外の文献の重要度が大きくなっていく末期王朝以降はちょっと扱いが特殊だなと思う。
わかりやすいところでいうと、二度のペルシア支配があるが、その時代のペルシア側の記録を確認しようと思ったら当然ペルシャ語になる。(もしくはギリシャ語)

また遺物やエジプト語文献から確認が取れない部分は、ヘロドトスやディオドロスなど後世のギリシャ人が言及した内容から遡って確認するしかないところもある。

王権が弱まって大規模な建造物などが少なくなること、王権が安定していないため短期間のみ即位していた実質地方豪族のような王については情報が少ないことなどもハードルを高くしている理由だと思う。

そんな中から今日取り上げるのは、一人だけで第28王朝という扱いになっている「アミルタイオス」という王。
ギリシャ人っぽい名前だが、これはギリシャ人の記録による名前のほうがよく知られているからで、エジプト語名はおそらくアメンイルディス。
ただし、これが誕生名なのか即位名なのかは分かっていない。
サイス出身ということだけ知られており、即位していた年数は5年程度。
第一次ペルシア支配のあとに即位しており、おそらくサイス王朝(第26王朝)の末裔ではないかとされている。

とにかく情報が少なく、彫像なども残っていないため顔も分からない。たぶんこのファラオの名前を知ってる人すら少ないと思うのだが、末期王朝随一の「ペルシア絶対許さないマン」と言えば、だいたいのイメージはつくのではないかと思う。
なんといっても、この王の功績は、ペルシア支配に反抗し、アルタクセルクセス2世の時代に反乱を成功させ約半世紀に及ぶエジプト再独立を成し遂げるキーマンだからである。

しかも面白いことに、この王はスパルタとひそかに同盟し、穀物の輸出と引き換えに軍事的な援助を受けていた可能性が高いとされている。
アミルタイオスの在位は紀元前404年から399年。ちようどスパルタがアテネを下し、ギリシャ世界の盟主となっていた時期だ。
ギリシャ世界は既にペルシアとの戦争を経験しており、ペルシア戦争自体は終結していたものの敵対関係には変わりがない。スパルタがエジプトを支援してペルシアの勢力を削ごうとするのは妥当な政治判断とも考えられる。

…ただし、アミルタイオスの統治はそう長くは続かず、結局はメンデス出身の王に暗殺されてしまうのだが。
そしてエジプトの統治も、50年後には再び戻ってきたペルシアに再び征服され、アレクサンドロスによる「解放」まで支配が続くことになる。



末期王朝のエジプト王たちは、このアミルタイオスに限らず、ギリシャ人傭兵を重用し、その軍事力に頼っていた人が少なくない。エジプト語よりもギリシャ語名で知られた王たちが近い時代に何人もいるが、彼らに共通するのは「地元エジプト人の評判がよくないか、記録が少ない」「ギリシャ側では高評価、もしくは言及する史料が多い」ということである。

プトレマイオス朝開始以前の時代から、既にエジプトの政治は、ギリシャ人無くしては成立せず、「軍事力はギリシャ系移民に頼る」という構図が出来上がっていたと言っていいと思う。