北アフリカのイスラーム支配に抵抗したベルベル人の女戦士、アル・カーヒラについて

ローマ亡き後の中世初期、北アフリカがどのようにイスラーム化していったかのを調べてた時に出てきたベルベル人の女戦士、アル・カーヒラ(al-Kāhina)。
ユダヤ教徒またはキリスト教徒だったとされ、実在人物の女傑としてはかなりオイシイ役どころのため、彼女の故郷とされるでは「抵抗のシンボル」として扱われ、像も建てられているという。

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アル・カーヒラはアラブ側の名称で「魔女」とか「女魔術師」という意味らしい。本名はベルベル語で「美しいガゼル」を意味するディヒヤだったとされる。アルジェリア北東部のオーレス山地出身で、ベルベル人の一部族ジャラーワを率いる女族長だったらしい。

西暦680年ごろから、北アフリカに進出して来たイスラーム勢力とゲリラ戦で戦闘を繰り返し、一度は撃退に成功する。
しかしテスラーム側も本気なので、少数に過ぎないベルベル人部族を押しつぶせるだけの大軍を率いて来て、力技で押しつぶしてしまう。カーヒラは最後まで戦い、現在のチュニジアにあるカルタゴ時代からの遺跡、エル・ジェムの付近で戦死したという。

彼女の死をもってベルベル人の抵抗は止まり、以後、北アフリカのマグリブ地域は急速にイスラーム化していく。

わりと美談的に書いている資料が多いのだが、自分的にはこれ、いわゆる「狂信的な殉教」で指導者としては失格の行動だな…と思った。
彼女の部族は山岳地出身で、イスラーム軍もそこまで入り込めないのでゲリラ戦は巧く行ったのだろう。しかし、その間にも、海沿いの豊かな地域やオアシスで定住している部族などは報復として荒らされ続け、被害を被っている。

というか、そもそもこの件を調べ始めた理由が、海岸沿いのローマが支配していた都市が軒並みイスラーム支配初期にズタボロにされているのは何でなんだろうと思ったからである。原因の一つがこれ。
ゲリラ戦仕掛けてくる、イスラーム視点でいえばテロリストな連中がいたら、そりゃ同族の暮らしてる拠点は焦土作戦されるよね…。
相手のほうが圧倒的に軍事力があるんだから、早めに抵抗やめたほうが被害は少なくて済んだのでは…。

伝説では、彼女は息子たちに「私が死んだら改宗してイスラームに従いなさい」と言い残したとも言われているが、自分の信仰への意地で部族の多くの人間を道連れにしたのは指導者としてはどうなんだろう。
彼女がユダヤ教徒またはキリスト教徒だったとされることから、キリスト教圏やユダヤ教圏では信仰を貫いた女性として美談扱いされているけれど、それすらも「作られたヒロインとしてのエピソード」に思えてしまう。

まあ現地の人にとって「誇り」なら、それは別に否定しないけれど…うーん。
(もしかしたら、一族の故郷である山岳地の奥にいれば、別に自分の宗教は強制改宗させられなかったかもしれないんだよね…支配する側もそんな奥地まで来ないから…何で打って出ちゃったんだろうな…。)