大英博物館が所蔵する「偽造された」遺物、第17王朝テティシェリ像について
まずはこちらを見て欲しい。古代エジプトの貴人の坐像…である。
大英博物館が所蔵するもので、エジプト部門の遺物を充実させたウォーリス・バッジによってエジプトで買い求められた品だ。碑文には、第17王朝の王妃テティシェリの名が刻まれている。
しかし今、この遺物には「偽造品」のラベルがつけられ、展示室には無い。作られたのは19世紀と表示されている。


大英博物館の該当ページ
https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA22558
なんでこんなことになったのか?
それを辿ったので、まとめておきたいと思う。
●この遺物が発見されたのは1899年から1900年にかけての発掘…とされている
この時期にテーベの西、ドゥラ・エル・ナガで行われた発掘調査によって発見されたことになっている。
ちなみにテティシェリに関連した遺物は実際にテーベ西から多く発見されており、実際に埋葬地がそのあたりだったことは確実視されているものの、王家のミイラは後世に「ロイヤル・カシェ」と呼ばれる隠し場所に集められ、元の墓がどこだったのかがわからなくなってしまったため、墓自体はまだ未発見(候補はある)。
ミイラも、カシェから見つかったどれかだろうと言われているものの、特定はされていない。
●ウォーリス・バッジがルクソールで購入(1890年4月)
●偽造品との異論が出たのは1982年
当時の大英博物館エジプト室の部長代理だったW. V. Daviesによって、この彫像に嫌疑が出される。
当時はカイロ博物館にある腰から上のない彫像とペアと考えられていたのだが、実際にはカイロにあるものが本物で、大英博物館にあるほうは模造+腰から上を付け足したものだろう、という説である。これが正しければ、ルクソールで腰から上のない像が発見された直後に、それを見ながら偽物を作って外国人に高く売りつけた現地人がいた、ということになる。
●その後の調査
論文が出され、各方面の学者が議論した結果、以下のような怪しいポイントが出てきて贋作とされるようになった。
・彫り方が古代のものではない(拡大するとたしかに傷だらけで表面の仕上げが甘いし、青銅で掘ったにしてはエッジが効きすぎている…)
・顔面に使われている塗料が現代のもの
・衣装や被り物が17王朝の慣例に合っていない(ワシの被り物など)
・少なくとも碑文は、あり得ない間違いがあるため現代に付け足されたものと見られる
というわけで、多くの学者が「偽物の可能性が高い」と判断したことで、おそらく1980年代の後半くらいで偽造品という扱いになったのだと思われる。ものごっつ古い本だとこの像が普通に真作として、エジプト美術の頂点の扱いで出てくるんだけど、ここ30年分くらいの本だと全然出てこないいですからね。贋作判定された、という情報自体が抜け落ちちゃってる。
なお個人的には、顔の、とくに眼の部分の作りが雑なのはちょっとありえんなあと思った。
古代エジプト人、眼の部分の造形はめちゃくちゃこだわるんで。眼ってホルスの眼と同じで、欠けたり歪んだりしたら絶対ダメな部分なんですよ。眼の形自体が完全性を現すので。
贋作と知ってから見てるので余計にそう感じるのかもしれないけど。
なおテティシェリは王族出身ではなく、おそらく平民か下級貴族の出身。にもかかわらず「王の偉大な妻」=正妻の地位を得て、おそらく次の王の摂政もやっていただろうとされるパワー系王妃の一人。
夫のセケエンラー・タア2世は、ミイラの損傷からしてヒクソスとの戦闘で戦死したと考えられている。おそらく彼女は、夫の死後に尽力して第17王朝の大ピンチを建て直した重要人物の一人なのだ。
第18王朝を創始するイアフメスは、彼女の甥または孫とされる。
あまり知名度のない王妃だが、古代エジプト新王国時代の繁栄は、もしかしたら彼女無くしては確立されなかったのかもしれない。
大英博物館が所蔵するもので、エジプト部門の遺物を充実させたウォーリス・バッジによってエジプトで買い求められた品だ。碑文には、第17王朝の王妃テティシェリの名が刻まれている。
しかし今、この遺物には「偽造品」のラベルがつけられ、展示室には無い。作られたのは19世紀と表示されている。
大英博物館の該当ページ
https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA22558
なんでこんなことになったのか?
それを辿ったので、まとめておきたいと思う。
●この遺物が発見されたのは1899年から1900年にかけての発掘…とされている
この時期にテーベの西、ドゥラ・エル・ナガで行われた発掘調査によって発見されたことになっている。
ちなみにテティシェリに関連した遺物は実際にテーベ西から多く発見されており、実際に埋葬地がそのあたりだったことは確実視されているものの、王家のミイラは後世に「ロイヤル・カシェ」と呼ばれる隠し場所に集められ、元の墓がどこだったのかがわからなくなってしまったため、墓自体はまだ未発見(候補はある)。
ミイラも、カシェから見つかったどれかだろうと言われているものの、特定はされていない。
●ウォーリス・バッジがルクソールで購入(1890年4月)
●偽造品との異論が出たのは1982年
当時の大英博物館エジプト室の部長代理だったW. V. Daviesによって、この彫像に嫌疑が出される。
当時はカイロ博物館にある腰から上のない彫像とペアと考えられていたのだが、実際にはカイロにあるものが本物で、大英博物館にあるほうは模造+腰から上を付け足したものだろう、という説である。これが正しければ、ルクソールで腰から上のない像が発見された直後に、それを見ながら偽物を作って外国人に高く売りつけた現地人がいた、ということになる。
●その後の調査
論文が出され、各方面の学者が議論した結果、以下のような怪しいポイントが出てきて贋作とされるようになった。
・彫り方が古代のものではない(拡大するとたしかに傷だらけで表面の仕上げが甘いし、青銅で掘ったにしてはエッジが効きすぎている…)
・顔面に使われている塗料が現代のもの
・衣装や被り物が17王朝の慣例に合っていない(ワシの被り物など)
・少なくとも碑文は、あり得ない間違いがあるため現代に付け足されたものと見られる
というわけで、多くの学者が「偽物の可能性が高い」と判断したことで、おそらく1980年代の後半くらいで偽造品という扱いになったのだと思われる。ものごっつ古い本だとこの像が普通に真作として、エジプト美術の頂点の扱いで出てくるんだけど、ここ30年分くらいの本だと全然出てこないいですからね。贋作判定された、という情報自体が抜け落ちちゃってる。
なお個人的には、顔の、とくに眼の部分の作りが雑なのはちょっとありえんなあと思った。
古代エジプト人、眼の部分の造形はめちゃくちゃこだわるんで。眼ってホルスの眼と同じで、欠けたり歪んだりしたら絶対ダメな部分なんですよ。眼の形自体が完全性を現すので。
贋作と知ってから見てるので余計にそう感じるのかもしれないけど。
なおテティシェリは王族出身ではなく、おそらく平民か下級貴族の出身。にもかかわらず「王の偉大な妻」=正妻の地位を得て、おそらく次の王の摂政もやっていただろうとされるパワー系王妃の一人。
夫のセケエンラー・タア2世は、ミイラの損傷からしてヒクソスとの戦闘で戦死したと考えられている。おそらく彼女は、夫の死後に尽力して第17王朝の大ピンチを建て直した重要人物の一人なのだ。
第18王朝を創始するイアフメスは、彼女の甥または孫とされる。
あまり知名度のない王妃だが、古代エジプト新王国時代の繁栄は、もしかしたら彼女無くしては確立されなかったのかもしれない。