ピラミッドはなんのために作られたのか。(少なくとも金持ちの道楽では絶対にない)
「サピエンス全史」に以下のページがある。よりにもよってエジプトのピラミッド相手にこれ?! と唖然とさせられる内容だった。
全編に渡ってツッコミどころ満載でいちいちあげつらうのも面倒くさい本なのだが、ここだけは突っ込んでおこうと思ったので書いておく…。

このページが出てくるのは上巻、「脱出不可能な監獄」というセクションの中にある「想像上の秩序は私たちの欲望を形作る」と小見出しのつけられた部分。人々は社会的に定められた幻想に過ぎない欲望を満たそうとしている、という主張の説明につけられている。
「古代エジプトのエリート層同様、たいていの文化のたいていの人は、人生をピラミッドの建設に捧げる」とある。
要するに、「車が欲しい」「家が欲しい」「いいところに就職したい」のような目標は社会的な幻想に過ぎず、誰かに与えられたものであるのに、それが幸福であると信じて努力しているのだ、と言いたいらしいのだが、ここでピラミッドを出すのは不適切だ。
なぜなら、ピラミッドを建てられたのはエリート層ではなく王のみであり、王は想像上の秩序を現実のものとすることが出来る唯一の存在だったからである。
特に、ギザの大ピラミッドは、金をかければ作れる程度のものではない。国家事業以外では作ることの不可能な規模であり、当時の技術の粋を集めて建造された唯一無二のものである。このピラミッドを築くことは王以外の他の誰にも出来ず、そもそも前例の無い規模・構造のものであって、価値そのものを創造しているに等しい。
また、古代エジプトという国/国民は、国家事業として巨大なピラミッドを作ることにより形成されたという説すらある。一丸となって一つの大事業を成し遂げることによる結束、関われることによる誇り、記念的ミモニュメントを中心とした「我々は仲間だ」という意識の醸成。つまりピラミッドを作ることによって、古代エジプト王国はファラオを中心とした国民国家として一段レベルアップ出来た、という説だ。
さらに言えば、この本で他の箇所に書かれている、エジプトという国や国民という意識が初代ファラオの時代から確固たる概念として存在したという内容からして正確とは言えない。第二王朝の時代には国土が分裂しかかっており、ナイル上流の上エジプトと下流の下エジプトで争った形跡がある。
その時代を乗り越えて第三王朝末から巨大なピラミッド建造が開始される。
国/国民としての意識や概念がピラミッド作りとともに確立されたという説は、そうした歴史を前提としている。
この場所でピラミッドをたとえに出すことの不適切さがお分かりいただけるだろうか…。
ピラミッドは人生の目標のために建てるものではなく、むしろ概念の創造に近い。
国としての体裁を整えるための国家事業であったという説はあくまで説の一つだが、「王は神である」「ピラミッドは永遠の生を与えるものであり、死語に復活するための装置である」といった宗教的概念に説得力を与えるものだったことは確実に言える。
社会通念を「幻想に過ぎない」と全面的に切り捨てておきながら、「ではその幻想がいかに社会に定着し、現実にあるもののように振る舞うようになったのか」という過程を考えなかったから、こういう不適切な事例を使ってしまったのではないだろうか。
「他の人みたいに立派な墓が欲しい」程度の願望でエリート層が作っていたのは、中王国時代以降に一般的になる、いわゆる私人墓のほうだろう。
王以外の貴族や、書記などの特権階級が作ったもので、これは確かに人生を賭けてお金注ぎ込んで作るものである。少なくともピラミッドはそんなレベルのものではない。
…という感じでエジプトが引き合いに出されるところ片っ端から「いやおま、なんも知らんで書くな???!」ってなるし、それ以外の部分も同じくらいツッコミどころ満載なんで、読むのだいぶキツいんすよ。
前提が間違えてればそこから発展した議論も明後日の方向行くしかないんで、まあ…うん…。お察しくださいというやつです。
全編に渡ってツッコミどころ満載でいちいちあげつらうのも面倒くさい本なのだが、ここだけは突っ込んでおこうと思ったので書いておく…。
このページが出てくるのは上巻、「脱出不可能な監獄」というセクションの中にある「想像上の秩序は私たちの欲望を形作る」と小見出しのつけられた部分。人々は社会的に定められた幻想に過ぎない欲望を満たそうとしている、という主張の説明につけられている。
「古代エジプトのエリート層同様、たいていの文化のたいていの人は、人生をピラミッドの建設に捧げる」とある。
要するに、「車が欲しい」「家が欲しい」「いいところに就職したい」のような目標は社会的な幻想に過ぎず、誰かに与えられたものであるのに、それが幸福であると信じて努力しているのだ、と言いたいらしいのだが、ここでピラミッドを出すのは不適切だ。
なぜなら、ピラミッドを建てられたのはエリート層ではなく王のみであり、王は想像上の秩序を現実のものとすることが出来る唯一の存在だったからである。
特に、ギザの大ピラミッドは、金をかければ作れる程度のものではない。国家事業以外では作ることの不可能な規模であり、当時の技術の粋を集めて建造された唯一無二のものである。このピラミッドを築くことは王以外の他の誰にも出来ず、そもそも前例の無い規模・構造のものであって、価値そのものを創造しているに等しい。
また、古代エジプトという国/国民は、国家事業として巨大なピラミッドを作ることにより形成されたという説すらある。一丸となって一つの大事業を成し遂げることによる結束、関われることによる誇り、記念的ミモニュメントを中心とした「我々は仲間だ」という意識の醸成。つまりピラミッドを作ることによって、古代エジプト王国はファラオを中心とした国民国家として一段レベルアップ出来た、という説だ。
さらに言えば、この本で他の箇所に書かれている、エジプトという国や国民という意識が初代ファラオの時代から確固たる概念として存在したという内容からして正確とは言えない。第二王朝の時代には国土が分裂しかかっており、ナイル上流の上エジプトと下流の下エジプトで争った形跡がある。
その時代を乗り越えて第三王朝末から巨大なピラミッド建造が開始される。
国/国民としての意識や概念がピラミッド作りとともに確立されたという説は、そうした歴史を前提としている。
この場所でピラミッドをたとえに出すことの不適切さがお分かりいただけるだろうか…。
ピラミッドは人生の目標のために建てるものではなく、むしろ概念の創造に近い。
国としての体裁を整えるための国家事業であったという説はあくまで説の一つだが、「王は神である」「ピラミッドは永遠の生を与えるものであり、死語に復活するための装置である」といった宗教的概念に説得力を与えるものだったことは確実に言える。
社会通念を「幻想に過ぎない」と全面的に切り捨てておきながら、「ではその幻想がいかに社会に定着し、現実にあるもののように振る舞うようになったのか」という過程を考えなかったから、こういう不適切な事例を使ってしまったのではないだろうか。
「他の人みたいに立派な墓が欲しい」程度の願望でエリート層が作っていたのは、中王国時代以降に一般的になる、いわゆる私人墓のほうだろう。
王以外の貴族や、書記などの特権階級が作ったもので、これは確かに人生を賭けてお金注ぎ込んで作るものである。少なくともピラミッドはそんなレベルのものではない。
…という感じでエジプトが引き合いに出されるところ片っ端から「いやおま、なんも知らんで書くな???!」ってなるし、それ以外の部分も同じくらいツッコミどころ満載なんで、読むのだいぶキツいんすよ。
前提が間違えてればそこから発展した議論も明後日の方向行くしかないんで、まあ…うん…。お察しくださいというやつです。