アクエンアテンの築いた都・アマルナは疫病で放棄されたか?→その証拠は無さそう
昔から、アマルナの都は疫病によって放棄されたのではないか、という説が根強くある。
根拠となっているのは、アマルナ王家の王族がアクエンアテンの死と前後して立て続けに記録から消える(おそらく死亡した)こと、アマルナ文書のEA35にキプロス(古代名アラシヤ)の王が「ネルガルの手(=疫病)」によって銅遺品の生産が落ちていると連絡していること、など。それ以外にも、ツタンカーメンの死の直後くらいとされる時期にヒッタイト側で疫病の記録があることや、アクエンアテンの前の代にあたるアメンヘテプ3世が大量のセクメト女神(=戦女神であり疫病の支配者)の像を作られていることなども根拠とされることがある。
だが、アマルナ周辺の墓に埋められた死体の様態からして、疫病で大量死した証拠は見つからんよ…?
というのが今回見つけた研究。都市遺構の周囲に散らばる墓から出てきた遺体の数や属性を丁寧に分析しているので、これはなかなか面白い。
欲を言えば統計学的な視点も入れて確率割り出してもらいたかったが、まあ、人骨の状態が悪くて男女すらわからんやつが紛れてるみたいなんで、そこまで正確には出せなかったのかも。
Mortality Crisis at Akhetaten? Amarna and the Bioarchaeology of the Late Bronze Age Mediterranean Epidemic
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/736705
まず前提として、疫病によって大量死が発生した場合、死体は丁寧な埋葬はされない。向きを揃えるとか、副葬品を一緒に入れるとか、一人ずつ埋めるとかやってるヒマも労力もないし、丁寧に埋めてる間に自分も感染して倒れる。
なのでペストなどの場合、一つの大きな穴に山盛り積み重ねて人を放り込んでるのが典型例だ。また老若男女幅広く死んでるのも特徴になる。
しかしアマルナの墓ではそこまで酷い埋葬はされておらず、一つの穴に複数人つっこんで埋めてる場合も、成人と子供など親子や家族の組み合わせが考えられるケースが多いという。


アマルナの墓から見つかっているのはほとんどがミイラ化処理のされていない遺体だが、これは庶民はミイラ化する経済的余裕がなかったためだろうから特に問題ない。また乳幼児の死亡数が少ないとのことだが、乳幼児は骨が脆くもともと残りづらいのと、乳幼児については埋葬せずに川に流すなど埋葬方法が違っていた可能性もある。都市が数十年で放棄されているためそもそもの出生数が少なかった可能数もある。
状態の悪い遺骨から病原菌のDNAを検出するのは非常に難しいので今回はそれも試されていないが、まあ、めったに出てくることはないのでそこもいいかな。
都が使われていた期間を15-20年として、のべ人口を最小17,000人、最大42,350人とした場合の死者の数の最大/最小をシミュレーションしても、現在までに見つかっている主要な墓の死者数とだいたい一致するようなので、「いきなりめちゃくちゃ人が死んだ」という可能性は少ないようだ。

というわけなので、「埋葬されてる様式」「埋葬されてる人口規模」「年齢・性別のバラつき」を総合的に見て、アマルナの都で大量死を伴う疫病が流行っていたようには見えないよ、という結論になる。
まあ大量死しない風土病くらいはあったんだろうし、古代世界全体の傾向として乳幼児の死亡率は高かっただろうけどね。
*****
ちなみにアマルナ自体、生活環境が劣悪で労働者階級の若年層の死亡数は異常に多い、という研究も出ている。
そのあたりは以下を参照。
アクエンアテンは恐怖の独裁者だった? アマルナの都に隠された恐ろしい秘密が明らかに
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_14.html
アマルナの墓地と死者の数、そして埋葬のやり方について
https://55096962.seesaa.net/article/502856567.html
オマケとして、アマルナからは有名なネフェルティティの胸像以外にも一般庶民の像が多数でている。
もしかしたら、これらの「顔」の持ち主も墓から見つかった大量の骨の中にいるのかもしれない。
ネフェルティティの胸像とともに発見された遺物、知られざる習作の「顔」たち
https://55096962.seesaa.net/article/495878114.html
※ あと、冒頭に上げたアマルナ文書EA35だが、自宅にあった英訳資料を読み直してみたが、「ネルガルの手が自国にあるため銅職人が大量死してしまった。今回はあまり送れない」という記述は確かにあるのだが、そのあとに「あなたの使者が3年当地にとどめ置かれているのも病のせいです。銀を大量に送ってください。私の使者に渡してください。そうしたらお返しの品を送ります。」と続いていて、使者を人質にして銀をせびっているのでは? 病は言い訳では?? とも読めるため、「ネルガルの手」と呼ばれている病がどれほど深刻なのか、本当に使者を送り返せない理由が病なのかもわからない。
ヒッタイトで流行した疫病については、近隣の国も巻き込む規模で広がっていたらしいことが公式文書から読み取れるが、アラシヤで流行したものについては規模も内容も不明というのが妥当なところかなと思う。
根拠となっているのは、アマルナ王家の王族がアクエンアテンの死と前後して立て続けに記録から消える(おそらく死亡した)こと、アマルナ文書のEA35にキプロス(古代名アラシヤ)の王が「ネルガルの手(=疫病)」によって銅遺品の生産が落ちていると連絡していること、など。それ以外にも、ツタンカーメンの死の直後くらいとされる時期にヒッタイト側で疫病の記録があることや、アクエンアテンの前の代にあたるアメンヘテプ3世が大量のセクメト女神(=戦女神であり疫病の支配者)の像を作られていることなども根拠とされることがある。
だが、アマルナ周辺の墓に埋められた死体の様態からして、疫病で大量死した証拠は見つからんよ…?
というのが今回見つけた研究。都市遺構の周囲に散らばる墓から出てきた遺体の数や属性を丁寧に分析しているので、これはなかなか面白い。
欲を言えば統計学的な視点も入れて確率割り出してもらいたかったが、まあ、人骨の状態が悪くて男女すらわからんやつが紛れてるみたいなんで、そこまで正確には出せなかったのかも。
Mortality Crisis at Akhetaten? Amarna and the Bioarchaeology of the Late Bronze Age Mediterranean Epidemic
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/736705
まず前提として、疫病によって大量死が発生した場合、死体は丁寧な埋葬はされない。向きを揃えるとか、副葬品を一緒に入れるとか、一人ずつ埋めるとかやってるヒマも労力もないし、丁寧に埋めてる間に自分も感染して倒れる。
なのでペストなどの場合、一つの大きな穴に山盛り積み重ねて人を放り込んでるのが典型例だ。また老若男女幅広く死んでるのも特徴になる。
しかしアマルナの墓ではそこまで酷い埋葬はされておらず、一つの穴に複数人つっこんで埋めてる場合も、成人と子供など親子や家族の組み合わせが考えられるケースが多いという。
アマルナの墓から見つかっているのはほとんどがミイラ化処理のされていない遺体だが、これは庶民はミイラ化する経済的余裕がなかったためだろうから特に問題ない。また乳幼児の死亡数が少ないとのことだが、乳幼児は骨が脆くもともと残りづらいのと、乳幼児については埋葬せずに川に流すなど埋葬方法が違っていた可能性もある。都市が数十年で放棄されているためそもそもの出生数が少なかった可能数もある。
状態の悪い遺骨から病原菌のDNAを検出するのは非常に難しいので今回はそれも試されていないが、まあ、めったに出てくることはないのでそこもいいかな。
都が使われていた期間を15-20年として、のべ人口を最小17,000人、最大42,350人とした場合の死者の数の最大/最小をシミュレーションしても、現在までに見つかっている主要な墓の死者数とだいたい一致するようなので、「いきなりめちゃくちゃ人が死んだ」という可能性は少ないようだ。
というわけなので、「埋葬されてる様式」「埋葬されてる人口規模」「年齢・性別のバラつき」を総合的に見て、アマルナの都で大量死を伴う疫病が流行っていたようには見えないよ、という結論になる。
まあ大量死しない風土病くらいはあったんだろうし、古代世界全体の傾向として乳幼児の死亡率は高かっただろうけどね。
*****
ちなみにアマルナ自体、生活環境が劣悪で労働者階級の若年層の死亡数は異常に多い、という研究も出ている。
そのあたりは以下を参照。
アクエンアテンは恐怖の独裁者だった? アマルナの都に隠された恐ろしい秘密が明らかに
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_14.html
アマルナの墓地と死者の数、そして埋葬のやり方について
https://55096962.seesaa.net/article/502856567.html
オマケとして、アマルナからは有名なネフェルティティの胸像以外にも一般庶民の像が多数でている。
もしかしたら、これらの「顔」の持ち主も墓から見つかった大量の骨の中にいるのかもしれない。
ネフェルティティの胸像とともに発見された遺物、知られざる習作の「顔」たち
https://55096962.seesaa.net/article/495878114.html
※ あと、冒頭に上げたアマルナ文書EA35だが、自宅にあった英訳資料を読み直してみたが、「ネルガルの手が自国にあるため銅職人が大量死してしまった。今回はあまり送れない」という記述は確かにあるのだが、そのあとに「あなたの使者が3年当地にとどめ置かれているのも病のせいです。銀を大量に送ってください。私の使者に渡してください。そうしたらお返しの品を送ります。」と続いていて、使者を人質にして銀をせびっているのでは? 病は言い訳では?? とも読めるため、「ネルガルの手」と呼ばれている病がどれほど深刻なのか、本当に使者を送り返せない理由が病なのかもわからない。
ヒッタイトで流行した疫病については、近隣の国も巻き込む規模で広がっていたらしいことが公式文書から読み取れるが、アラシヤで流行したものについては規模も内容も不明というのが妥当なところかなと思う。