エジプト人から見た動乱の記憶「変わるエジプト、変わらないエジプト」

アメリカのニューヨークで、初のムスリム(男性イスラム教徒)の市長が誕生したらしい。
「ムスリム同胞団の援助を受けている」などの真偽不明な話が飛び交っているが、それで思い出したのが、2012年にエジプト大統領になったものの、わずか1年で失脚に追い込まれたムルシー氏である。

ムスリム同胞団というのはエジプトで成立した、どちらかというと原理主義に近いイスラム教政治団体である。長年独裁者として君臨したムバーラク氏が失脚したクーデター後、初の選挙で大統領になったムルシー氏は、この団体の支援を受けていた。彼も当初は、民衆にとって耳触りの良い、実に民衆寄りの公約を掲げていたものだ。

しかし就任直後から身内びいきや同胞団びいきを前面に押し出し、公約は一つも達成できない代わりに公約には無かった事項を次々と可決させ、動乱の果てに軍部まで離反、ほとんど強制的に失脚に追い込まれていった。この時代のエジプトの治安悪化と無政府状態は考古学ファンにとってもキツいもので、管理もされず遺跡が荒れ果てていくニュースをただ眺めていることしか出来なかった。

その後、再び独裁的な支配者であるシーシ氏が就任してようやく動乱は収まったのだ。エジプトにおける、「アラブの春」大失敗の暗い一幕である。

新しいニューヨーク市長に支援団体があるかどうかは今段階ではわからないが、打ち出している政策の方向は似通っている。一見して貧困層に寄り添うように見える、だが実際には実現不可能に思える公約の数々。ムルシー氏は公約を達成できず、身内びいきに走り、結局はエジプト国民のアグレッシブな抗議行動によって1年で失脚した。同じような事態にならなければいいのだが。いざとなったとき、果たしてNY市民はどうするのか。離反する軍部もいないNYでは、決定打となるものもないような気がするので、政策に失敗するとあとで色々揺り戻しが来そうで面倒くさいなと思っている。


――前置きが長くなったが、以前読んだ本を思い出したので、その話をしたい。
エジプト人と日本人のハーフの人が書いた本、「変わるエジプト、変わらないエジプト」。ムバーラク打倒からムルシー氏の失脚までの話が出ていた。そして地元民らしくムルシーのどこがダメだったのか怒りを込めて書いていた。

変わるエジプト、変わらないエジプト - 師岡 カリーマ エルサムニー
変わるエジプト、変わらないエジプト - 師岡 カリーマ エルサムニー

この本を読んだ時、エジプト人はなぜ長年独裁者を頂いてきたのか、という疑問が少しとけたような気がした。我慢できるラインが決まっていて、そこを越えると一気にブチギレする性質なんじゃないかな、と。
独裁者に寛容というわけではなく、耐えられる範囲ではブツブツ文句言いながら耐えてる(もしくは流してる)けど、「やったらダメなこと」に踏み込まれた瞬間、とんでもない勢いで抵抗しはじめる、みたいな感じ。ムルシー氏はそのラインを越えてしまったのだろう。そしてシーシ氏はラインの見極めをうまくやっているから今も玉座にいられる。

何しろ書いている人が日本生まれエジプト育ちで、エジプト文化に通じていて日本語もネイティブレベルなので、他の本では味わえないテイストだった。

ファラフェル(ターメイヤ)に対する愛情。旅行先のNYで食べたファラフェル・サンドに対するこだわり。
ラマダンあけにどうしてもターメイヤ食べたくて車を走らせた話とか。食べ物に対する意地汚さ(?)は日本人っぽさもあるのだが、こだわるソウルフードがターメイヤなあたりはエジプト人。

あと、なんといってもラメセス2世像に関する思い出の話が面白い。
ついこないだ開館した、大エジプト博物館の入口にででんと立っているラメセス2世像は、かつてカイロのど真ん中のジャンクションに立てられていた。移動したのは2018年。

ラメセス2世、ギザの地に立つ! ~開館準備中の大エジプト博物館前へ
https://55096962.seesaa.net/article/201801article_12.html

建設中の大エジプト博物館がマジででけぇ
https://55096962.seesaa.net/article/201804article_12.html

著者はこの像を子供の頃から、通りかかるたびに眺めていたらしい。その像が移動してしまうというので寂しくなった、と書いていて、なるほど近所の人からするとそういう感覚なのか…と思った。たぶん日本で言うと、駅前に立ってるご当地の武将の像みたいなものなのだろう。
「イスラエルに出エジプトのファラオの像をどかせと言われたので移転させるのだ」みたいな、真偽不明の噂も当時はあったらしい。グローバルなニュースにはそんな話は出てこないが。

またエジプトはイスラム教の国であり、本来のアイデンティティとしてはイスラームのはずなのだが、現在のエジプトの教育だとファラオの時代は偉大な祖先たちの歴史として扱われており、世界最古の文明を築いたのは我々だ、くらいの、民族の誇りとして教育されているらしい。客観的に見るとアイデンティティの軸がブレてるのでは? という話も書かれていた。
(おそらく、ムスリム同胞団のような原理主義寄りの団体からするとそれも気に入らない事項の一つ。エジプトを純イスラームな国にしたい、というのもムルシー氏の政策の一つだった)


というわけで、この本は、近代的なグローバル世界に属しつつ、ファラオの時代を自分たちの祖先とする歴史観を持ちながら、敬虔なイスラームの国でもあろうとする、多層構造なエジプトに生きる日本xエジプトのハーフ、という、多彩なアイデンティティの折り重なる書きっぷりが面白い一冊であった。

最初のニューヨークに話を戻すと、アメリカという国も、多彩なアイデンティティの折り重なる国である。そして、サラダボウルに喩えられるように、それらのアイデンティティは決して混じり合うことなく、時にお互いを牽制しあいながら存在している。
エジプトでは「ワタン」「ワタニーヤ」の言葉のもとに相反する歴史観やアイデンティティも混じり合うことが出来たのだが、アメリカではそうではない。とすると、突出した個性やアイデンティティを持つ者が実権を握った場合にこれからどうなるのか。ある意味、実験的な"見もの"ではあるな、と思いながら事態を眺めておきたい。