謎多きメディア王国の政治形態は「王なき国家」? 歴史記録が混乱している理由とは
数年前、ふと思い立ってメディア王国について調べてみたことがある。とにかく資料の無い勢力で、ペルシアの前にイランで栄えたらしい、くらいしか分からない。主にギリシャ語資料で研究されているのだが、その資料の内容と、実際に出てくる遺跡・遺物の内容が一致しない、という厄介な政体なのである。
そいうやメディア王国ってちゃんと調べたことなかったよなー、というわけで軽く調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/202111article_14.html
で、ひょんなことから、適当に読んでた本の中にヒントを見つけた。
この↓本の第五章である。

考古学の黎明 最新研究で解き明かす人類史
この本は、いろんな文明・社会をオムニバス形式で紹介して「実際の文明では社会や国家のあり方は多種多様なんじゃよ。必ずしも中央集権的な社会を選択するわけではないし、そういう社会を選択した文明が成熟しているというわけでもないんじゃよ」と述べている本なのだが、その中でメディアは「国土なき帝国、王なき国家」と説明されている。
どういうことかというと、王の代わりに、おそらく地域ごとの代表者がいて、全体を統治する者はいない。地域と地域が同盟を結んでいるような、いわば「ゆるやかな政治連合」だっただろう、というのだ。つまりは拡大した部族社会である。
これを読んだ時、最初に浮かんだのはクルディスタンだった。
大雑把にクルド人、と呼ばれる、実際にはいくつもの部族・氏族の連合体。クルディスタン自体は国ではないが、イラクのクルド自治区は代表者による合議制であり、国とは認められていないものの、国に似た政治形態になっている。
メーデ人が選択していた社会のあり方が現代のクルディスタンに似た部族・氏族の連合体だとすると、確かに「王はいない」し、領域国家としての「国土」もない。通婚関係などのある部族間での連合を身内とみなし、身内以外の部族などが領域に侵入してきたら共同で防衛に当たるとか、どこかの部族が攻撃を受けたら皆で迎撃に出ていくとかしていたのなら、外から見れば一つの国家を形成しているように見えただろう。
そしてイラン高原地域は、歴史的に遊牧民の土地だった。すぐ隣のメソポタミア地域は根っからの定住・農耕民で最初に成立するのが都市国家なので、おそらく、社会の発展のルートが全く違う。互いの選択した社会構造が違いすぎて、メソポタミア文明に属するアッシリアや、東地中海文明に属するギリシャからは理解不能で、記録に一貫性が無いものとなってしまった可能性は、確かにある。
全く別の話になるが、似たような「社会構造が違いすぎて実態と記録が全然違う」という現象は、日本にやってきた宣教師の残した記録で見たことがある。↓この本だ。
戦国の世の日本王権論『イエズス会がみた「日本国王」』
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_12.html
彼らは「天皇」「将軍」の二重権力構造がイマイチ理解できず、各国にいる大名が「国王」なのか、なら将軍は何になるのか、などと、あれこれ頭を悩ませたらしい。日本の権力構造に慣れている日本人からすると思いつきもしないような勘違いも飛び出してくる。
たぶん、政治形態の異なる社会に触れた時の反応って、古代だろうが中世だろうが対して変わらんと思うんだよ…。
特に古代なんて人づてに話聞くだけってことも多いだろうから、メディアの政治形態が王を頂点とする領域国家で無かった場合、ギリシャ人やアッシリア人には意味不明な人間のまとまりに見えたと思うんだよ…。実態は拡大された部族社会みたいなもものなのにもかかわらず、文化レベルは低くなく、未開とは呼べない集団だったんだから、尚更ね…。
まあなんか、私の中で正体不明だったメディア王国が、なんとなく実態を伴った存在として見えてきた。
とはいえ、メディア人自身が書き残した記録が全然ないのは相変わらず痛い。遺物や状況証拠だけから、どこまで突っ込んだ議論が出来るのか。あとは専門家の学者さん次第。
そいうやメディア王国ってちゃんと調べたことなかったよなー、というわけで軽く調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/202111article_14.html
で、ひょんなことから、適当に読んでた本の中にヒントを見つけた。
この↓本の第五章である。

考古学の黎明 最新研究で解き明かす人類史
この本は、いろんな文明・社会をオムニバス形式で紹介して「実際の文明では社会や国家のあり方は多種多様なんじゃよ。必ずしも中央集権的な社会を選択するわけではないし、そういう社会を選択した文明が成熟しているというわけでもないんじゃよ」と述べている本なのだが、その中でメディアは「国土なき帝国、王なき国家」と説明されている。
どういうことかというと、王の代わりに、おそらく地域ごとの代表者がいて、全体を統治する者はいない。地域と地域が同盟を結んでいるような、いわば「ゆるやかな政治連合」だっただろう、というのだ。つまりは拡大した部族社会である。
これを読んだ時、最初に浮かんだのはクルディスタンだった。
大雑把にクルド人、と呼ばれる、実際にはいくつもの部族・氏族の連合体。クルディスタン自体は国ではないが、イラクのクルド自治区は代表者による合議制であり、国とは認められていないものの、国に似た政治形態になっている。
メーデ人が選択していた社会のあり方が現代のクルディスタンに似た部族・氏族の連合体だとすると、確かに「王はいない」し、領域国家としての「国土」もない。通婚関係などのある部族間での連合を身内とみなし、身内以外の部族などが領域に侵入してきたら共同で防衛に当たるとか、どこかの部族が攻撃を受けたら皆で迎撃に出ていくとかしていたのなら、外から見れば一つの国家を形成しているように見えただろう。
そしてイラン高原地域は、歴史的に遊牧民の土地だった。すぐ隣のメソポタミア地域は根っからの定住・農耕民で最初に成立するのが都市国家なので、おそらく、社会の発展のルートが全く違う。互いの選択した社会構造が違いすぎて、メソポタミア文明に属するアッシリアや、東地中海文明に属するギリシャからは理解不能で、記録に一貫性が無いものとなってしまった可能性は、確かにある。
全く別の話になるが、似たような「社会構造が違いすぎて実態と記録が全然違う」という現象は、日本にやってきた宣教師の残した記録で見たことがある。↓この本だ。
戦国の世の日本王権論『イエズス会がみた「日本国王」』
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_12.html
彼らは「天皇」「将軍」の二重権力構造がイマイチ理解できず、各国にいる大名が「国王」なのか、なら将軍は何になるのか、などと、あれこれ頭を悩ませたらしい。日本の権力構造に慣れている日本人からすると思いつきもしないような勘違いも飛び出してくる。
たぶん、政治形態の異なる社会に触れた時の反応って、古代だろうが中世だろうが対して変わらんと思うんだよ…。
特に古代なんて人づてに話聞くだけってことも多いだろうから、メディアの政治形態が王を頂点とする領域国家で無かった場合、ギリシャ人やアッシリア人には意味不明な人間のまとまりに見えたと思うんだよ…。実態は拡大された部族社会みたいなもものなのにもかかわらず、文化レベルは低くなく、未開とは呼べない集団だったんだから、尚更ね…。
まあなんか、私の中で正体不明だったメディア王国が、なんとなく実態を伴った存在として見えてきた。
とはいえ、メディア人自身が書き残した記録が全然ないのは相変わらず痛い。遺物や状況証拠だけから、どこまで突っ込んだ議論が出来るのか。あとは専門家の学者さん次第。