「遊牧民は巨大モニュメントを作らない」の誤解はどこから来たか。もしかして全く定住していないと思われている…?
昔から、「遊牧民は巨大モニュメントを作らない」「騎馬遊牧民に遺跡はない」のような誤解を見かけるたびに、なんでそんな考えになるのかが分からなかった。
たとえば、ペトラ遺跡はナバタイ人という遊牧民が作った遺跡である。巨大かつ壮麗、文化レベルも高い。ペトラに限らず、アラビア半島には類似する遺跡が幾つも存在しているので、遊牧民でも巨大モニュメントを作ることがあるのは揺るがない事実である。
また騎馬遊牧民の作った遺跡なら、ヘレスクルや鹿石に代表される騎馬遊牧民の遺跡が、ユーラシアの平原地帯に多数存在する。こちらもヘレスクルの副葬品などから見て文化レベルは低くないし、数や範囲を考えれば一過性のものではなく、一つの文明と言っていいレベルに達している。
それら固有の事例を知らない人がいるにしても、繰り返し誤解が表出するからには、何か根本的な勘違いがあるのではないかと思っていた。
そして根底にあるのは、もしかしたら遊牧という生活スタイルに対する誤解ではないかと気がついたのだ。つまり、「遊牧生活=一切定住しない、その日暮らし」と思われている、とかの。
もちろん、これは間違いである。
実際の遊牧生活は、よく知った範囲から先へは行かない。
つまり、一箇所に居住するのが「定住」なら、状況に応じて複数箇所に居住するのが「遊牧」と言っていい。
家畜を連れての生活に移住が必要なのは、家畜が草を食い尽くしてしまうからである。
で、食べられる草、季節ごとに家畜のエサが豊富な土地、というものは、あらかじめ知っていなければならない。全く知らない土地に行って、そこが不毛の土地だったら、財産である家畜を無駄に死なせることになる。なので遊牧生活では、「利用できる資源があることを知っている土地」の中をグルグル移動することになる。
これは、アフリカの野生の草食動物が、食べ物を求めて雨季と乾季で移動を繰り返している生活を思い浮かべるとわかりやすい。
雨季と乾季のある土地ではそうなるし、ツバメのように、夏と冬で温暖な地域を求めて移動する動物もいる。またアンデスやアルプスのように近くに山岳地帯のある地域なら、高度差を利用して上下に移動するというのもある。
これらの動物たちは皆、一定の範囲内を移動する。動物を飼うのが人間に変わっても、その移動スタイルは基本的に変わらない。
全く知らない土地に移動するのは、大きな気候変動があったとか、災害、戦争などの大きな出来事が発生した時だけだ。
ということは、「移動生活をしているから遺跡が作れない」ということはない。複数ある定住地のうち長く滞在するところ、または特定の季節に人が集まりやすいところなどでは、目印や記念碑となるモニュメントを作るだけの余地はある。
モニュメントや記念碑は、強力な支配者や王権がなくとも作られることがある。これは既に多くの事例が知られており、コトシュに代表されるアンデスの初期文明も、トルコ南部のギョベックリ・テペなどの遺跡も、日本の縄文時代の遺跡、ストーンヘンジなどもそう。狩猟採集民だろうが騎馬遊牧民だろうが、王や権力者がいなかろうが関係ない。生活スタイルや社会構造は、モニュメントや遺跡の有無、規模を決める要素にはならない。
唯一、要素となりそうなのが「人口規模」と「人口密度」。これはまあ、「ある程度の人手がなければ大きな遺跡は作れない」という当たり前の話であり、人が集まりやすい/人口密度が高いイメージがあるのは確かに定住農耕民のほうなのだが、エジプトのナイル河岸のような人口密度が極端に高い地域を除けば、定住農耕民だからといって必ずしも巨大な人口を抱えるわけではない。なので場所/時代による、としか言えない。
繰り返しになるが、巨大モニュメントや遺跡の有無、そして背景にある文化・文明のレベルは、生活スタイルや社会構造では決まらない。
場所と時代の条件次第。
あと、遊牧民はモノをあまり持たないとか、モノに固執しない、という誤解もよく見かけるのだが、そんな人に読んでもらいたいのがコレ。
むしろ、モノを頻繁に持ち運ぶがゆえにモノに対する思い入れが強い。また、「情報」もモノの一種として扱われ、客人をもてなす見返りとして情報を求める、街に出て仕入れてきた話を手土産としてもてなしを受けに行く、などのルールも興味深い。

交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 - 堀田あゆみ
これはモンゴルでの事例なので他の地域では違うところもあるかもしれないが、少なくとも、「遊牧民だからモノに固執しない・持たない」という概念は一般論としては不適切、とは言える。
それと、近年ではアラビア半島の遺跡調査が進み、アラビア半島の遊牧民の古代の様相も少しずつわかりはじめているので、参考としてつけておく。
サウジアラビア~ヨルダンの砂漠に作られた「デザート・カイト」、設計図ありだった
https://55096962.seesaa.net/article/499396716.html
サウジアラビアの「地上絵」、水源から水源へ向かう通路上に設置された「葬送の道」だった可能性が示唆される
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_16.html
サウジアラビアの謎の「地上絵」のうち、長方形のものについて続報が出たぞ! というわけで
https://55096962.seesaa.net/article/202105article_5.html
というわけなので、知識と概念は新しい知見で上書きしていきましょう…。
たとえば、ペトラ遺跡はナバタイ人という遊牧民が作った遺跡である。巨大かつ壮麗、文化レベルも高い。ペトラに限らず、アラビア半島には類似する遺跡が幾つも存在しているので、遊牧民でも巨大モニュメントを作ることがあるのは揺るがない事実である。
また騎馬遊牧民の作った遺跡なら、ヘレスクルや鹿石に代表される騎馬遊牧民の遺跡が、ユーラシアの平原地帯に多数存在する。こちらもヘレスクルの副葬品などから見て文化レベルは低くないし、数や範囲を考えれば一過性のものではなく、一つの文明と言っていいレベルに達している。
それら固有の事例を知らない人がいるにしても、繰り返し誤解が表出するからには、何か根本的な勘違いがあるのではないかと思っていた。
そして根底にあるのは、もしかしたら遊牧という生活スタイルに対する誤解ではないかと気がついたのだ。つまり、「遊牧生活=一切定住しない、その日暮らし」と思われている、とかの。
もちろん、これは間違いである。
実際の遊牧生活は、よく知った範囲から先へは行かない。
つまり、一箇所に居住するのが「定住」なら、状況に応じて複数箇所に居住するのが「遊牧」と言っていい。
家畜を連れての生活に移住が必要なのは、家畜が草を食い尽くしてしまうからである。
で、食べられる草、季節ごとに家畜のエサが豊富な土地、というものは、あらかじめ知っていなければならない。全く知らない土地に行って、そこが不毛の土地だったら、財産である家畜を無駄に死なせることになる。なので遊牧生活では、「利用できる資源があることを知っている土地」の中をグルグル移動することになる。
これは、アフリカの野生の草食動物が、食べ物を求めて雨季と乾季で移動を繰り返している生活を思い浮かべるとわかりやすい。
雨季と乾季のある土地ではそうなるし、ツバメのように、夏と冬で温暖な地域を求めて移動する動物もいる。またアンデスやアルプスのように近くに山岳地帯のある地域なら、高度差を利用して上下に移動するというのもある。
これらの動物たちは皆、一定の範囲内を移動する。動物を飼うのが人間に変わっても、その移動スタイルは基本的に変わらない。
全く知らない土地に移動するのは、大きな気候変動があったとか、災害、戦争などの大きな出来事が発生した時だけだ。
ということは、「移動生活をしているから遺跡が作れない」ということはない。複数ある定住地のうち長く滞在するところ、または特定の季節に人が集まりやすいところなどでは、目印や記念碑となるモニュメントを作るだけの余地はある。
モニュメントや記念碑は、強力な支配者や王権がなくとも作られることがある。これは既に多くの事例が知られており、コトシュに代表されるアンデスの初期文明も、トルコ南部のギョベックリ・テペなどの遺跡も、日本の縄文時代の遺跡、ストーンヘンジなどもそう。狩猟採集民だろうが騎馬遊牧民だろうが、王や権力者がいなかろうが関係ない。生活スタイルや社会構造は、モニュメントや遺跡の有無、規模を決める要素にはならない。
唯一、要素となりそうなのが「人口規模」と「人口密度」。これはまあ、「ある程度の人手がなければ大きな遺跡は作れない」という当たり前の話であり、人が集まりやすい/人口密度が高いイメージがあるのは確かに定住農耕民のほうなのだが、エジプトのナイル河岸のような人口密度が極端に高い地域を除けば、定住農耕民だからといって必ずしも巨大な人口を抱えるわけではない。なので場所/時代による、としか言えない。
繰り返しになるが、巨大モニュメントや遺跡の有無、そして背景にある文化・文明のレベルは、生活スタイルや社会構造では決まらない。
場所と時代の条件次第。
あと、遊牧民はモノをあまり持たないとか、モノに固執しない、という誤解もよく見かけるのだが、そんな人に読んでもらいたいのがコレ。
むしろ、モノを頻繁に持ち運ぶがゆえにモノに対する思い入れが強い。また、「情報」もモノの一種として扱われ、客人をもてなす見返りとして情報を求める、街に出て仕入れてきた話を手土産としてもてなしを受けに行く、などのルールも興味深い。

交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 - 堀田あゆみ
これはモンゴルでの事例なので他の地域では違うところもあるかもしれないが、少なくとも、「遊牧民だからモノに固執しない・持たない」という概念は一般論としては不適切、とは言える。
それと、近年ではアラビア半島の遺跡調査が進み、アラビア半島の遊牧民の古代の様相も少しずつわかりはじめているので、参考としてつけておく。
サウジアラビア~ヨルダンの砂漠に作られた「デザート・カイト」、設計図ありだった
https://55096962.seesaa.net/article/499396716.html
サウジアラビアの「地上絵」、水源から水源へ向かう通路上に設置された「葬送の道」だった可能性が示唆される
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_16.html
サウジアラビアの謎の「地上絵」のうち、長方形のものについて続報が出たぞ! というわけで
https://55096962.seesaa.net/article/202105article_5.html
というわけなので、知識と概念は新しい知見で上書きしていきましょう…。