古代ローマ全盛期の光と闇「ローマ五賢帝 『輝ける世紀』の虚像と実体」
ローマの五賢帝時代といえば、帝国の版図を最大にしたトラヤヌスを筆頭に、有名な皇帝たちが勢揃いした「輝けるローマの黄金時代」である。
五賢帝とかいうカッコいいネーミングもそうだが、政治的に安定し、人類が最も幸福だった時代とさえ表現されることがある。
しかし、その実体は果たしてどうだったのか。この時代の政治の特徴とは…? 光が強ければまた陰も深くなる、というわけでこの本は研究者から見た「陰」を描き出すことで五賢帝時代のローマの実像に迫ろうとした構成になっている。

ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像 (講談社学術文庫) - 南川高志
この本の主役は五賢帝の二人目のトラヤヌスと、三人目のハドリアヌスである。トラヤヌスは軍人皇帝として遠征を繰り返し、ハドリアヌスは旅する皇帝として帝国内をくまなく渡り歩いた。帝国の最果て、ブリテン島に「ハドリアヌスの長城」を築かせたことでも有名である。そしてハドリアヌスは有名にもかかわらず評判が悪く、皇帝に指名された経緯からして陰のある人物であった。
この時代はヒットして映画にもなったマンガ「テルマエ・ロマエ」の舞台になっていて、ハドリアヌスの少年愛の話は作中でも取り上げられていた。なので、ハドリアヌスが民衆とともに大衆浴場に入る話などは一般読者でもイメージしやすい時代になったのではないかと思う。なんなら、映画見てれば街並のイメージまでつく。

テルマエ・ロマエI (ビームコミックス) - ヤマザキ マリ
が、中の人にとって「五賢帝時代」は、「パルティアとバチバチやりあってた」というイメージのほうが強い。アルメニアはローマとパルティアの間に挟まれてもいっつも軍隊の通り道である。ヨーロッパになんか似たようなポジションの国があるけど、よく両者とも生き残れたな…。
なので最初からローマ五賢帝時代に「光」を感じたことはあまり無い。(詳細は以下の本など)

ローマとパルティア: 二大帝国の激突三百年史 - ローズ マリー シェルドン, 三津間 康幸
五賢帝時代のローマは、むしろ暴力を特徴とし、他社や他民族を飲み込んで拡大していくことを宿命づけられた帝国主義の呪いみたいな時代と感じていたので、「陰」から描き出すこの本のやり方はわかりやすかった。
皇帝と貴族の関係、ローマの身分階級制度の弱点と変革。拡大路線だったハドリアヌスまでの時代から、国土を安定させたアントニウス帝、そして属州の反乱や蛮族の侵入に手を焼いた五賢帝最後のマルクス帝に至るまでの流れは、当然の帰結として理解出来た。
つまりは日本でいう「公家」の時代と「武家」の時代の入れ替わりである。
古い家系や生え抜き貴族は、五賢帝の時代を通じて断絶するなどしてほとんど入れかわり、新興貴族や属州出身者が台頭する。そして歴史ある古い家柄(=日本でいう公家)に軍を率いさせたのでは属州の反乱や蛮族の侵入に対抗できず、プロ軍人である騎士階級(=日本でいう武家)に権力を与えて兵を率いさせる必要が出てきた。
その結果、武家が実権を握り、叩き上げの兵士から皇帝になれてしまう時代になる。この皇帝が「御恩と奉公」を果たせないとなればサックリ暗殺されちゃったりを繰り返し、結局、西ローマは滅びてしまう。
まあ、日本における天皇家みたいな絶対的権威、タテマエ上の最高権力者がいなかったのが違ったね…。
というか東西ローマよろしく日本も公家の時代から武家の時代に移り変わったあとで南北朝時代はやったんだけど、うまいこと再結合出来たからなあ…。
それと、五賢帝の時代は実子に帝位を継がせず優れた後継者を養子に迎えることで黄金時代が築かれたとかつては言われていたものの、実際はそんな良いシステムではなく、一族内で権力を掌握するための「タテマエ上の」システムに過ぎなかった、というのもこの本に書かれていた。というか養子縁組制度にはほとんど実体が無かったのでは。という説である。
ハドリアヌスに至っては、養子にされたのがトラヤヌスの死の床で、実際に養子にされたのかどうかすらわからんらしい。それも五賢帝時代の「陰」の一つである。
昔から、あれほど栄えたローマはなぜ滅びたのか、という言い方を時々見かけた。五賢帝の時代、ローマは確かに栄えていた。この時代の直後から斜陽となっていくのは事実である。
ただ、改めて読んでいくと、トラヤヌスの拡大路線の時代からして既に怪しかったんだなこれ…という気持ちにさせられた。システムを維持できる限界を越えて拡大した時から、否、拡大「せざるを得なくなっていった」時から、ローマはいずれ崩壊することが決まっていたのだろうと思う。
冒頭で紹介した「ローマとパルティア」という本では、ローマが執拗にパルティアを攻めて無駄に兵力と財産を消費し、パルティアを滅ぼしてしまった結果、ペルシアというラスボス的な敵対勢力の台頭を止められなくなってしまった。という説が書かれていた。
もしもカルタゴとエジプトを滅ぼしたあたりで止めておけば、もしも限界まで拡大路線に走らずもっと早く内政に手を回していたら、ローマの運命は変わっていたのか。
その場合、五賢帝は五賢帝と呼ばれず、五賢帝の時代もローマの黄金時代とも呼ばれなかったかもしれないが、歴史ifとして考えてみるのは面白いかもしれない。
五賢帝とかいうカッコいいネーミングもそうだが、政治的に安定し、人類が最も幸福だった時代とさえ表現されることがある。
しかし、その実体は果たしてどうだったのか。この時代の政治の特徴とは…? 光が強ければまた陰も深くなる、というわけでこの本は研究者から見た「陰」を描き出すことで五賢帝時代のローマの実像に迫ろうとした構成になっている。

ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像 (講談社学術文庫) - 南川高志
この本の主役は五賢帝の二人目のトラヤヌスと、三人目のハドリアヌスである。トラヤヌスは軍人皇帝として遠征を繰り返し、ハドリアヌスは旅する皇帝として帝国内をくまなく渡り歩いた。帝国の最果て、ブリテン島に「ハドリアヌスの長城」を築かせたことでも有名である。そしてハドリアヌスは有名にもかかわらず評判が悪く、皇帝に指名された経緯からして陰のある人物であった。
この時代はヒットして映画にもなったマンガ「テルマエ・ロマエ」の舞台になっていて、ハドリアヌスの少年愛の話は作中でも取り上げられていた。なので、ハドリアヌスが民衆とともに大衆浴場に入る話などは一般読者でもイメージしやすい時代になったのではないかと思う。なんなら、映画見てれば街並のイメージまでつく。

テルマエ・ロマエI (ビームコミックス) - ヤマザキ マリ
が、中の人にとって「五賢帝時代」は、「パルティアとバチバチやりあってた」というイメージのほうが強い。アルメニアはローマとパルティアの間に挟まれてもいっつも軍隊の通り道である。ヨーロッパになんか似たようなポジションの国があるけど、よく両者とも生き残れたな…。
なので最初からローマ五賢帝時代に「光」を感じたことはあまり無い。(詳細は以下の本など)

ローマとパルティア: 二大帝国の激突三百年史 - ローズ マリー シェルドン, 三津間 康幸
五賢帝時代のローマは、むしろ暴力を特徴とし、他社や他民族を飲み込んで拡大していくことを宿命づけられた帝国主義の呪いみたいな時代と感じていたので、「陰」から描き出すこの本のやり方はわかりやすかった。
皇帝と貴族の関係、ローマの身分階級制度の弱点と変革。拡大路線だったハドリアヌスまでの時代から、国土を安定させたアントニウス帝、そして属州の反乱や蛮族の侵入に手を焼いた五賢帝最後のマルクス帝に至るまでの流れは、当然の帰結として理解出来た。
つまりは日本でいう「公家」の時代と「武家」の時代の入れ替わりである。
古い家系や生え抜き貴族は、五賢帝の時代を通じて断絶するなどしてほとんど入れかわり、新興貴族や属州出身者が台頭する。そして歴史ある古い家柄(=日本でいう公家)に軍を率いさせたのでは属州の反乱や蛮族の侵入に対抗できず、プロ軍人である騎士階級(=日本でいう武家)に権力を与えて兵を率いさせる必要が出てきた。
その結果、武家が実権を握り、叩き上げの兵士から皇帝になれてしまう時代になる。この皇帝が「御恩と奉公」を果たせないとなればサックリ暗殺されちゃったりを繰り返し、結局、西ローマは滅びてしまう。
まあ、日本における天皇家みたいな絶対的権威、タテマエ上の最高権力者がいなかったのが違ったね…。
というか東西ローマよろしく日本も公家の時代から武家の時代に移り変わったあとで南北朝時代はやったんだけど、うまいこと再結合出来たからなあ…。
それと、五賢帝の時代は実子に帝位を継がせず優れた後継者を養子に迎えることで黄金時代が築かれたとかつては言われていたものの、実際はそんな良いシステムではなく、一族内で権力を掌握するための「タテマエ上の」システムに過ぎなかった、というのもこの本に書かれていた。というか養子縁組制度にはほとんど実体が無かったのでは。という説である。
ハドリアヌスに至っては、養子にされたのがトラヤヌスの死の床で、実際に養子にされたのかどうかすらわからんらしい。それも五賢帝時代の「陰」の一つである。
昔から、あれほど栄えたローマはなぜ滅びたのか、という言い方を時々見かけた。五賢帝の時代、ローマは確かに栄えていた。この時代の直後から斜陽となっていくのは事実である。
ただ、改めて読んでいくと、トラヤヌスの拡大路線の時代からして既に怪しかったんだなこれ…という気持ちにさせられた。システムを維持できる限界を越えて拡大した時から、否、拡大「せざるを得なくなっていった」時から、ローマはいずれ崩壊することが決まっていたのだろうと思う。
冒頭で紹介した「ローマとパルティア」という本では、ローマが執拗にパルティアを攻めて無駄に兵力と財産を消費し、パルティアを滅ぼしてしまった結果、ペルシアというラスボス的な敵対勢力の台頭を止められなくなってしまった。という説が書かれていた。
もしもカルタゴとエジプトを滅ぼしたあたりで止めておけば、もしも限界まで拡大路線に走らずもっと早く内政に手を回していたら、ローマの運命は変わっていたのか。
その場合、五賢帝は五賢帝と呼ばれず、五賢帝の時代もローマの黄金時代とも呼ばれなかったかもしれないが、歴史ifとして考えてみるのは面白いかもしれない。