人と交わる神、交わらぬ神/ギリシャ神話の「人間臭い」神々と、人の歴史との交差についての考察

ギリシャ神話は日本でもよく知られている。出てくる神々はやたら人間臭く、あちこちで人間と交わるために家系図が複雑になっているのが特徴的だ。
それに対し、エジプト神話やメソポタミア神話の神々は人間と交わることがほとんど無く、人と神の間には越えられない一線があるように見受けられる。

…ここで最初に、とても大事なことを言っておく。

古代ギリシャは「古代」の中ではド新参
ホメロスですら紀元前8世紀


エジプトで最古の神話(ピラミッド・テキスト)が書かれたのは紀元前2,300年頃
メソポタミアでギルガメッシュ叙事詩の原型がシュメール語で書かれたのは紀元前2000年以前

つまり「神話の時代が全く違う」。
かなり大雑把な理解だが、基本的に神話は、時代が進むごとに神と人間の距離が近くなっていく傾向にある。より古い神話のほうが人と神の距離が遠い。



時代が進むと、人間の技術力が高まり、夜の暗さや理不尽な死が少しずつ克服されはじめ、自然界の不思議が解明されていく。
人数も増え、人の暮らす世界、整備された「街」の範囲も広がっていく。それとともに、人の世界の外側にあるものたちは力を失い、少しずつ追いやられていく。
ギリシャ神話も、大本になっていた(ホメロス以前の)神話は、もっと人と神の距離は遠かったのではないだろうか。たまたま書き残されて今目にしてるものが、古代世界の中では新しい鉄器時代のものばかりなだけで、石器時代バージョンとか、青銅器時代バージョンだってあったかもしれないのだ。

なお、これは日本でも同じで、たとえば平安時代と江戸時代では魑魅魍魎の強さが全然違う。
いわゆる「記紀」が編纂された時代は8世紀。天孫が高天原から下ってくる話などがあり、ここから神と人間が交わりはじめるが、当初はヤマタノオロチなどの神とも妖怪ともつかない強力な存在が多数存在する。
ギリシャ神話に近いのはこの段階だろうと思う。

時代が進んで江戸時代になると、御伽草子でコミカルな妖怪が多数出てくるようになる。
強力な存在を神や神の血を引く人々が調伏する格式高い物語から、民衆の娯楽的な扱いを受ける有象無象の不思議が一般人でも対処出来るレベルで登場する物語へと、いわば人ならざる存在の力が削がれていく形で変容するのがよく分かる。


また、ギリシャ神話の主神ゼウスの家系が非常に複雑なのは、人間の王や英雄の家系を神に結びつけようとしたからである。これは日本神話だと天皇家を天孫としているのに似ている。ただ日本の場合は権威を持つ家側はずっと一つだけなので、祖先となる神をたくさん増やす必要はなかった。
(ちなみに古代エジプトも、古王国時代の神話ではファラオは太陽神の化身であり、新王国時代の神話ではファラオは最高神アメンの子ということになっていたから、王家=神の血筋という思想自体はある)

古代ギリシャは統一された一つの国家がなく都市国家群だったために、神の血を引く家を一つに絞り込めなかったこと、神話形態としてオムニバス展開するしかなかったのがゼウスの子沢山の原因の一つになっているような気がする。日本の「記紀」のように、初期の段階でバリエーションを統合して統一バージョンを成立させておくのは結構大事。


というわけなので、

・「神話」といっても成立した時代が数千年単位で違う場合がある
 時代背景や、その神話の語られていた人間世界の条件は大きく異なる

・神と人間の距離は、その「神話」の成立した社会の求める必要性によって決まる

という話を書いておいた。
ちなみにエジプト神話の中でも、一番新しい部類に入るプルタルコス(ギリシャ人)の「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」あたりになってくると、ギリシャ神話とよく似たテイストになっている。
元テキストの時代とあわせ、記録したのがどこの誰なのかも考慮しておいたほうがいいだろう。

エジプト神イシスとオシリスの伝説について (岩波文庫 青664-5) - プルタルコス, 柳沼 重剛
エジプト神イシスとオシリスの伝説について (岩波文庫 青664-5) - プルタルコス, 柳沼 重剛