モアイ像は氏族社会として作ってた? 採石場の作業パターンの分析から
太平洋のど真ん中にある火山島、イースター島全体の航空写真の分析から、モアイ像がどのように作られていたのかを分析してみたところ、どうも中央集権的な作り方をしていたようには思えず、氏族単位でてんでバラバラに動いていたように見えるよ。という研究論文が出ていた。
Megalithic statue (moai) production on Rapa Nui (Easter Island, Chile)
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0336251

なんのこっちゃわからんと思うが、要するに「イースター島に王はいなかった」という話。
論文の最初の部分に書かれている導入部分にある a politically decentralized society organized (政治的に分散された社会)というのは、王や首長によって島全体がまとめられた一つの社会だったわけではなく、島の地域ごとに小さなムラ単位、部族よりももっと小さな一族郎党のような幾つもの纏まりに別れていただろう、ということを意味している。
20年くらい前の本だと、イースター島には王である長耳族と支配される短耳族がいて、短耳族が王を打倒した際にモアイ像が引き倒されたのだ、…のような歴史がまことしやかに書かれていたものだが、この10年くらいで「イースター島に王はいなかった、島全体を支配する首長すらいなかった」が定説になりつつある。
(ちなみに中の人が旅行に行った当時は、イースター島には王がいて階級社会だったはずというのが定説だった。ほんとにここ10年くらいで出てきた話である)
というか、ポリネシアやミクロネシアなど島嶼地域の民俗が知られるようになり、イースター島住民の移住元に王権が無いのにいきなりイースター島でだけ発生するわけないだろ。という方向に認識が改められたのである。
なお、今回出ていた論文の途中に出てくる「グローバーとウェングローの説」は、日本語で本も出ていて一部で話題になったりもした。以下の本である。

万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史
この本に出てくる内容を要約すると、「社会は必ず頂点となる王を頂く方向に進化するわけではない。また中央集権的な社会が部族社会よりも高度というわけではない。」というものだ。社会の進化のあり方がどう選択されるかは条件次第であり、大規模建造物や特別なモニュメントは必ずしも権力者の指示によってのみ作られるわけではない。イースター島はまさにその主張のとおりの社会であり、島内で複数の集団に別れ、地域ごとの政治形態を持っていたと考えられている。
これは、採石場の使い方がてんでバラバラだったり、同時並行で別な像の彫り方をしていたり、同じ機能を持つ作業場所が島のあちこちに分散していたりという状況から裏づけられる。
イースター島はとても広い島で、像は島全体に分散している。赤い色の石は限られた場所でしか採れないので、そこは共通で使っていたようなのだが、他の作業場所はけっこうバラバラ。観光地として知られているモアイ切り出し場所、マウンガ・プアカティキは唯一の作業場ではなく、実は島中のほかの場所にもモアイの切り出し場所が分散していて、てんでバラバラに作業してたことが今回の論文でも示されている。
中央集権的な社会だったら、こんな非効率な作業の仕方はしないはずだ。その地域ごとのムラ社会的なものに分離してたんだろうなあという感じ。鳥人コンテストも、ムラ対抗でのお祭りだったんだろうと言われている。
とはいえ、当時の正確な社会状況を伝える資料などはほぼ無く、状況証拠のみで語られているのはちょっと証拠として弱い。
イースター島の元の社会は、ヨーロッパ人の到来で既に一度は崩壊してしまったからだ。いちおう生き残った僅かな島民の子孫もいるらしいのだが、口伝はほとんど残っていない。
せめてロンゴロンゴ文字が解読できれば、何か手がかりくらいはあるかもしれないんだけど、それも難しいだろうなあ…。
Megalithic statue (moai) production on Rapa Nui (Easter Island, Chile)
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0336251
なんのこっちゃわからんと思うが、要するに「イースター島に王はいなかった」という話。
論文の最初の部分に書かれている導入部分にある a politically decentralized society organized (政治的に分散された社会)というのは、王や首長によって島全体がまとめられた一つの社会だったわけではなく、島の地域ごとに小さなムラ単位、部族よりももっと小さな一族郎党のような幾つもの纏まりに別れていただろう、ということを意味している。
20年くらい前の本だと、イースター島には王である長耳族と支配される短耳族がいて、短耳族が王を打倒した際にモアイ像が引き倒されたのだ、…のような歴史がまことしやかに書かれていたものだが、この10年くらいで「イースター島に王はいなかった、島全体を支配する首長すらいなかった」が定説になりつつある。
(ちなみに中の人が旅行に行った当時は、イースター島には王がいて階級社会だったはずというのが定説だった。ほんとにここ10年くらいで出てきた話である)
というか、ポリネシアやミクロネシアなど島嶼地域の民俗が知られるようになり、イースター島住民の移住元に王権が無いのにいきなりイースター島でだけ発生するわけないだろ。という方向に認識が改められたのである。
なお、今回出ていた論文の途中に出てくる「グローバーとウェングローの説」は、日本語で本も出ていて一部で話題になったりもした。以下の本である。

万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史
この本に出てくる内容を要約すると、「社会は必ず頂点となる王を頂く方向に進化するわけではない。また中央集権的な社会が部族社会よりも高度というわけではない。」というものだ。社会の進化のあり方がどう選択されるかは条件次第であり、大規模建造物や特別なモニュメントは必ずしも権力者の指示によってのみ作られるわけではない。イースター島はまさにその主張のとおりの社会であり、島内で複数の集団に別れ、地域ごとの政治形態を持っていたと考えられている。
これは、採石場の使い方がてんでバラバラだったり、同時並行で別な像の彫り方をしていたり、同じ機能を持つ作業場所が島のあちこちに分散していたりという状況から裏づけられる。
イースター島はとても広い島で、像は島全体に分散している。赤い色の石は限られた場所でしか採れないので、そこは共通で使っていたようなのだが、他の作業場所はけっこうバラバラ。観光地として知られているモアイ切り出し場所、マウンガ・プアカティキは唯一の作業場ではなく、実は島中のほかの場所にもモアイの切り出し場所が分散していて、てんでバラバラに作業してたことが今回の論文でも示されている。
中央集権的な社会だったら、こんな非効率な作業の仕方はしないはずだ。その地域ごとのムラ社会的なものに分離してたんだろうなあという感じ。鳥人コンテストも、ムラ対抗でのお祭りだったんだろうと言われている。
とはいえ、当時の正確な社会状況を伝える資料などはほぼ無く、状況証拠のみで語られているのはちょっと証拠として弱い。
イースター島の元の社会は、ヨーロッパ人の到来で既に一度は崩壊してしまったからだ。いちおう生き残った僅かな島民の子孫もいるらしいのだが、口伝はほとんど残っていない。
せめてロンゴロンゴ文字が解読できれば、何か手がかりくらいはあるかもしれないんだけど、それも難しいだろうなあ…。