アフリカの歴史を俯瞰する本「アフリカの歴史」
タイトルそのまんまの内容の本である。
この手のタイトルをつけてる本はよくあるが、そこに最初に違和感を覚えなければならない。
たとえば「アジアの歴史」というタイトルだったら、ん? と思わないだろうか。アジアって言われても広いぞ…インドも中国も東南アジアも入るけど…? もしヨーロッパのどこかの国で「アジアの歴史」なんてタイトルの本が並んでるのを見かけたら、「どうせまた中国と日本の区別ついてないやつだろ、もしくは中国だけ取り上げて日本はスルーのやつだろ」と思うのではないだろうか。

アフリカの歴史 (角川ソフィア文庫) - 川田 順造
そういうことである。
そして、私がこの本を最後まで読めたということは、その最初の違和感に対する答えがきちんと出されている本だったからだ。
ちなみに、アフリカの国数は55カ国(そのうち、国としての主権を争っているところが1カ国)である。アジアよりも多い。
大阪万博に頑張って来てくれていたレソトのように、面積的にも人数的にも小国としか呼べない国もある。その55カ国をぜんぶ一冊の薄っぺらい本で網羅できるはずなどなく、全部をひとまとめに概要を述べようとすれば当然、有名な国だけになったり、全般的に無理が出たりする。
そうではなく、「アフリカの歴史」がなぜアフリカとしてひとまとめにされてしまうほど情報が少ないのか。なぜ情報が残っていないのか。確固たる王権や中央集権的な社会ではなく、地域・部族ごとの生活をしていたので、そもそも壮大な「歴史」など近代まで必要なかったのだ、という話から始まっている。
現生人類の故郷にして、遺伝的には最も多様性の高い地域。その意味で、人間の生み出した文化なるものはすべてアフリカが故郷である。
現在残っている主な語族は5つ。
サハラ以北は地中海やアラブ世界と早くから接していたが、サハラ以南の世界は近代まで無文字のままに留まった。アクスムやマリ王国、ソンガイ帝国など、国が生み出される段階を経て、大航海時代に突入したヨーロッパからの植民地支配を受けるようになる…。
まずアフリカがアフリカたる所以は、現在存在する国境自体が、その植民地支配を経て独立する際にごく最近になって作られたものであるというところだ。国境と民族は一致していない。また、歴史の範囲も一致していない。
というより、かつて歴史は民族・部族単位で口伝によって継承されてきた。部族単位での大雑把な歴史はあっても、それは誰か学者のような人が編纂し、文字で固定したものでは無かったのだ。
つまりは「国」という単位での歴史は無い。
国などという纏まり自体が最近出来たものなうえに、国の中でも部族ごとに覚えている過去が違う。なのでアフリカでは、たとえばエチオピアのように、万世一系の王家という神話=歴史を近代に作り出して文字で記録していた国にしか、歴史(半分ファンタジーだが)は無いのだ。そして、そのエチオピアの歴史にしても、北部にクラス一部の部族の歴史としか認識されていない。
存在しない過去の代わりに、後世に伝来したイスラームがアイデンティティとなっている国もあるらしい。
アフリカの過去が、遠い昔の創世伝承から一気に植民地支配まで飛ぶことが多いのは、その中間が残っていないからでもある。
そして植民地支配の時代については、主にヨーロッパ人側の書き残した記録に頼になければならない。
植民地支配の搾取と奴隷貿易によってアフリカが打撃を受けたことはよく知られているが、これはアフリカ人が一方的な被害者というわけではない。ヨーロッパ人側は土着の権力者を利用して、一蓮托生の関係にあった。地元の王に物品を渡して戦争捕虜を確保させるなどしていた面もある。(被害者と加害者が同じ陣営にいる、というのは他の国でもよく見かける。たとえば韓国の女性を慰安婦として人さらいしたのは地元の同じ韓国人だった、とか)
そしてアフリカ自体、現在私たちが本で読むような「歴史」については、入植者たちに奪われたわけではなく最初から持っていなかった(必要としなかったので作っていなかった)のである。
しかし、それでもいいのではないか。アフリカが誇るべきものはそこじゃないのではないか。というのが、この本の〆の部分で出されている問いかけである。
古代エジプトやアクスム王国のような「古代文明」「文字で書かれた歴史」とかはヨーロッパ基準の文明であって、アフリカにはアフリカの文明のあり方があるんじゃない? という話。そうは言っても世界的に比較されるんだから今更難しいだろうなあ…とは思いつつも、「国」とか「国民」という単位でのまとまりがアフリカにそぐわないのは事実である。
意識高い系の本ではないので、現状の方向性をどう変えろとかの大上段な話はなく、現実が突きつけられて終わる。変わった本だし人によってはスッキリしないだろうが、答えが出ないものは仕方がないので、私としてはこれでいいと思った。
まあ昔からなんとなく思ってたことが言語化されていて面白かったと思う。
なお、冒頭に書いた「アジアの歴史」だが、もしも自分が書くとするならば、中国とインド中心に各国を配置するかなーと思った。
アジアは全般的にうっすらインド文化圏と中国文化圏のレイヤーがあり、そのレイヤーの重なり具合が国ごとに違うのがアジアだと自分は思っている。日本はがっつり中国レイヤーに入りつつ一部インドレイヤーの影響も受けている、みたいな感じかな。
アフリカには…統一された文化レイヤーが一枚もないんだよ…宗教も言語も風習も…。違いすぎて、サハラ以北と以南っていう分け方すら大雑把すぎるんで…。細かく語りだすとたぶんキリがない、世界でも有数の文化多様性の高い地域だと思うよ…。
この手のタイトルをつけてる本はよくあるが、そこに最初に違和感を覚えなければならない。
たとえば「アジアの歴史」というタイトルだったら、ん? と思わないだろうか。アジアって言われても広いぞ…インドも中国も東南アジアも入るけど…? もしヨーロッパのどこかの国で「アジアの歴史」なんてタイトルの本が並んでるのを見かけたら、「どうせまた中国と日本の区別ついてないやつだろ、もしくは中国だけ取り上げて日本はスルーのやつだろ」と思うのではないだろうか。

アフリカの歴史 (角川ソフィア文庫) - 川田 順造
そういうことである。
そして、私がこの本を最後まで読めたということは、その最初の違和感に対する答えがきちんと出されている本だったからだ。
ちなみに、アフリカの国数は55カ国(そのうち、国としての主権を争っているところが1カ国)である。アジアよりも多い。
大阪万博に頑張って来てくれていたレソトのように、面積的にも人数的にも小国としか呼べない国もある。その55カ国をぜんぶ一冊の薄っぺらい本で網羅できるはずなどなく、全部をひとまとめに概要を述べようとすれば当然、有名な国だけになったり、全般的に無理が出たりする。
そうではなく、「アフリカの歴史」がなぜアフリカとしてひとまとめにされてしまうほど情報が少ないのか。なぜ情報が残っていないのか。確固たる王権や中央集権的な社会ではなく、地域・部族ごとの生活をしていたので、そもそも壮大な「歴史」など近代まで必要なかったのだ、という話から始まっている。
現生人類の故郷にして、遺伝的には最も多様性の高い地域。その意味で、人間の生み出した文化なるものはすべてアフリカが故郷である。
現在残っている主な語族は5つ。
サハラ以北は地中海やアラブ世界と早くから接していたが、サハラ以南の世界は近代まで無文字のままに留まった。アクスムやマリ王国、ソンガイ帝国など、国が生み出される段階を経て、大航海時代に突入したヨーロッパからの植民地支配を受けるようになる…。
まずアフリカがアフリカたる所以は、現在存在する国境自体が、その植民地支配を経て独立する際にごく最近になって作られたものであるというところだ。国境と民族は一致していない。また、歴史の範囲も一致していない。
というより、かつて歴史は民族・部族単位で口伝によって継承されてきた。部族単位での大雑把な歴史はあっても、それは誰か学者のような人が編纂し、文字で固定したものでは無かったのだ。
つまりは「国」という単位での歴史は無い。
国などという纏まり自体が最近出来たものなうえに、国の中でも部族ごとに覚えている過去が違う。なのでアフリカでは、たとえばエチオピアのように、万世一系の王家という神話=歴史を近代に作り出して文字で記録していた国にしか、歴史(半分ファンタジーだが)は無いのだ。そして、そのエチオピアの歴史にしても、北部にクラス一部の部族の歴史としか認識されていない。
存在しない過去の代わりに、後世に伝来したイスラームがアイデンティティとなっている国もあるらしい。
アフリカの過去が、遠い昔の創世伝承から一気に植民地支配まで飛ぶことが多いのは、その中間が残っていないからでもある。
そして植民地支配の時代については、主にヨーロッパ人側の書き残した記録に頼になければならない。
植民地支配の搾取と奴隷貿易によってアフリカが打撃を受けたことはよく知られているが、これはアフリカ人が一方的な被害者というわけではない。ヨーロッパ人側は土着の権力者を利用して、一蓮托生の関係にあった。地元の王に物品を渡して戦争捕虜を確保させるなどしていた面もある。(被害者と加害者が同じ陣営にいる、というのは他の国でもよく見かける。たとえば韓国の女性を慰安婦として人さらいしたのは地元の同じ韓国人だった、とか)
そしてアフリカ自体、現在私たちが本で読むような「歴史」については、入植者たちに奪われたわけではなく最初から持っていなかった(必要としなかったので作っていなかった)のである。
しかし、それでもいいのではないか。アフリカが誇るべきものはそこじゃないのではないか。というのが、この本の〆の部分で出されている問いかけである。
古代エジプトやアクスム王国のような「古代文明」「文字で書かれた歴史」とかはヨーロッパ基準の文明であって、アフリカにはアフリカの文明のあり方があるんじゃない? という話。そうは言っても世界的に比較されるんだから今更難しいだろうなあ…とは思いつつも、「国」とか「国民」という単位でのまとまりがアフリカにそぐわないのは事実である。
意識高い系の本ではないので、現状の方向性をどう変えろとかの大上段な話はなく、現実が突きつけられて終わる。変わった本だし人によってはスッキリしないだろうが、答えが出ないものは仕方がないので、私としてはこれでいいと思った。
まあ昔からなんとなく思ってたことが言語化されていて面白かったと思う。
なお、冒頭に書いた「アジアの歴史」だが、もしも自分が書くとするならば、中国とインド中心に各国を配置するかなーと思った。
アジアは全般的にうっすらインド文化圏と中国文化圏のレイヤーがあり、そのレイヤーの重なり具合が国ごとに違うのがアジアだと自分は思っている。日本はがっつり中国レイヤーに入りつつ一部インドレイヤーの影響も受けている、みたいな感じかな。
アフリカには…統一された文化レイヤーが一枚もないんだよ…宗教も言語も風習も…。違いすぎて、サハラ以北と以南っていう分け方すら大雑把すぎるんで…。細かく語りだすとたぶんキリがない、世界でも有数の文化多様性の高い地域だと思うよ…。