行方不明になっていたニウセルラー王の河岸神殿(ピラミッドとセットになるナイル川沿いの神殿)が発掘される。100年以上ぶり…!
古王国時代随一の苦労性ファラオ、ニウセルラー王の河岸神殿が発掘されたというニュースが流れていた。この神殿、
Remains of King Nyuserre’s Valley Temple uncovered in Abusir
https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/40/558520/Antiquities/Ancient-Egypt/Remains-of-King-Nyuserre%E2%80%99s-Valley-Temple-uncovered.aspx
ちなみに「Valley Temple」は一般的な日本語のエジプト本では「河岸神殿」と翻訳される。
ナイル川は季節によって大きく水位が変動する川であり、特にナイル下流では渇水時期と氾濫時期で7-8m水位が変わることも珍しくない。その水位の変動を測るためにナイロメーターという水位計があったくらい。
なので、ピラミッド本体は氾濫時期でも水没しないよう高い崖の上に建てられ、そのピラミッドからナイル河岸まで続く参道が作られ、参道の終点に河岸神殿が設置される、というのが一つの基本セットになっていた。
ということは、神殿は崖から下ったナイル川沿いの、ナイル渓谷の縁に建てられることになる。ナイル川は、岩盤を削った谷底を流れている。なのでピラミッドから見ると、川が作った谷の下の方にあるように見える。これが「Valley Temple」という名前の由来。(※ちょうど最近、関連する記事を書いた)
河岸神殿はピラミッド本体へのお参りの差異の正式に入口であり、被葬者である王の遺体を運搬する時の正門の役目も果たしていたと考えられる。

で、この河岸神殿、1901年にドイツのエジプト学者ルートヴィヒ・ボルヒャルトによって場所は確認されていたのだが、川沿いの堆積物に埋もれていて地下水があったので当時は発掘できなかったらしい。ナイルの水位が低下したり、排水ポンプなどが発達したりしたことで発掘可能になたのだと思う。発掘再開されたのはごく最近だ。
復元図などは下記サイトを参照。ひととおりの説明も書いてくれている。
https://www.crystalinks.com/pyrniuserre.html
ちなみに第5王朝は、ピラミッドが小型化し、河岸神殿に太陽神殿も合わせて建てるなど周辺設備に力を入れるようになっていく時代である。
ニウセルラーのピラミッドは本体があんまりいい残り方をしておらず、半ば崩れてこの状態。

ピラミッド本体から伸びる参道などは、他の王のピラミッドに付随する設備や近くのマスタバに邪魔されてまっすぐ作れておらず、無理くりスペースに嵌め込んだ感がある。が、今回発掘されてる神殿を見る限り、技術的には高いし、良い石も使っている。この時代にはもう大型施設を作れるだけのスペースがあまり残っていなかったのだろう。
そしてニウセルラーの場合、自分のピラミミッドを作る前に父と母、それとおそらく兄と思われる先代の葬祭施設(ピラミッド+神殿の複合設備)を完成させなければならなかったのである。
在位期間は29年(または30年)。古代世界ではかなりの長期在位。
にもかかわらず自身の記念碑は決して大きくはないのには、そうした事情があったのだ。
自分用に使える予算や人手も限られていたんだろうなあ…と思いながら、この神殿を眺めてみると、なんかこう…苦労が忍ばれる…。
なお、今回見つかった河岸神殿からは、第一中間期の生活跡も多数見つかっているという。
第一中間期は、第6王朝が倒れたのちに訪れる無政府状態の混迷期で、この時期に王墓や貴族墓の多くが盗掘を受けたとされる。まさにその歴史のままの発見がなされているのは、とても興味深い。
↓ピラミッドといえばやっぱりこれ。これを越える本はなかなかない。マニアは絶対読もう。

図説ピラミッド大百科 - マーク レーナー, Lehner,Mark, 杉彦, 内田
↓あとこれ

ピラミッド - アルベルト シリオッティ, Siliotti,Alberto, 文夫, 矢島, 春美, 吉田
↓当然ピラミッドマニアはこれも持ってるよなァ?!

ピラミッド大全 - ミロスラフ ヴェルナー, Verner,Miroslav, 拓也, 津山
Remains of King Nyuserre’s Valley Temple uncovered in Abusir
https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/40/558520/Antiquities/Ancient-Egypt/Remains-of-King-Nyuserre%E2%80%99s-Valley-Temple-uncovered.aspx
ちなみに「Valley Temple」は一般的な日本語のエジプト本では「河岸神殿」と翻訳される。
ナイル川は季節によって大きく水位が変動する川であり、特にナイル下流では渇水時期と氾濫時期で7-8m水位が変わることも珍しくない。その水位の変動を測るためにナイロメーターという水位計があったくらい。
なので、ピラミッド本体は氾濫時期でも水没しないよう高い崖の上に建てられ、そのピラミッドからナイル河岸まで続く参道が作られ、参道の終点に河岸神殿が設置される、というのが一つの基本セットになっていた。
ということは、神殿は崖から下ったナイル川沿いの、ナイル渓谷の縁に建てられることになる。ナイル川は、岩盤を削った谷底を流れている。なのでピラミッドから見ると、川が作った谷の下の方にあるように見える。これが「Valley Temple」という名前の由来。(※ちょうど最近、関連する記事を書いた)
河岸神殿はピラミッド本体へのお参りの差異の正式に入口であり、被葬者である王の遺体を運搬する時の正門の役目も果たしていたと考えられる。
で、この河岸神殿、1901年にドイツのエジプト学者ルートヴィヒ・ボルヒャルトによって場所は確認されていたのだが、川沿いの堆積物に埋もれていて地下水があったので当時は発掘できなかったらしい。ナイルの水位が低下したり、排水ポンプなどが発達したりしたことで発掘可能になたのだと思う。発掘再開されたのはごく最近だ。
復元図などは下記サイトを参照。ひととおりの説明も書いてくれている。
https://www.crystalinks.com/pyrniuserre.html
ちなみに第5王朝は、ピラミッドが小型化し、河岸神殿に太陽神殿も合わせて建てるなど周辺設備に力を入れるようになっていく時代である。
ニウセルラーのピラミッドは本体があんまりいい残り方をしておらず、半ば崩れてこの状態。
ピラミッド本体から伸びる参道などは、他の王のピラミッドに付随する設備や近くのマスタバに邪魔されてまっすぐ作れておらず、無理くりスペースに嵌め込んだ感がある。が、今回発掘されてる神殿を見る限り、技術的には高いし、良い石も使っている。この時代にはもう大型施設を作れるだけのスペースがあまり残っていなかったのだろう。
そしてニウセルラーの場合、自分のピラミミッドを作る前に父と母、それとおそらく兄と思われる先代の葬祭施設(ピラミッド+神殿の複合設備)を完成させなければならなかったのである。
在位期間は29年(または30年)。古代世界ではかなりの長期在位。
にもかかわらず自身の記念碑は決して大きくはないのには、そうした事情があったのだ。
自分用に使える予算や人手も限られていたんだろうなあ…と思いながら、この神殿を眺めてみると、なんかこう…苦労が忍ばれる…。
なお、今回見つかった河岸神殿からは、第一中間期の生活跡も多数見つかっているという。
第一中間期は、第6王朝が倒れたのちに訪れる無政府状態の混迷期で、この時期に王墓や貴族墓の多くが盗掘を受けたとされる。まさにその歴史のままの発見がなされているのは、とても興味深い。
↓ピラミッドといえばやっぱりこれ。これを越える本はなかなかない。マニアは絶対読もう。

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