アルジェリア(2) そこに台地がある理由:砂漠の地形と人の住む場所
半日かけてアライバル・ビザをクリアしたので、岩絵のある南部を目指しエア・アルジェリアで砂漠の入口であるジャネットを目指す。
国境にほど近いこの地域への飛行機は、治安上の理由により夜間しか飛んでいないらしい。(おそらく上空から検問の場所やゆ軍事基地を特定されたくないのだろう…)
ジャネット行きだろうが、隣のタマンラセット行きだろうが、とにかく深夜に飛ぶ。なので乗り継ぐために夜中に空港にいなければならない。なかなかに面倒臭い。
なんとか乗り継ぎ、ホテルに着いたら夜明けまで仮眠。
夜が明けてなんとなく外を見て、はじめてそこが「オアシスにある小さな村」だったことに気がついた。…緑がある。ナツメヤシの果樹園、ヤギ牧場、水場と緑。


ホテルの裏に手頃な岩山があったのでちょっと登ってみたが、夜明けは水分でうっすら空気がもやっている。そして結構な量の緑が見えた。
なるほど、人が住むからには水場がなければならないわけだ。もともとここにオアシスがあったから居住地として発展し、砂漠の入口になったのだろう。


初日は、ここを拠点に少し北にあるティン・タガートの遺跡へ行くことにする。地図だと「ディディール」と表示されているあたりだ。
有名な岩絵がある場所で、タッシリ・ナジェールの台地へ上がる場合にもこの遺跡の近くを通ることになる。

ここの岩絵は、斜めに傾いた岩の表面に線が刻まれている、という珍しいもの。硬い黒い岩の上に深い線が刻まれている。
線画を痛めないよう、靴を脱いで岩の上に登る。

もちろん、岩絵は、サハラが乾燥化する以前、この地方にまだ緑があった時代のものだ。なのでガゼルやゾウ、キリンなどが描かれている。眠るガゼルの絵はアルジェリアのお札の模様にもなっている代表的なもの。近くにはぐるぐるの渦巻きがたくさん描かれた、謎めいた大きな牛の絵もある。


少し新しい時代のものになると、ベルベル文字なども。
古い時代のものほど風雨にさらされて線がつるつるになっているので、時代はわりと見分けやすい。古い時代のものほど線が深くてしっかり描かれているのも特徴的だ。

だが、周囲を見回しても、なぜここにこんなに沢山の絵が集中しているのかがよく分からない。
遠くに枯れた草の密集しているところがあり、草が直線的な並びで点々としているところからして、もしかしたら昔はそこを川が流れていて、今も伏流水のようなものがあるのでは…? とは思った。
だとすれば、岩絵を描いた人は、川沿いの見晴らしのいいところでのんびり時間を潰していたのかもしれない。


あと、道中で見かけた岸壁に、ギアナ高地みたいな地形が何度も出てきた。
この地形見て、タッシリ・ナジェールがなぜ台地なのかを知った。ここらへんの土地、大昔に硬い岩が隆起して出来た地形だ…。つまりギアナ高地と形成の過程はほぼ一緒。

タッシリ・ナジェールの岩絵は標高1,500mくらいの高さにあり、いったん崖を登ればあとはまっ平らな地形が続く、とは本で読んでいたが、その岩絵のある真っ平ら地形というのが、ギアナ高地で言うテプイ(棚山)のことだったのだ。
つまり隆起と侵食によって出来た地形の、風雨の侵食に耐えた硬い岩盤部分に残っているのが、サハラが緑だった時代の岩絵。
この先、ティン・タガートにあるのと同じような硬い岩盤を探していけば岩絵が見つかるんだな。と初日でアタリをつけることが出来た。
まあガイドさんはいるんですけども…。
岩絵見学のあとは、近くの木陰でランチタイム。
タッシリ・ナジェールにあるのとおそらく同じだろう、乾燥に強いイトスギがしっかりと根づいている木陰での食事となった。


砂漠っちゃ砂漠なんだけど、こんな感じで以外なほど緑は多く、完全に砂漠で全く植物がない、という場所は、五日ほどの行程の中で、逆にほとんど見かけなかった。
降水は8-9月だというし、砂を掘ってみても湿り気などは全くない。これらの植物がどこから水を得ているのかはかなり謎なのだが、おそらく、根っこが相当に深いところまで到達しているのだと思う。木が生えているからには水は必ずある。簡単には届かないような深層部に、地下水脈か、水分のある土壌が隠されているはずだ。
参考:
https://forbesjapan.com/articles/detail/85255
その地下水の場所は、かつての河床や、水源地と繋がる水路だった可能性が高い。そして岩絵の描かれた時代にヒトが暮らしていた場所も、水場の近くだったはずなのだ。
というわけで、砂漠の岩絵は
・侵食に耐えうる硬い岩盤がある
・かつての水源の近く(=現在も緑がいくらか残る場所)
この条件に当てはまる場所にあるはずだ。この先の旅を通して、仮説を検証していくことにしよう。
****
まとめ読みはこちら
国境にほど近いこの地域への飛行機は、治安上の理由により夜間しか飛んでいないらしい。(おそらく上空から検問の場所やゆ軍事基地を特定されたくないのだろう…)
ジャネット行きだろうが、隣のタマンラセット行きだろうが、とにかく深夜に飛ぶ。なので乗り継ぐために夜中に空港にいなければならない。なかなかに面倒臭い。
なんとか乗り継ぎ、ホテルに着いたら夜明けまで仮眠。
夜が明けてなんとなく外を見て、はじめてそこが「オアシスにある小さな村」だったことに気がついた。…緑がある。ナツメヤシの果樹園、ヤギ牧場、水場と緑。
ホテルの裏に手頃な岩山があったのでちょっと登ってみたが、夜明けは水分でうっすら空気がもやっている。そして結構な量の緑が見えた。
なるほど、人が住むからには水場がなければならないわけだ。もともとここにオアシスがあったから居住地として発展し、砂漠の入口になったのだろう。
初日は、ここを拠点に少し北にあるティン・タガートの遺跡へ行くことにする。地図だと「ディディール」と表示されているあたりだ。
有名な岩絵がある場所で、タッシリ・ナジェールの台地へ上がる場合にもこの遺跡の近くを通ることになる。
ここの岩絵は、斜めに傾いた岩の表面に線が刻まれている、という珍しいもの。硬い黒い岩の上に深い線が刻まれている。
線画を痛めないよう、靴を脱いで岩の上に登る。
もちろん、岩絵は、サハラが乾燥化する以前、この地方にまだ緑があった時代のものだ。なのでガゼルやゾウ、キリンなどが描かれている。眠るガゼルの絵はアルジェリアのお札の模様にもなっている代表的なもの。近くにはぐるぐるの渦巻きがたくさん描かれた、謎めいた大きな牛の絵もある。
少し新しい時代のものになると、ベルベル文字なども。
古い時代のものほど風雨にさらされて線がつるつるになっているので、時代はわりと見分けやすい。古い時代のものほど線が深くてしっかり描かれているのも特徴的だ。
だが、周囲を見回しても、なぜここにこんなに沢山の絵が集中しているのかがよく分からない。
遠くに枯れた草の密集しているところがあり、草が直線的な並びで点々としているところからして、もしかしたら昔はそこを川が流れていて、今も伏流水のようなものがあるのでは…? とは思った。
だとすれば、岩絵を描いた人は、川沿いの見晴らしのいいところでのんびり時間を潰していたのかもしれない。
あと、道中で見かけた岸壁に、ギアナ高地みたいな地形が何度も出てきた。
この地形見て、タッシリ・ナジェールがなぜ台地なのかを知った。ここらへんの土地、大昔に硬い岩が隆起して出来た地形だ…。つまりギアナ高地と形成の過程はほぼ一緒。
タッシリ・ナジェールの岩絵は標高1,500mくらいの高さにあり、いったん崖を登ればあとはまっ平らな地形が続く、とは本で読んでいたが、その岩絵のある真っ平ら地形というのが、ギアナ高地で言うテプイ(棚山)のことだったのだ。
つまり隆起と侵食によって出来た地形の、風雨の侵食に耐えた硬い岩盤部分に残っているのが、サハラが緑だった時代の岩絵。
この先、ティン・タガートにあるのと同じような硬い岩盤を探していけば岩絵が見つかるんだな。と初日でアタリをつけることが出来た。
まあガイドさんはいるんですけども…。
岩絵見学のあとは、近くの木陰でランチタイム。
タッシリ・ナジェールにあるのとおそらく同じだろう、乾燥に強いイトスギがしっかりと根づいている木陰での食事となった。
砂漠っちゃ砂漠なんだけど、こんな感じで以外なほど緑は多く、完全に砂漠で全く植物がない、という場所は、五日ほどの行程の中で、逆にほとんど見かけなかった。
降水は8-9月だというし、砂を掘ってみても湿り気などは全くない。これらの植物がどこから水を得ているのかはかなり謎なのだが、おそらく、根っこが相当に深いところまで到達しているのだと思う。木が生えているからには水は必ずある。簡単には届かないような深層部に、地下水脈か、水分のある土壌が隠されているはずだ。
参考:
https://forbesjapan.com/articles/detail/85255
その地下水の場所は、かつての河床や、水源地と繋がる水路だった可能性が高い。そして岩絵の描かれた時代にヒトが暮らしていた場所も、水場の近くだったはずなのだ。
というわけで、砂漠の岩絵は
・侵食に耐えうる硬い岩盤がある
・かつての水源の近く(=現在も緑がいくらか残る場所)
この条件に当てはまる場所にあるはずだ。この先の旅を通して、仮説を検証していくことにしよう。
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