アルジェリア(4) 砂漠の岩絵のロケーションと絵の具づくりについて
さて肝心の岩絵のロケーションについて。
実は今回見てきたものには、ペイントされたいわゆる「彩色画」と、石を刻んだ「線画」の二種類があり、微妙にロケーションが異なっていたのだが、まずは彩色画のほうから整理していく。
「彩色画」のある場所は、例外無く以下の条件に当てはまる。③は砂漠化した現在も植物が生えているなど地下に水が残っていると思われる場所が近くにあることから判断できる。
①屋根があるなど風雨から守られている
②かつて住居として使われていた可能性の高い場所
③近くに川や泉だったと思われる場所がある
サハラ砂漠全体を見るとたしかに不毛の土地なのだが、地下にはおそらく、見えない水がある。でなければ、あちこちで見かける植物が生きていけないからだ。

というわけで、岩絵のロケーションを確認していこう。
まずわかりやすいこちら。快適に暮らせそうなイイ感じの岸壁の洞窟である。ここに岩絵がある。

下から見上げるとこんな感じ。

登って上から見下ろすと、こう。
植物が一直線に並んで生えているということは、その下に水の流れる隠れた川があるということ。地形的にも、かつてはここに川があったんだろうなと思わせる形状になっている。周囲は硬い岩なのに、凹んでいる、植物の生えたところだけ泥が固まったようになっている。


岩絵は、かつて砂漠が緑だった頃に描かれたもので、人とライオンやキリン、ウシなどが踊るように散らばっている。素晴らしい躍動感、そして絵から伝わる生命力。
岩絵の中でも特にレベル(画力)の高いものはタッシリ・ナジェール台地の上にあるというが、その入口にあたる15分だけ登った場所でも、このくらいの絵が出てくるのだ。
古代の神絵師がタッシリ台地にたくさん暮らしていたんだろうなあ。




次はココ、これもわかりやすく岩の割れ目の住居跡。典型的な考古学サイトというか、周辺調べたら絶対石器とか出てくるよね、という地形している。


すぐ目の前に木が生えていて、おそらくこの下に水源が埋もれている。

この岩絵も洞窟の中。洞窟自体はかなり埋もれて天井と床の隙間が狭くなっているが、かつては快適に暮らせた場所なのだろう。
画力はあまり高くないが、ウシと人が描かれていた。


少し上がった高台の、張り出した岩の下は一面がキャンバス。レイヨウっぽいものやライオン、ゾウなど、かつて砂漠が緑だった時代の絵でいっぱい。

高台から見下ろすと、すぐ近くに植物が一直線に生えているのがわかる。現在も雨が降ると一時的に水が流れる枯れ谷、おそらくかつて川だった場所だ。

岩絵のある場所は基本的に丘/崖で、平地部分には無い。
これは、もし屋外に描かれたものがあったとしても風雨で劣化して無くなってしまうからというのもあるが、基本的に住居近くで描かれるもののだったからだと思う。
そして、ペイント用のキャンバスとして適しているのは、丘/崖の岩肌なのだ。それ以外の場所は描けるような場所もない。
岩絵巡りは、岩で出来た渓谷を通り、平らな荒野を横切り、砂の山を乗り越えて、めまぐるしく変わる風景の中を駆け抜ける行程でもある。

岩絵巡りの中で二箇所ほど、鉄分の多く含まれた赤い石がたくさん落ちている場所があった。近くにはこんな感じで岩に丸い穴が空いている。ここで石を砕き、絵の具を加工した跡なのだそうだ。
サハラが緑だった狩猟民の時代は1万年くらい前とされる。アフリカで最古の土器はマリで見つかった約1万1千年前のものだったはずだから、土器があったかどうか微妙な時代。もしも土器が無かったのなら、絵の具を作っても、それを運べる容器がない。なので、絵の具を作ったら、その場所の近くでしか絵を描けない。
獲物の皮で袋を作ればなんとかならなくもないと思うが、実際に絵が描かれている場所の近くに顔料づくりの跡があるのだから遠くまでは運ばなかったと考えるのが自然。
ただ後日、「ダチョウがいた時代にはダチョウの殻を容器に使った可能性もあるのでは」という記述を見つけた。全く別の遺跡になるが、海に近い遺跡で貝殻に染料が残っているのが見つかり、パレット代わりに使われていたのではと考察されているのを見たことがあるので、自然物をパレットとして使う発想は無くもない。
ただ、その場合でもあまり遠くまでは運べない。
岩のキャンパスと絵の具工房はセットで考えるべきだろう。

また、こんなに岩が削られるくらい絵の具を作っていたということは、今残っている岩絵はほんの一部だけで、残っていない沢山の「練習」があったと考えるべきなのだと思う。ていうかどんな神絵師だって、練習絵もなしにいきなり秀作は描けないわけで…。
古代の絵師たちも現代の絵師と同じように、岩のキャンパスに描いては流し描いては流しの練習を繰り返し、気に入った、納得のいくものが出来てはじめてコーティングするなどして保存していたのではないだろうか。
だとすると、今残っている岩絵は偶然残った運のいいものというよりは、意図的に残された絵師たちの渾身の一作という可能性もある。
そして、確実に言えることは、今残っている絵はごく一部のものだけで、実際には、その何倍もの絵が周辺のあちこちの岩場に描かれていたはずだということだ。…岩に穴が空くくらい大量の石を砕いて、大量に描いていたのだから…。
描かれた岩絵からは、楽しさのようなものが伝わってくる。
その感覚が描いた人たちの感情とリンクしているのか証明するすべはないが、私としては、彼らは「楽しんで」絵を描いていたのだと、絵を書くことがとても好きだったのだと信じたい。
****
まとめ読みはこちら
実は今回見てきたものには、ペイントされたいわゆる「彩色画」と、石を刻んだ「線画」の二種類があり、微妙にロケーションが異なっていたのだが、まずは彩色画のほうから整理していく。
「彩色画」のある場所は、例外無く以下の条件に当てはまる。③は砂漠化した現在も植物が生えているなど地下に水が残っていると思われる場所が近くにあることから判断できる。
①屋根があるなど風雨から守られている
②かつて住居として使われていた可能性の高い場所
③近くに川や泉だったと思われる場所がある
サハラ砂漠全体を見るとたしかに不毛の土地なのだが、地下にはおそらく、見えない水がある。でなければ、あちこちで見かける植物が生きていけないからだ。
というわけで、岩絵のロケーションを確認していこう。
まずわかりやすいこちら。快適に暮らせそうなイイ感じの岸壁の洞窟である。ここに岩絵がある。
下から見上げるとこんな感じ。
登って上から見下ろすと、こう。
植物が一直線に並んで生えているということは、その下に水の流れる隠れた川があるということ。地形的にも、かつてはここに川があったんだろうなと思わせる形状になっている。周囲は硬い岩なのに、凹んでいる、植物の生えたところだけ泥が固まったようになっている。
岩絵は、かつて砂漠が緑だった頃に描かれたもので、人とライオンやキリン、ウシなどが踊るように散らばっている。素晴らしい躍動感、そして絵から伝わる生命力。
岩絵の中でも特にレベル(画力)の高いものはタッシリ・ナジェール台地の上にあるというが、その入口にあたる15分だけ登った場所でも、このくらいの絵が出てくるのだ。
古代の神絵師がタッシリ台地にたくさん暮らしていたんだろうなあ。
次はココ、これもわかりやすく岩の割れ目の住居跡。典型的な考古学サイトというか、周辺調べたら絶対石器とか出てくるよね、という地形している。
すぐ目の前に木が生えていて、おそらくこの下に水源が埋もれている。
この岩絵も洞窟の中。洞窟自体はかなり埋もれて天井と床の隙間が狭くなっているが、かつては快適に暮らせた場所なのだろう。
画力はあまり高くないが、ウシと人が描かれていた。
少し上がった高台の、張り出した岩の下は一面がキャンバス。レイヨウっぽいものやライオン、ゾウなど、かつて砂漠が緑だった時代の絵でいっぱい。
高台から見下ろすと、すぐ近くに植物が一直線に生えているのがわかる。現在も雨が降ると一時的に水が流れる枯れ谷、おそらくかつて川だった場所だ。
岩絵のある場所は基本的に丘/崖で、平地部分には無い。
これは、もし屋外に描かれたものがあったとしても風雨で劣化して無くなってしまうからというのもあるが、基本的に住居近くで描かれるもののだったからだと思う。
そして、ペイント用のキャンバスとして適しているのは、丘/崖の岩肌なのだ。それ以外の場所は描けるような場所もない。
岩絵巡りは、岩で出来た渓谷を通り、平らな荒野を横切り、砂の山を乗り越えて、めまぐるしく変わる風景の中を駆け抜ける行程でもある。
岩絵巡りの中で二箇所ほど、鉄分の多く含まれた赤い石がたくさん落ちている場所があった。近くにはこんな感じで岩に丸い穴が空いている。ここで石を砕き、絵の具を加工した跡なのだそうだ。
サハラが緑だった狩猟民の時代は1万年くらい前とされる。アフリカで最古の土器はマリで見つかった約1万1千年前のものだったはずだから、土器があったかどうか微妙な時代。もしも土器が無かったのなら、絵の具を作っても、それを運べる容器がない。なので、絵の具を作ったら、その場所の近くでしか絵を描けない。
獲物の皮で袋を作ればなんとかならなくもないと思うが、実際に絵が描かれている場所の近くに顔料づくりの跡があるのだから遠くまでは運ばなかったと考えるのが自然。
ただ後日、「ダチョウがいた時代にはダチョウの殻を容器に使った可能性もあるのでは」という記述を見つけた。全く別の遺跡になるが、海に近い遺跡で貝殻に染料が残っているのが見つかり、パレット代わりに使われていたのではと考察されているのを見たことがあるので、自然物をパレットとして使う発想は無くもない。
ただ、その場合でもあまり遠くまでは運べない。
岩のキャンパスと絵の具工房はセットで考えるべきだろう。
また、こんなに岩が削られるくらい絵の具を作っていたということは、今残っている岩絵はほんの一部だけで、残っていない沢山の「練習」があったと考えるべきなのだと思う。ていうかどんな神絵師だって、練習絵もなしにいきなり秀作は描けないわけで…。
古代の絵師たちも現代の絵師と同じように、岩のキャンパスに描いては流し描いては流しの練習を繰り返し、気に入った、納得のいくものが出来てはじめてコーティングするなどして保存していたのではないだろうか。
だとすると、今残っている岩絵は偶然残った運のいいものというよりは、意図的に残された絵師たちの渾身の一作という可能性もある。
そして、確実に言えることは、今残っている絵はごく一部のものだけで、実際には、その何倍もの絵が周辺のあちこちの岩場に描かれていたはずだということだ。…岩に穴が空くくらい大量の石を砕いて、大量に描いていたのだから…。
描かれた岩絵からは、楽しさのようなものが伝わってくる。
その感覚が描いた人たちの感情とリンクしているのか証明するすべはないが、私としては、彼らは「楽しんで」絵を描いていたのだと、絵を書くことがとても好きだったのだと信じたい。
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