アルジェリア(7) 未知なる文明を求めて、砂漠の中の鍵穴式古墳

さて、今回、南部の砂漠地帯は岩絵をメインに見に行ったのだが、地元ガイドさんが帰りに「ついでに寄っていこうぜ」と連れてってくれた謎の遺跡がある。事前情報ゼロで連れて行かれて「???!!」ってなってた場所である
コレ。どう見ても古墳。ディルムンの古墳に似た雰囲気のやつ。

こんなところに、古墳があることを全く知らなかったのだが、現実に眼の前にあったのだから、あるもんはある。

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しかもこれ、かなりデカい。デカすぎて近づくと何がなんだかわからないため、少し離れた岩山に登って撮影しないと全容がわからない。
遠くに停まっている車を比較のために入れてみた。大きさが分かるだろうか。

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前後のロケーションはこんな感じで平原。つまり平原の中の小高い丘の上にこの古墳はある。
水没しづらいところでもあり、他の文明の事例からしてもおそらく有力者の墓だろう。

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ガイドさんいわく、「墓だけどよくわかんない」とのことでほとんど情報が無かったのだが、帰国してから改めて調べてみると、ほんとによく分かっていない遺跡らしい。

・そもそもあんまり調査されていない
・サウジアラビアの砂漠地帯の遺跡などと同じく、人里離れた砂漠の中に点在するため回るのも大変
・副葬品などの残存物が少なく、時代の特定が困難
・この地域は何度も大きな気候変動があり、過去にこの地域に暮らした人間集団の候補が多数ある

また、かつてはイヘーレン様式(Iheren style)と呼ばれる岩絵の近くに墓があることから、この様式の担い手が造成主と考えられたこともあったようだが、現在では否定的な論文が出ているようだ。

An exceptionally large “keyhole monument” in the Oued Tasset and its implications on the stratification of Iheren society
https://www.academia.edu/108838829/An_exceptionally_large_keyhole_monument_in_the_Oued_Tasset_and_its_implications_on_the_stratification_of_Iheren_society

先にイヘーレン様式とは何かを軽くまとめておくと、タッシリ・ナジェールの岩絵の中にある一つの様式で、地中海風の人物や家畜が描かれていることから、先に家畜化の技術を手に入れたアジア方面から移住してきた人々の手による岩絵ではないかとされている。
ただし時代的にめちゃくちゃ新しいとかではなく、紀元前4,500年~2,000年くらいの、ギリギリまだ緑があった時代の絵とされる。ダチョウやガゼルなどと並行して家畜ウシが描かれているのが特徴的らしい。(ウマやラクダはまだ家畜化されていない)

Rock art of Iheren and Tahilahi
https://en.wikipedia.org/wiki/Rock_art_of_Iheren_and_Tahilahi

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ただ、イヘーレン様式の岩絵を描いた人々は、2,000年ほどここに住んだあと、短期間でいなくなってしまう。
おそらく気候の悪化で移住したか、数を減らして地元民に吸収されたのだろうとされる。

ちなみに、これに関連する論文としては、最近出た以下がある。
この地域に西アジアから牧畜技術が伝播した時代でも、遺伝情報的には西アジアとは混じり合っておらず影響は限定的だったので、移住者は少数集団だっただろう、という内容だ。これは、イヘーレン様式が限られた期間の限られた地域だけで消えてしまうこととも一致する。移住者と思われる牧畜民は少数集団で、地元民を支配するとかも無かったのだ。

「緑のサハラ」に暮らした7,000年前の人骨のゲノム調査から、サハラ北部への外部影響が限定的だったことが明らかに
https://55096962.seesaa.net/article/514241785.html

…ということは、大規模な古墳を大量に作るだけの人口も時間も無い。

グーグルアースなど衛星からのデータが豊富に手に入るようになり、現在見つかっている同様の形式の古墳は800以上と膨大な数になっている。必ずしもイヘーレン地域に集中しているとは言えなくなってきている上に、規模が大きすぎる。

論文では、大規模な古墳は「1日12時間労働で、のべ約7,500人ぶんの労働力が必要」と試算されている。これは20人が1年休みなくか、240人が1ヶ月休みなく働いた場合の労働力に匹敵するという。単純に近くの石材を積み上げるだけなので、日本の古墳などに比べればそれほど手間はかかってないいように見えるが、少人数が一般的な遊牧民でこれだけの労働力を使えるかどうかという問題がある。

ましてや作る古墳は1つではない。小規模なものがほとんどとはいえ、同様のものが800以上あるとなると、相当長い期間、継続的に労働力を捻出できる集団でなければ厳しい。
単品ではなく、古墳全体を見渡した場合に、イヘーレン様式の絵を描いた少人数の集団にこの規模の遺跡は作れないんじゃない? というのだ。

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とはいえ、「じゃあ誰が作ったのよ」というのは見えてこない。
日本の古墳同様、有力者ほど大きい古墳を作る、という墓の作り方をしていた場合、貧富に差のある階層的な部族社会が考えられる。また古墳が特定の地域に集中する傾向からして、遊牧民より定住民の可能性が高そうに思えるが、最近調査されているアラビア半島の砂漠の地上絵の場合、どう考えてもこの地域にいたのは遊牧民のはずなのに数が非常に多く、遊牧民でも長期間かければこの手の遺跡を大量に作れるということが分かってきている。

というか、このアラビア半島の「ペンダント型の墓」と呼ばれているものが、サハラの鍵穴式古墳の形状に若干似ていなくもないので、どこか繋がってたりしないんだろうか…というのも気になっている。まあ「なんとなく似てる」だけでは何の根拠にもならないんだけど。

謎多き遺跡。だがそこがいい。
古代文明ミステリーは、わかりそうでわからない謎がとてもいいのだ。



なお、この古墳については、ジャネット村の中心部にあった小さな博物館にも展示があった。…あった、…んだけど…
まあ分かっちゃいたけど、なんの説明もねもえ! www

この博物館、化石は「化石」としか札がついてないし、全般的に展示が適当。あれだ、エチオピアの博物館とかとおんなじだな、とりあえず展示してあるだけというか。
墓の様式を何パターンか模型で展示してあるだけで、壺とかも説明なくて副葬品なのか単にその時代に近いものを出しているのか分からずじまい。唯一それなりに説明してあったのがホモ・エレクトゥスの石器だったよ…。

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というわけで、全くノーマークのところから知ることが出来た、この謎古墳。
機会があったら、もう少し詳しく調べてみようと思う。


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