インターネットがない時代の登山はどうしてた? →ラジオ必携だった
いまや登山するのにスマホは必需品みたいな扱いを受けている。有名どころの山や、人がよく行くようなエリアでは、山の中でも電波が通じることは珍しくない。今やルート指示も天気予報も全てスマホ頼りである。
だが、それはここ20年くらいの話だ。
中の人が登山をはじめた頃はスマホなんて無かったし、そもそもインターネットが普及し始めた頃で光回線どころかADSLもまだ出回っていない…。
では、その時代、登山って一体どうやっていたのか?
という思い出話をしておきたい。
●登山コミュニティ、情報誌が今より重要だった時代
最新情報は口コミが基本、それもインターネットとか無いので「先輩から後輩へ」みたいな情報伝達がけっこう重要だった。
当時は学校の部活としての登山部に入っていたので、先輩たちの「口伝」としての技術や、「xx山に行くなら△△から入山すると行きやすい」みたいな情報が伝わっていた。また、雑誌で紹介されたルートを採用するというのもよくあった。
社会人は山やるなら山岳会に入るのが基本、みたいなところもあり、今よりソロ山行はやりづらかったと思う。
●地図はもちろん紙、読図は必須スキル
行く山が決まったら、大きめの本屋に行って国土地理院の2万5千分の1の白地図をあさり、手に入れた地図に赤鉛筆で予定ルートの印を入れていた、あの頃。もちろん読図は必須スキル。基本的な読図は全員出来るのが当たり前だった。
パーティーを組んで登山する場合、歩いた距離と周りの地形から現在位置を割り出して「次のチェックポイントまであとどのくらいか」を計算するのはマッパーのお仕事。登山アプリに「あと●●m」なんて便利に表示される今の時代からすると、読図スキルの重要性が格段に高かった。
●天気予報はラジオで聞く、自分で天気図を描く
インターネットが無い=天気予報はテレビで流れるやつか新聞に載ってるのしかない、しかもその情報は町のものであって山の天気がわからない。
山の天気は、ラジオで流れてくる最新の気象情報で聞いた内容を自ら天気図に起こして、そこから読図して予測というのが基本だった。「ウラジオストック、北北東の風、風力3」「稚内、北東の風、風力2」…とか、各観測地点の最新情報が延々流れてくるアレである。
各地点の数値を日本地図に書き起こしたあと、気圧の線をだーっと書いて「おもくそ前線くるんですけどw これは確実に荒れるから次のピーク越えたら撤退っすね~…」とかの判断をしていた。まあこれが大変。
とはいえ山の天気とか雲の流れ見てれば天気図描かなくてもだいたい予測はついたが…。
天気図の読み方も必須スキルの一つだった。
●携帯電話の代わりに無線を持ってた
携帯電話すらない時代、もしもの時のために持ち歩いていたのは無線機。といっても前後2パーティーに分かれて定期的に連絡とりあうくらいで、無線を使って町に救援要請とかはほぼ出来ない。谷間に入ってしまうと無線も通じなかったし、遭難したからといって気軽に救助要請できるような時代ではなかった。
「山は自己責任」という言葉は当時からあったが、この頃はまさに自己責任で、事前準備とスキルは必須、いったん山に入ったらもう町から救援は来ないから自力で戻ってこい、というのが当たり前の考え方だったのだ。(なので、最近の登山者は気軽に救助要請しすぎる、と古参の登山者がキレるのも分からなくはない)
●実は登山口までのアクセス方法を調べるのが一番大変だった
遠方の山の場合、電車とかバスとかを乗り継いでいくことになるのだが、それをどう組み合わせればいいのかを調べるのが大変。
スマホで乗り換え検索、なんてものは当然ないので、時刻表を取り寄せて突き合わせ、「まず岡山まで夜行バス、岡山から四国に特急で渡って…」とかアナログオンリーの手段で計画を立てていた。
その点、登山口が温泉地にあるとか、近くに有名な観光地があるとかの山は登りやすかったんですよね…
観光地行きのバスに乗って観光地に行かずに山に入ったりもしてましたねw
●登山装備があまり無かった、ニッカポッカが基本
中の人が登山はじめた頃はオシャンティな登山装備とか出てないので、女子はほぼニッカポッカ一択だった。芋ズボンかニッカポッカか、みたいな。
モンベルはもう開業していたが、インターネット通販など当然まだない。地方はまともにショップもないので、大きな都市に買い出しにいくのが基本。中の人が定期的に買い出しに出かけていたのは、今はもう無い大阪の丸ビルのすぐ傍にあったスポーツ用品店。
はじめてのマイザックはそこで書い、社会人になるまで使った。
登山装備を気軽に買い替えられるような時代ではなく、とにかく自分に合う一品を見つけて使い込むものだった。というか情報が少なく、手に入る品も限られており、自分に合うものを見つけるのがまず大変で、登山靴は今のブランドにたどり着くまで紆余曲折があった…。
●百名山はそんなに有名じゃなかった、目指す人は限られていた
登山SNSのようなもの無く、スタンプラリーのように全国の百名山を巡るムーブは無かったし、今のように初心者がいきなり最初から狙うものではなかった。百名山の本は出ていたが、それを意識して回るつもりの人はそれほど居なかった。手近で行ける山だいたい巡り終えた人が「じゃあせっかくだし百名山のまだ行ったこと無いとこでも行くかあ…」という感じで穴埋めに旅立つ時に指針にするような、どちらかというとエンドコンテンツに近い扱いだったように思う。
少なくとも自分の周りでは、「百名山のうち●座に登ったことがある」みたいな単純な数よりも、「冬季のxx岳に登った」「xx山をxx尾根から登った」とかの個々の登山経験のほうがステータスとして扱われていた。
******
というわけで、今とはだいぶ違っていたことが分かったかと思う。
登山のハードルは、ここ20年くらいで一気に下がったのだ。そしてその分、初心者が気軽に上級者ルートに入りこみやすくなり、事故ることも多くなった。
北アルプスの3,000m級はそれなりに下積みしてから挑むべき場所なんだよ。とか、登山に体力がいるのは当たり前なので10代20代の若者じゃないなら意図して鍛えないとダメだよ。みたいな当たり前の前提が忘れられがちなのかなあとも思う。情報があふれる時代になると逆に、当たり前の前提は埋もれて見えなくなる、というのは、なんとも皮肉だなと思うけれど。
だが、それはここ20年くらいの話だ。
中の人が登山をはじめた頃はスマホなんて無かったし、そもそもインターネットが普及し始めた頃で光回線どころかADSLもまだ出回っていない…。
では、その時代、登山って一体どうやっていたのか?
という思い出話をしておきたい。
●登山コミュニティ、情報誌が今より重要だった時代
最新情報は口コミが基本、それもインターネットとか無いので「先輩から後輩へ」みたいな情報伝達がけっこう重要だった。
当時は学校の部活としての登山部に入っていたので、先輩たちの「口伝」としての技術や、「xx山に行くなら△△から入山すると行きやすい」みたいな情報が伝わっていた。また、雑誌で紹介されたルートを採用するというのもよくあった。
社会人は山やるなら山岳会に入るのが基本、みたいなところもあり、今よりソロ山行はやりづらかったと思う。
●地図はもちろん紙、読図は必須スキル
行く山が決まったら、大きめの本屋に行って国土地理院の2万5千分の1の白地図をあさり、手に入れた地図に赤鉛筆で予定ルートの印を入れていた、あの頃。もちろん読図は必須スキル。基本的な読図は全員出来るのが当たり前だった。
パーティーを組んで登山する場合、歩いた距離と周りの地形から現在位置を割り出して「次のチェックポイントまであとどのくらいか」を計算するのはマッパーのお仕事。登山アプリに「あと●●m」なんて便利に表示される今の時代からすると、読図スキルの重要性が格段に高かった。
●天気予報はラジオで聞く、自分で天気図を描く
インターネットが無い=天気予報はテレビで流れるやつか新聞に載ってるのしかない、しかもその情報は町のものであって山の天気がわからない。
山の天気は、ラジオで流れてくる最新の気象情報で聞いた内容を自ら天気図に起こして、そこから読図して予測というのが基本だった。「ウラジオストック、北北東の風、風力3」「稚内、北東の風、風力2」…とか、各観測地点の最新情報が延々流れてくるアレである。
各地点の数値を日本地図に書き起こしたあと、気圧の線をだーっと書いて「おもくそ前線くるんですけどw これは確実に荒れるから次のピーク越えたら撤退っすね~…」とかの判断をしていた。まあこれが大変。
とはいえ山の天気とか雲の流れ見てれば天気図描かなくてもだいたい予測はついたが…。
天気図の読み方も必須スキルの一つだった。
●携帯電話の代わりに無線を持ってた
携帯電話すらない時代、もしもの時のために持ち歩いていたのは無線機。といっても前後2パーティーに分かれて定期的に連絡とりあうくらいで、無線を使って町に救援要請とかはほぼ出来ない。谷間に入ってしまうと無線も通じなかったし、遭難したからといって気軽に救助要請できるような時代ではなかった。
「山は自己責任」という言葉は当時からあったが、この頃はまさに自己責任で、事前準備とスキルは必須、いったん山に入ったらもう町から救援は来ないから自力で戻ってこい、というのが当たり前の考え方だったのだ。(なので、最近の登山者は気軽に救助要請しすぎる、と古参の登山者がキレるのも分からなくはない)
●実は登山口までのアクセス方法を調べるのが一番大変だった
遠方の山の場合、電車とかバスとかを乗り継いでいくことになるのだが、それをどう組み合わせればいいのかを調べるのが大変。
スマホで乗り換え検索、なんてものは当然ないので、時刻表を取り寄せて突き合わせ、「まず岡山まで夜行バス、岡山から四国に特急で渡って…」とかアナログオンリーの手段で計画を立てていた。
その点、登山口が温泉地にあるとか、近くに有名な観光地があるとかの山は登りやすかったんですよね…
観光地行きのバスに乗って観光地に行かずに山に入ったりもしてましたねw
●登山装備があまり無かった、ニッカポッカが基本
中の人が登山はじめた頃はオシャンティな登山装備とか出てないので、女子はほぼニッカポッカ一択だった。芋ズボンかニッカポッカか、みたいな。
モンベルはもう開業していたが、インターネット通販など当然まだない。地方はまともにショップもないので、大きな都市に買い出しにいくのが基本。中の人が定期的に買い出しに出かけていたのは、今はもう無い大阪の丸ビルのすぐ傍にあったスポーツ用品店。
はじめてのマイザックはそこで書い、社会人になるまで使った。
登山装備を気軽に買い替えられるような時代ではなく、とにかく自分に合う一品を見つけて使い込むものだった。というか情報が少なく、手に入る品も限られており、自分に合うものを見つけるのがまず大変で、登山靴は今のブランドにたどり着くまで紆余曲折があった…。
●百名山はそんなに有名じゃなかった、目指す人は限られていた
登山SNSのようなもの無く、スタンプラリーのように全国の百名山を巡るムーブは無かったし、今のように初心者がいきなり最初から狙うものではなかった。百名山の本は出ていたが、それを意識して回るつもりの人はそれほど居なかった。手近で行ける山だいたい巡り終えた人が「じゃあせっかくだし百名山のまだ行ったこと無いとこでも行くかあ…」という感じで穴埋めに旅立つ時に指針にするような、どちらかというとエンドコンテンツに近い扱いだったように思う。
少なくとも自分の周りでは、「百名山のうち●座に登ったことがある」みたいな単純な数よりも、「冬季のxx岳に登った」「xx山をxx尾根から登った」とかの個々の登山経験のほうがステータスとして扱われていた。
******
というわけで、今とはだいぶ違っていたことが分かったかと思う。
登山のハードルは、ここ20年くらいで一気に下がったのだ。そしてその分、初心者が気軽に上級者ルートに入りこみやすくなり、事故ることも多くなった。
北アルプスの3,000m級はそれなりに下積みしてから挑むべき場所なんだよ。とか、登山に体力がいるのは当たり前なので10代20代の若者じゃないなら意図して鍛えないとダメだよ。みたいな当たり前の前提が忘れられがちなのかなあとも思う。情報があふれる時代になると逆に、当たり前の前提は埋もれて見えなくなる、というのは、なんとも皮肉だなと思うけれど。