インドネシア・スラウェシ島の岩絵は6万7千年前のものと発表、世界最古だというのだが…?
インドネシア・スラウェシ島の洞窟のステンシル岩絵の年代測定が行われ、最古のものは6万7千年前のものと判明したそうだ。
世界最古の岩絵はこれになる、とのことだが、元論文見ると年代のバラつきがちょっと気になった。あとで年代修正来るかもしれんなと思ったのでメモしておく。
Rock art from at least 67,800 years ago in Sulawesi
https://www.nature.com/articles/s41586-025-09968-y#Fig2

※上の図でbのほうにある赤い丸が年代の特定できた遺跡のあるところ。8つの遺跡での11の絵画について年代測定を行ったという。測定方法は、絵の上に重なった炭酸カルシウムに含まれるウランの減衰らしい。

※こちらが「最も古い年代が出た」という、ムナ島のリアン・メタンドュノ(Liang Metanduno in Muna Island)の岩絵。ただ、6万7千年という年代が出たのはLMET2の部分だけで、LMET1の部分は6万年と2万1千年という数値が出ている。古い数値を採用したとしても7千年ずれてるし、新しい数値だと4万年ずれてる。
自分が「これ年代測定大丈夫か?」と思ったのは、ここの部分。すぐ隣同士によく似通ったスタイルの絵画があるにも関わらず、年代が数万年ずれて出るのなら、ここで出すべき結論は「長い年月同じスタイルの絵画手法が受け継がれてきた」ではなく「年代測定の方法自体が何か間違っているか、サンプルの取得方法に問題がある」ではないだろうか。
他の岩絵も4万年前くらいから2万年前くらいまでバラついた数値が出ているようなのだが、最も新しいとされ、最も多くの検出例のある2万年前あたりが全体としての妥当な数値なのでは…と思う。ハズレ値という概念の無い研究に見えるのだ。
また、何万年も同じ文化が進歩なく続くとか、好みが全く同じとかいうことは、普通あり得ない…。
気候条件だって変わるだろうし、使える素材や洞窟周りの環境も、モチーフに出来る動植物も変化する。ヘタしたらここに住んでる人間集団が丸ごと入れ替わってる。しかも150万年前と140万年前とかじゃなく6万7千年と2万年でしょ? 最終氷期の気候が短期間に激変していた時期では。
たとえば日本で考えてほしいのだが、日本列島に最初に現生人類がたどり着いたのは4万年前くらいとされる。
ルートは大きく分けて3通りで、海水面が下がっていた時期に北海道経由で来たシベリアの人々、朝鮮半島経由でやってきた大陸からの人々、南から海沿いにやってきた東南アジア方面の人々がいたという。もちろん同時にやってきたわけではないので、1万年以上の時をかけて少しずつ入ってきた。
彼らは日本列島の中で混じり合い、結果として、日本列島に住む人間は日本オリジナルの形質となった。縄文時代の「日本人」の骨格は、周辺のどの地域とも異なる特性を持つ。そして、多少の地域差はあれど、日本列島の北から南まで、だいたい均一化されていた。
つまりは多方面からやって来た人間集団が数万年かけて混じり合って、縄文時代の始まりである1万年5千年前くらいには「日本人の祖」という一つの集団に変化していたと言っていい。当然、言語や風習も統一されていっただろう。
数万年の差というのはそのくらいのインパクトがある。
4万年前に日本に住んでいた人間集団と1万年前に日本に住んでいた人間集団が全く同じだと考える学者はいないだろう。日本に4万年前の岩絵があったとしたら、それを描いたのが縄文人と同じ集団とは考えられない。
なのに、この論文の著者は「岩絵は3万年以上も描き続けられた」と無条件に同じ人間集団が同じ意図でやったと仮定しているようだ。ここにツッコまずにどうする…。
なんでこの論文が査読通ってるのかよく分からないのだが、もし本当に数万年単位で異なる時代に同じ場所に(しかも隣同士に)絵を描いた人がいたというのなら、それぞれの絵を描いた人間集団は確実に別物で、つまり描画の手法は何かが明確に異なっていなければならないと思う。それを示せないなら検出された数値のほうを疑うのが妥当ではないだろうか。
補正に使った数値に考慮漏れがあって、ウラン以外の成分の減衰を使って年代測定したら全然別の結果が出るとかがありそうでちょっと怖いので、この研究をそのまま納得するのは難しいなという印象だ。
*******************
この件については、いくつかの記事を読んでみて「ポリコレ的な意味で採用された論文では…」という疑いもある。
かつては古い岩絵はヨーロッパでのみ見つかっており、人類の認知的に発展・芸術という概念の覚醒などはヨーロッパで起きたもので、そこから他の地域に伝播していったのだ、とする思想があった。これは古くは「ヨーロッパ人の祖先はクロマニョン人、他の地域の(劣った)人種はアウストラロピテクスから進化した、人種的に別なのだ」といった、優生人種思想とも繋がっていた。
そのカウンターとしてアジアで古い岩絵が見つかっていることを大々的に宣伝する意味もあるのでは? ということだ。
Oldest cave painting of red claw hand could rewrite human creativity timeline
https://www.bbc.com/news/articles/czx1pnlzer5o
この記事にある「ヨーロッパにおける精神のビックバン」というのがそれ。「より古い岩絵がアジアにあるということは、人類の創造性はヨーロッパで誕生したものではなく、アフリカを出る時点で共通的に持っていたものだ」という考えには賛成するが、そのために今回の岩絵の不自然とも思える古さを批判なく採用するのは違うだろうと思う。
なんかこう…注目すべきはそこじゃないし、論ずるべきポイントもそこじゃないと思うんだが…。
******************
ついでなので、この研究を読む前提としての知識も書いておく。
この場所は、オーストラリアへ渡った最初の人類が通ったと思われるルート上にあり、近年研究が進んでホットな地域となっている。
オーストラリアへの人の移住は6万年を遡るはずだ説と5万年前くらいだろう説があるが、今のところ5万年前あたりが多くの学者の合意しているラインになる。ただ、より古い年代を提示しないと目立つ論文が書けない、という事情から、あの手この手で古い年代を提示してくる発表が後を絶たない。
まあ、なので、最古競争が加熱しているエリアで提示される年代は、眉につばをヌリヌリしながら出迎えるくらいでいいと思う。
人類のオーストラリア遠征6万年前説はおそらく間違い。だが行程の一部は明らかに。
https://55096962.seesaa.net/article/504516663.html
これは多分ツッコみ待ち。オーストラリアへの人類の移住、6万5千年前まで遡らせようとする新たな試みが成される
https://55096962.seesaa.net/article/519339256.html
ちなみに同じく岩絵で有名な有名なラスコーやアルタミラは、それぞれ1万7千年、2万2千年なので、今回提示された岩絵が本当に6万7千年前のものだとしたら、全然レベルの違う古さ、ということになる。
この時代の人類に芸術を作る能力が既にあっただろうことを疑う気はないが、「出来ただろう」という推測と、「証拠が残っている」は話が別だ。ましてやスラウェシ島の周辺は、オーストラリアへの渡海の話をす際に毎回出される地図を見て分かるとおり、5万年前の時点で海水の高さが全然違い、現在は水没しているような場所が沢山ある。
当時の人類が多く暮らしていたのはおそらく食料を得やすい海沿いで、つまりは現在水没している部分になる。地上で見つかる遺跡という時点で、海水面が上昇を開始して以降の、より新しい時代のものである可能性が高い。
今あるものでなんとか証拠を提示したいと色々こねくりまわすりはわからんでもないのだけれど、さすがにちょっとなあ…という一歩引いた冷めた顔になってしまう。
数字だけ積み増しされた古代ロマンは…ノーサンキューで…。
世界最古の岩絵はこれになる、とのことだが、元論文見ると年代のバラつきがちょっと気になった。あとで年代修正来るかもしれんなと思ったのでメモしておく。
Rock art from at least 67,800 years ago in Sulawesi
https://www.nature.com/articles/s41586-025-09968-y#Fig2
※上の図でbのほうにある赤い丸が年代の特定できた遺跡のあるところ。8つの遺跡での11の絵画について年代測定を行ったという。測定方法は、絵の上に重なった炭酸カルシウムに含まれるウランの減衰らしい。
※こちらが「最も古い年代が出た」という、ムナ島のリアン・メタンドュノ(Liang Metanduno in Muna Island)の岩絵。ただ、6万7千年という年代が出たのはLMET2の部分だけで、LMET1の部分は6万年と2万1千年という数値が出ている。古い数値を採用したとしても7千年ずれてるし、新しい数値だと4万年ずれてる。
自分が「これ年代測定大丈夫か?」と思ったのは、ここの部分。すぐ隣同士によく似通ったスタイルの絵画があるにも関わらず、年代が数万年ずれて出るのなら、ここで出すべき結論は「長い年月同じスタイルの絵画手法が受け継がれてきた」ではなく「年代測定の方法自体が何か間違っているか、サンプルの取得方法に問題がある」ではないだろうか。
他の岩絵も4万年前くらいから2万年前くらいまでバラついた数値が出ているようなのだが、最も新しいとされ、最も多くの検出例のある2万年前あたりが全体としての妥当な数値なのでは…と思う。ハズレ値という概念の無い研究に見えるのだ。
また、何万年も同じ文化が進歩なく続くとか、好みが全く同じとかいうことは、普通あり得ない…。
気候条件だって変わるだろうし、使える素材や洞窟周りの環境も、モチーフに出来る動植物も変化する。ヘタしたらここに住んでる人間集団が丸ごと入れ替わってる。しかも150万年前と140万年前とかじゃなく6万7千年と2万年でしょ? 最終氷期の気候が短期間に激変していた時期では。
たとえば日本で考えてほしいのだが、日本列島に最初に現生人類がたどり着いたのは4万年前くらいとされる。
ルートは大きく分けて3通りで、海水面が下がっていた時期に北海道経由で来たシベリアの人々、朝鮮半島経由でやってきた大陸からの人々、南から海沿いにやってきた東南アジア方面の人々がいたという。もちろん同時にやってきたわけではないので、1万年以上の時をかけて少しずつ入ってきた。
彼らは日本列島の中で混じり合い、結果として、日本列島に住む人間は日本オリジナルの形質となった。縄文時代の「日本人」の骨格は、周辺のどの地域とも異なる特性を持つ。そして、多少の地域差はあれど、日本列島の北から南まで、だいたい均一化されていた。
つまりは多方面からやって来た人間集団が数万年かけて混じり合って、縄文時代の始まりである1万年5千年前くらいには「日本人の祖」という一つの集団に変化していたと言っていい。当然、言語や風習も統一されていっただろう。
数万年の差というのはそのくらいのインパクトがある。
4万年前に日本に住んでいた人間集団と1万年前に日本に住んでいた人間集団が全く同じだと考える学者はいないだろう。日本に4万年前の岩絵があったとしたら、それを描いたのが縄文人と同じ集団とは考えられない。
なのに、この論文の著者は「岩絵は3万年以上も描き続けられた」と無条件に同じ人間集団が同じ意図でやったと仮定しているようだ。ここにツッコまずにどうする…。
なんでこの論文が査読通ってるのかよく分からないのだが、もし本当に数万年単位で異なる時代に同じ場所に(しかも隣同士に)絵を描いた人がいたというのなら、それぞれの絵を描いた人間集団は確実に別物で、つまり描画の手法は何かが明確に異なっていなければならないと思う。それを示せないなら検出された数値のほうを疑うのが妥当ではないだろうか。
補正に使った数値に考慮漏れがあって、ウラン以外の成分の減衰を使って年代測定したら全然別の結果が出るとかがありそうでちょっと怖いので、この研究をそのまま納得するのは難しいなという印象だ。
*******************
この件については、いくつかの記事を読んでみて「ポリコレ的な意味で採用された論文では…」という疑いもある。
かつては古い岩絵はヨーロッパでのみ見つかっており、人類の認知的に発展・芸術という概念の覚醒などはヨーロッパで起きたもので、そこから他の地域に伝播していったのだ、とする思想があった。これは古くは「ヨーロッパ人の祖先はクロマニョン人、他の地域の(劣った)人種はアウストラロピテクスから進化した、人種的に別なのだ」といった、優生人種思想とも繋がっていた。
そのカウンターとしてアジアで古い岩絵が見つかっていることを大々的に宣伝する意味もあるのでは? ということだ。
Oldest cave painting of red claw hand could rewrite human creativity timeline
https://www.bbc.com/news/articles/czx1pnlzer5o
この記事にある「ヨーロッパにおける精神のビックバン」というのがそれ。「より古い岩絵がアジアにあるということは、人類の創造性はヨーロッパで誕生したものではなく、アフリカを出る時点で共通的に持っていたものだ」という考えには賛成するが、そのために今回の岩絵の不自然とも思える古さを批判なく採用するのは違うだろうと思う。
なんかこう…注目すべきはそこじゃないし、論ずるべきポイントもそこじゃないと思うんだが…。
******************
ついでなので、この研究を読む前提としての知識も書いておく。
この場所は、オーストラリアへ渡った最初の人類が通ったと思われるルート上にあり、近年研究が進んでホットな地域となっている。
オーストラリアへの人の移住は6万年を遡るはずだ説と5万年前くらいだろう説があるが、今のところ5万年前あたりが多くの学者の合意しているラインになる。ただ、より古い年代を提示しないと目立つ論文が書けない、という事情から、あの手この手で古い年代を提示してくる発表が後を絶たない。
まあ、なので、最古競争が加熱しているエリアで提示される年代は、眉につばをヌリヌリしながら出迎えるくらいでいいと思う。
人類のオーストラリア遠征6万年前説はおそらく間違い。だが行程の一部は明らかに。
https://55096962.seesaa.net/article/504516663.html
これは多分ツッコみ待ち。オーストラリアへの人類の移住、6万5千年前まで遡らせようとする新たな試みが成される
https://55096962.seesaa.net/article/519339256.html
ちなみに同じく岩絵で有名な有名なラスコーやアルタミラは、それぞれ1万7千年、2万2千年なので、今回提示された岩絵が本当に6万7千年前のものだとしたら、全然レベルの違う古さ、ということになる。
この時代の人類に芸術を作る能力が既にあっただろうことを疑う気はないが、「出来ただろう」という推測と、「証拠が残っている」は話が別だ。ましてやスラウェシ島の周辺は、オーストラリアへの渡海の話をす際に毎回出される地図を見て分かるとおり、5万年前の時点で海水の高さが全然違い、現在は水没しているような場所が沢山ある。
当時の人類が多く暮らしていたのはおそらく食料を得やすい海沿いで、つまりは現在水没している部分になる。地上で見つかる遺跡という時点で、海水面が上昇を開始して以降の、より新しい時代のものである可能性が高い。
今あるものでなんとか証拠を提示したいと色々こねくりまわすりはわからんでもないのだけれど、さすがにちょっとなあ…という一歩引いた冷めた顔になってしまう。
数字だけ積み増しされた古代ロマンは…ノーサンキューで…。