全編に渡って違和感山盛りのツッコミ待ち「王墓の謎」

図書館で適当に読むもの漁ってる時に見つけて、なんだこれ? という感じで手にとってみた本。初っ端から意味不明で、「?????」となりつつ読んでみたが、最後まで腑に落ちるところが無く、ここまで話が噛み合わない本も久しぶりだな…という感じであった。

この本の趣旨は、古墳とピラミッドを代表例として挙げつつ、「古代に作られた王墓は権力の象徴と言われてきたが、実際にはそうではない。王墓を作ることに社会的な意義があったのだ」という話だろう。

だが、まず前提からしてクソデカいツッコミどころがある。

・王墓は古代のみに作られていたものではない。現代・近代にも作られ続けている。

・王墓は権力が無いと作れないので権力の象徴という側面は正しい。それ以外の付加価値や第二の意味を求めるなら妥当だろうが、いきなり権力の象徴という側面を否定するところから入っているのが意味不明。

・例として挙げているものに王墓と言い難いものが入っている


王墓の謎 (講談社現代新書) - 河野一隆
王墓の謎 (講談社現代新書) - 河野一隆

まず最初の違和感は、著者が「王墓」を未成熟な社会の産物、古代にしか作られていないものと決めつけて話を始めているところだ。そんなわけはない。いまもなお、権力者が出現するごとに作られ続けている。

たとえば、ピラミッドで有名なエジプトには、1973年に建てられたサダト大統領の墓という現代のピラミッド、現代の王墓がある。
現代国家としてのエジプトは、軍事政権の独裁者を排出することで安定を保ってきた。権力者の墓を戦争記念碑として建てているわけで、「権力の象徴」であるとともに「民族記憶のモニュメント」でもある。

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ロシアのレーニン廟もそうである。ソ連帝国の創設者を祀り上げた、「権力の象徴」であるとともに「特定思想の信奉者にとっての聖地、神殿」の役割も持つ。

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古代からこれまでの歴史の中で、こうした王墓は数多く作られ続けてきた。

「王墓」なるものは、必ずしも古墳やピラミッドのような古代特有のシロモノではない。また、社会の発展の特定の一時期のみに出現するものでもない。そして「王墓=権力の象徴」というのは一般的な前提の話であり、唯一絶対の目的ではなく、学説ではないし否定されるようなものでもない。必要最低限な前提条件の一つに権力がある、というだけの話だ。

もし王墓を権力の象徴としてしか見ていないか、イコールで結ばれるようなものだと思いこんでいるのなら、単に自分の視界が狭くて見えていないか、「王墓」の定義を誤っているかである。

そして、もしサダト大統領の墓やレーニン廟が王墓ではないというのなら、そして古代の王墓となにかが決定的に違うと言うのなら、その定義を最初に明らかにすべきだろう。でなければ前提となる語り始めの土台からして揺らいでしまう。



ただ、次に述べるように、著者は「王墓」を規定する確固たる条件を規定できていない。
「王」が作ったものとは呼べないものまで「王墓」に入れてしまっている。本人は世界中から網羅的に事例を引き出したつもりなのかもしれないが、紀元前25世紀から紀元後10世紀まで、時代も社会形態も背景にある宗教概念も全くバラバラなものを羅列しただけである。

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その結果、クルガンやヘレスクルのように、王が作ったとは言い難い、せいぜい部族長とか首長のものでは? というものまで、規模がデカいから、とか、副葬品が豪華だから、というだけで混ぜ込んでしまっている。
これで「王墓」について語ろうというのだから、そりゃ意味不明にもなるというものである。

著者は「万物の黎明」を読んで感銘を受けてこの本を書いたとあとがきに書いているが、一体その本の何をどう読んでこうなったのかが分からせない。

そもそも「万物の黎明」は、社会が一方向に発展するわけではないこと、必ずしも王のような専制君主的な存在をいただく段階を経由するものではないこと、社会のあり方は様々なのだから全世界の文明を一律の基準で評価すべきではないことを述べた本である。

それなのに、すべての文明に「王墓」が存在することを無意識に仮定し、王を頂かない文明形態を考慮せず「豪華な墓を作れるのは王だけ」と規定しているのは、本の主張している内容と真逆に見える。だいたい、王墓として挙げられたこれらの墓に入っているのが威信財だけだとなぜ思ってしまったのか。威信財にしか興味がなく、他のものを見なかったとしか思えない。

万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史
万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史

自分のいちばんよく知っているところで言うならば、古代エジプトの王墓に入っていた品の大半は宗教用具と生活用品である。
ツタンカーメンの墓には大量のパンツが入っていたが、墓自体が「来世で再生復活するための儀式の装置」であり、おそらくは王朝が変わる時に前王朝の神威の宿る品を文字通り「葬り去る」ための封印場所でもあったからだ。

古代エジプトにおいて威信財とは、貴金属や宝石だけではない。王名や神名が刻まれたものは神威が宿るものとして、威信財の一つとして扱われていた。つまりはただの王のパンツやサンダルなど身につけたものすら威信財である。そしてそれらは、王が死んだり王朝が変わったりすると効力を失った。この、期間限定・条件限定でモノが威信財システムは、他の文化圏でも多く見られる。そうした個別の文化圏の前提で考慮されていないことも、説が全般的に薄っぺらく感じてしまう原因だろう。

王権のあり方を型式に分けるより、まず「王権自体が存在しない」「それでも特別な墓はつくられ得る」という部分を考慮すべきだったと思う。

というか、「万物の黎明」以外にも、本のあちこちで参考として出されているトィンビーとかフレイザーとかが、片っ端から私の理解した内容とほぼ真逆の意味合いで使われているのは何故なんだぜ…。




と、ツッコミは山程出てくるのだが、とにかく話の前提からして自分の理解と食い違いすぎて、何一つ刺さらない、ある意味で面白い本であった。

正直、この本を読んだ時の最初の感想は、「こんな内容でも専門家って名乗っていいんだな」という悪い意味での驚きだった。Youtubeに自称歴史研究家がドヤ顔で挙げてる解説動画にありがちな内容で、レベル感も、初っ端出だしから疑問符が飛び交う感じも全く同じ。
比較文化論や比較神話学は、異なる時代や文化を比較するものだ。その特性上、最初に定義を、つまり理論の土台を丁寧に築くことが必要不可欠になると私は理解している。でなければ必ず、議論が発散して空中戦になる。こんなふわっとした定義で始めていいものではなく、浅い議論を重ねても何も生みだせない。


古墳やピラミッドの築かれた意義を問うのであれば、最近読んだこちらの本を読むことをオススメする。

「古墳造営に使われたのは、イザという時のために抱えられていた予備戦力で、遊ばせておくよりは土木工事に使ったのでは?」「だから予備戦力を多く抱えられた権力者ほど古墳が大きくなったのでは?」という説は、なるほどと思った。ピラミッド作業者も多くは単純な土木作業員であり、ピラミッドが作られなくなっていく時代ごろから国家規模での干拓や水路づくりに労力が振り分けられているように見えるからだ。(その他、ピラミッドではなく大神殿の造営などにも労力が割かれるようになった)

前方後円墳 歴史文化ライブラリー - 下垣仁志
前方後円墳 歴史文化ライブラリー - 下垣仁志

そして、大規模墓を作る肉体労働は、どう足掻いてもキツい。進んでやりたいようなものではない。
理想を掲げても腹は膨れない。一般庶民にとっては、未来の大義名分や歴史的な意義よりも。今日のごはんと明日の暮らしのほうが優先される。現代人にとっては「神話」に過ぎない内容も、その時代に生きた人々にとっては「現実」である。

快適な室内で机上の空論をこねくりまわすより、実際に生きた人間のことを考えてみて欲しい。既に干からびた遺物や遺跡ではなく、そこに実際に人が生きて、思考して、生活していた環境と社会を考えたほうがいい。
それはすべての考古学者に言いたいことである。

(あとAIについて盛大な勘違いをしてそうだったのだが、生半可な知識と思い込みで語っちゃうのはちょっとね…)