エチオピア北部、アクスム以前に建設された通商都市「ベタ・サマティ」について

日本語でググってもあまりいい情報が出てこないので、自分で書いておくことにした。
「ベタ・サマティ」はエチオピア北部、アクスム石柱群で有名なアクスム王国の隣接地に建設されていた都市である。紅海を通じてローマやインドとも繋がっていた重要拠点なのだが、完全に忘れ去られており、再発見されたのは2009年と最近のこと。
エチオピアとエリトリアが緊張状態にあるため、発掘調査が進まないままになっている遺跡でもある。

なので資料としてはケンブリッジ大のページにある以下がほぼ唯一となっている。

Beta Samati: discovery and excavation of an Aksumite town
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/beta-samati-discovery-and-excavation-of-an-aksumite-town/643FA872A5B2F9B5E0E765D850C4A526

都市名の「ベタ」は家を意味するヘブライ語のベートと同じ。(アフロ・アジア語由来かセム語由来かは不明だが、エチオピア北部の地名で「ベタ」がつくと「家」の意味)
ベタ・サマティ=謁見の家、という意味。

この都市は紀元前8世紀頃から住民が住み始めており、歴史を見るにアクスム王国の繁栄以前から存在した。ダマティ王国の首都、イェハの影響下にあったとされる。アクスム台頭後はダマティが吸収合併され、イェハは衰退してしまうが、ベタ・サマティのほうは交易拠点として栄え続けていたことが分かっている。つまり、アクスムから紅海へ抜けるルートの交易を担う重要拠点だったのだ。
遺跡が発見されたのが最近ということは、最近まで、アクスムの交易ルートの歴史がすっぽり抜け落ちていたということでもある。地域の歴史を書き換える大発見だったのだ。

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で、この都市のポイントは、おそらくエジプトとも繋がっていたというところ。

首都アディス・アベバの博物館に展示されている遺物からして、イェハは明らかにエジプトとも交易していた。スカラベやベス神の像などが出土しているのだ。
ということは、イェハと同時代から存在したベタ・サマティにもエジプト由来の品は入ってきていたはずだ。

ベタ・サマティが衰退するのはイスラームが入ってくる7世紀。それまで紅海経由の文化の窓口として機能し続けていたのなら、アクスム石柱群がエジプトのオベリスクの影響を受けているという仮説を補強するものではないかと思う。
まあもっといえば、紅海を通じて地中海文化圏ともつながるので、ギリシャ・ローマの文化も入ってきていたはず。(ちなみにアクスム王国はキリスト教国)

東アフリカは伝統的に南アラビア文化圏との繋がりは論じられやすいのだけれど、東地中海文化圏との繋がりも考慮しないといけないですよね。というのを改めて思った。
発掘が進まないのが実に、実にもったいない遺跡なのであった…。