ペルシアvsアレクサンドロス「戦争に勝てないなら強い側に乗り換えればいいじゃない」理論の面白さ
調べ物があって本棚の本を読み返していたときに、ふと目に留まった内容があった。
アレクサンドロスがペルシアに遠征した際に、ペルシア側の高官たちは徹底抗戦の道は選ばず、多くが投降してアレクサンドロス側に寝返った件についての記述だ。
なぜ寝返ったのか。彼らの「忠義」がペルシア王との「互報(ごしゅう)関係」によるものであり、その関係が維持されるのなら、報酬をくれるのがペルシア王ではなく異邦の王に変わるだけで何ら問題はないと受け取られていたからではないか、という。

出典元はこの本

ユ-ラシア文明とシルクロ-ド: ペルシア帝国とアレクサンドロス大王の謎 - 山田 勝久
当時のペルシア帝国は、多種多様なアイデンティティを持つ多民族国家だった。それが一つの国としてまとまるために、「王が臣下に保護を与える」という互酬関係が結ばれており、各地方の総督は各地方で同じ上下の互酬関係を結んだ。ここでの忠誠は、中世日本で言う「御恩と奉公」よりももっとドライな即物的なもので、過去の御恩はあまり関係なく、「今」そして「未来」の報酬が期待できること、既に所持している権利や自らの固有財産が保証されることが重要と解釈できる。
つまりは、過去にたくさん報酬をくれた王であっても、強大な敵を前に負ける可能性があり、このまま現在の王に仕えていると権利や財産を失う可能性があるのなら、過去は過去として切り捨て、今後のために新たに現れた強いほうに乗り換えるのが当然なのである。
アレクサンドロス側からしてみれば、最初に寝返った者を優遇し、実際に権利や財産を保護してみせることで、あとに続くものを寝返らせやすくしたのだろう。現代からすると「裏切り者」に見える当時のペルシア貴族の基本的な価値観も、当時としては「賢い立ち回り」だったのに違いない。
さて、過去に読んでいたこの部分が今になって目に留まったのは、この価値観を堂々と公言する人が今の世の中にいるからである。
この本の記述では「まあーこれは当時の価値観だからね。現代だと国家への帰属意識もあるし、そんな簡単につく陣営変えられるわけがないよね」という感じになっているのだが、実はそうではないらしい。ということは、現代には当たり前に存在することになっている「国民意識」が、実は普遍的なものではなかったのではないか。
具体例を挙げると、ロシアがウクライナに侵攻したことについて、「徹底抗戦するなど馬鹿らしい、どうせ勝てないのに犠牲を出し続けて抵抗する意味などあるのか。ロシアにつけばいいじゃないか」といった意見である。
これはまさに、アレクサンドロスと対峙した時のペルシア貴族の考え方そのものなのだ。
こういう意見が出てくるのは、「自国がなくなろうとも、自分の地位と財産が守られればそれでよい」という価値観を持ち、「上に立つ者が変わっても、自分の地位と財産は守られるはず」と信じられる根拠がある場合だけだろう。とどのつまりは、自分を一方ならぬ価値のある人間と考え、侵略者と交渉し、上手く立ち回れる自信が(もしかしたら根拠のない自信かもしれないが)ある、と解釈できる。
いや、ずっと、「なんでそんな絵空事を信じられるんだ…?」と思っていたんだけど、行動原理というか、根本にある考えがなんとなく腑に落ちた。
そんで、ペルシア帝国崩壊時に裏切った連中とおんなじかぁー、と理解すると、個人的にものすごく解像度が上がった(笑)
まあ、一定数はポジショントークの人もいそうだけど、ガチで「徹底抗戦は馬鹿らしい」と思ってる人は、前提にあるものが近代の戦争じゃないんだ。古代か、中世初期あたりまでなんじゃないかな…。いまだに戦争といえば太平洋戦争のことしか考えてないご老人もいるけれど、それよりもっと前の時代で止まって今目の前で起きている現代の戦争の実情を見てない人は、結構いるのかもしれない…。
アレクサンドロスがペルシアに遠征した際に、ペルシア側の高官たちは徹底抗戦の道は選ばず、多くが投降してアレクサンドロス側に寝返った件についての記述だ。
なぜ寝返ったのか。彼らの「忠義」がペルシア王との「互報(ごしゅう)関係」によるものであり、その関係が維持されるのなら、報酬をくれるのがペルシア王ではなく異邦の王に変わるだけで何ら問題はないと受け取られていたからではないか、という。
出典元はこの本

ユ-ラシア文明とシルクロ-ド: ペルシア帝国とアレクサンドロス大王の謎 - 山田 勝久
当時のペルシア帝国は、多種多様なアイデンティティを持つ多民族国家だった。それが一つの国としてまとまるために、「王が臣下に保護を与える」という互酬関係が結ばれており、各地方の総督は各地方で同じ上下の互酬関係を結んだ。ここでの忠誠は、中世日本で言う「御恩と奉公」よりももっとドライな即物的なもので、過去の御恩はあまり関係なく、「今」そして「未来」の報酬が期待できること、既に所持している権利や自らの固有財産が保証されることが重要と解釈できる。
つまりは、過去にたくさん報酬をくれた王であっても、強大な敵を前に負ける可能性があり、このまま現在の王に仕えていると権利や財産を失う可能性があるのなら、過去は過去として切り捨て、今後のために新たに現れた強いほうに乗り換えるのが当然なのである。
アレクサンドロス側からしてみれば、最初に寝返った者を優遇し、実際に権利や財産を保護してみせることで、あとに続くものを寝返らせやすくしたのだろう。現代からすると「裏切り者」に見える当時のペルシア貴族の基本的な価値観も、当時としては「賢い立ち回り」だったのに違いない。
さて、過去に読んでいたこの部分が今になって目に留まったのは、この価値観を堂々と公言する人が今の世の中にいるからである。
この本の記述では「まあーこれは当時の価値観だからね。現代だと国家への帰属意識もあるし、そんな簡単につく陣営変えられるわけがないよね」という感じになっているのだが、実はそうではないらしい。ということは、現代には当たり前に存在することになっている「国民意識」が、実は普遍的なものではなかったのではないか。
具体例を挙げると、ロシアがウクライナに侵攻したことについて、「徹底抗戦するなど馬鹿らしい、どうせ勝てないのに犠牲を出し続けて抵抗する意味などあるのか。ロシアにつけばいいじゃないか」といった意見である。
これはまさに、アレクサンドロスと対峙した時のペルシア貴族の考え方そのものなのだ。
こういう意見が出てくるのは、「自国がなくなろうとも、自分の地位と財産が守られればそれでよい」という価値観を持ち、「上に立つ者が変わっても、自分の地位と財産は守られるはず」と信じられる根拠がある場合だけだろう。とどのつまりは、自分を一方ならぬ価値のある人間と考え、侵略者と交渉し、上手く立ち回れる自信が(もしかしたら根拠のない自信かもしれないが)ある、と解釈できる。
いや、ずっと、「なんでそんな絵空事を信じられるんだ…?」と思っていたんだけど、行動原理というか、根本にある考えがなんとなく腑に落ちた。
そんで、ペルシア帝国崩壊時に裏切った連中とおんなじかぁー、と理解すると、個人的にものすごく解像度が上がった(笑)
まあ、一定数はポジショントークの人もいそうだけど、ガチで「徹底抗戦は馬鹿らしい」と思ってる人は、前提にあるものが近代の戦争じゃないんだ。古代か、中世初期あたりまでなんじゃないかな…。いまだに戦争といえば太平洋戦争のことしか考えてないご老人もいるけれど、それよりもっと前の時代で止まって今目の前で起きている現代の戦争の実情を見てない人は、結構いるのかもしれない…。