黒海は奴隷交易の海でもあった。「ロシアと黒海・地中海世界」
古本屋の棚をあさっていたら、面白そうな本が出てきたのでとりあえずゲットしてきた。表紙にガレー船があることから察しがつくように、黒海を通じた交易、モノとヒトの繋がりを扱っている。
大航海時代というとポルトガルやスペインが主役で、「外洋」に出ていくことをイメージしがちだが、こちらは「内海」の奥へ入っていく航海。ロシア地域の発見、そして地中海との交易路についてだ。

ロシアと黒海・地中海世界──人と文化の交流史 - 松木 栄三
この本の扱う時代は、おおむね14世紀後半~17世紀だ。ヨーロッバから未開の地、野蛮人の地として扱われていたロシア(まだロシアという名前もない)が、いかにして地中海と繋がり、文明を取り入れていったのかという話でもある。
また、モノとヒトの繋がりと書いたが、モノとヒトがイコールで結ばれる局面が多く出てくる。黒海交易は、「人間が奴隷という名の商品となる」世界でもあった。クリミア・タタールによってロシア人が狩られ、大量に輸出されていた。いわゆる白人奴隷である。周辺が↓この状態なので、まあ…力なき者は狩られるしかねえな…という時代

奴隷の用途は、ガレー船の漕ぎ手や兵士としてが多い。ガレー船一隻に40人とか漕ぎ手を乗せるわけなので、大量に人間が必要なのだ。
またオスマン帝国にはスルタンの寵愛を得た愛妾ロッサーナに代表されるように見目麗しい少女の需要もあったし、エジプトのマムルーク朝などは名前からして奴隷交易の申し子だし、少年奴隷を買ってきて教育するところから始めていた。
健康で元気な人間は主力商品だったのであり、この話を抜きにして大航海時代の交易事情は語れない。奴隷交易というと西アフリカ沿岸のアフリカ人奴隷のほうが目立っているが、黒海を通じて輸出されていた奴隷たちのことも忘れてはいけないだろう。
さて、奴隷の話の他に面白かったのは、「タタールのくびき」についての記述だった。
この言葉は1240年から2世紀半ほどの期間、モンゴル帝国とキプチャク・ハン国によるロシアへの圧力を指す表現として使われるが、実際にこの言葉が使われはじめた時期は不明だという。
少なくとも、支配から解放された直後には記録がないらしい。
実際、16世紀時点で、ロシア(モスクワ)には多くのモンゴル系との混血家系が存在し混血が進んでいたそうだ。そして、モンゴルの支配を受けていた時代は必ずしも停滞だけを生み出していたわけではなかった。「くびき」と表現することは果たして正しいのか、という話である。
なので、この言葉は後世に、「ロシアはアジアの仲間ではない、ヨーロッパの一員たる先進国だ」というアイデンティティを作るために植え付けられたものではないか。というのが、この本で出てきた意見だった。
これは近代ロシアの、何とかしてヨーロッパになろうとしてきた歴史を振り返ると、あり得る話だなと思う。ヴァンダル人が野蛮人の代名詞にされたのと同じように、モンゴル人/タタール人を野蛮人化することで相対的に自分たちを文明人に格上げしようとした文化人の試みがあったのかもしれない。
それと最後の方に出ていたギリシャの聖山アトスについての記述。
これは別の本でも読んだことがあり、ロシア正教の修道院は特別な地位を得ているという話だったが、その成立の経緯や実際にロシア人の修道院に滞在した話なども出てきて面白かった。
アトスについての本は何冊か出ているので、それらと合わせて補完するとわかりやすいと思う。

ギリシャ正教と聖山アトス (幻冬舎新書) - パウエル中西裕一

エーゲ海の修道士 ―聖山アトスに生きる - 川又 一英
正教系のキリスト教は、ロシア正教、ギリシャ正教、アルメニア正教etc、と様々な流派に分かれているため、それぞれの国から来た修道士の作った修道院ごとに祭日や暦がまちまちでカラーも違うのだ。ちなみにここは今も女人禁制、観光客の受け入れはしていない。ギリシャにありながら独立国家のような不思議な場所でもある。
なんで黒海交易の本なのにアトスの話が出てくるのかというと、ロシア人が聖地巡礼するためには黒海を抜けて、交易路を巡礼路として使うからだ。
信仰によって繋がれた道を、商人ではない多くの人々が行き交っていた。それもまた、この本の扱う時代の主要トピックの一つなのだ。
大航海時代というとポルトガルやスペインが主役で、「外洋」に出ていくことをイメージしがちだが、こちらは「内海」の奥へ入っていく航海。ロシア地域の発見、そして地中海との交易路についてだ。

ロシアと黒海・地中海世界──人と文化の交流史 - 松木 栄三
この本の扱う時代は、おおむね14世紀後半~17世紀だ。ヨーロッバから未開の地、野蛮人の地として扱われていたロシア(まだロシアという名前もない)が、いかにして地中海と繋がり、文明を取り入れていったのかという話でもある。
また、モノとヒトの繋がりと書いたが、モノとヒトがイコールで結ばれる局面が多く出てくる。黒海交易は、「人間が奴隷という名の商品となる」世界でもあった。クリミア・タタールによってロシア人が狩られ、大量に輸出されていた。いわゆる白人奴隷である。周辺が↓この状態なので、まあ…力なき者は狩られるしかねえな…という時代
奴隷の用途は、ガレー船の漕ぎ手や兵士としてが多い。ガレー船一隻に40人とか漕ぎ手を乗せるわけなので、大量に人間が必要なのだ。
またオスマン帝国にはスルタンの寵愛を得た愛妾ロッサーナに代表されるように見目麗しい少女の需要もあったし、エジプトのマムルーク朝などは名前からして奴隷交易の申し子だし、少年奴隷を買ってきて教育するところから始めていた。
健康で元気な人間は主力商品だったのであり、この話を抜きにして大航海時代の交易事情は語れない。奴隷交易というと西アフリカ沿岸のアフリカ人奴隷のほうが目立っているが、黒海を通じて輸出されていた奴隷たちのことも忘れてはいけないだろう。
さて、奴隷の話の他に面白かったのは、「タタールのくびき」についての記述だった。
この言葉は1240年から2世紀半ほどの期間、モンゴル帝国とキプチャク・ハン国によるロシアへの圧力を指す表現として使われるが、実際にこの言葉が使われはじめた時期は不明だという。
少なくとも、支配から解放された直後には記録がないらしい。
実際、16世紀時点で、ロシア(モスクワ)には多くのモンゴル系との混血家系が存在し混血が進んでいたそうだ。そして、モンゴルの支配を受けていた時代は必ずしも停滞だけを生み出していたわけではなかった。「くびき」と表現することは果たして正しいのか、という話である。
なので、この言葉は後世に、「ロシアはアジアの仲間ではない、ヨーロッパの一員たる先進国だ」というアイデンティティを作るために植え付けられたものではないか。というのが、この本で出てきた意見だった。
これは近代ロシアの、何とかしてヨーロッパになろうとしてきた歴史を振り返ると、あり得る話だなと思う。ヴァンダル人が野蛮人の代名詞にされたのと同じように、モンゴル人/タタール人を野蛮人化することで相対的に自分たちを文明人に格上げしようとした文化人の試みがあったのかもしれない。
それと最後の方に出ていたギリシャの聖山アトスについての記述。
これは別の本でも読んだことがあり、ロシア正教の修道院は特別な地位を得ているという話だったが、その成立の経緯や実際にロシア人の修道院に滞在した話なども出てきて面白かった。
アトスについての本は何冊か出ているので、それらと合わせて補完するとわかりやすいと思う。

ギリシャ正教と聖山アトス (幻冬舎新書) - パウエル中西裕一

エーゲ海の修道士 ―聖山アトスに生きる - 川又 一英
正教系のキリスト教は、ロシア正教、ギリシャ正教、アルメニア正教etc、と様々な流派に分かれているため、それぞれの国から来た修道士の作った修道院ごとに祭日や暦がまちまちでカラーも違うのだ。ちなみにここは今も女人禁制、観光客の受け入れはしていない。ギリシャにありながら独立国家のような不思議な場所でもある。
なんで黒海交易の本なのにアトスの話が出てくるのかというと、ロシア人が聖地巡礼するためには黒海を抜けて、交易路を巡礼路として使うからだ。
信仰によって繋がれた道を、商人ではない多くの人々が行き交っていた。それもまた、この本の扱う時代の主要トピックの一つなのだ。