ファイユームと並ぶミイラ・ポートレート出土地「アンティノポリス」、エジプト中部の消えた都市
ファイユーム・ポートレートとは、エジプトに移住してきたギリシャ人が棺に貼り付けていた肖像画のこと。ギリシャ人入植地でギリシャ人の多かったファイユーム地方で多く発見されることからこの名前で呼ばれるが、実際にはもうひとつ、ファイユームから離れたアンティノポリスという都市でも多く発見されているという。
古代エジプト遺物だが美術様式的にはギリシャ、「ファイユーム・ポートレート」の科学分析について
https://55096962.seesaa.net/article/499968162.html
というわけで、アンティノポリスの肖像画についてちょっと調べてみた。
結論から言うと、見た目や傾向はファイユームのものと同じ。根底となる文化や時代が同じなので、これは特段不思議ではない。ただ、両方とも「ファイユーム・ポートレート」と呼ばれてしまうので、出土地を細かく見ないとアンティノポリス産とは気づかないと思う。

https://www.wikiart.org/en/fayum-portrait/gayets-mummy-portraits-from-antinoopolis
ちなみにアンティノポリス、名前からしてお察しのとおりというか、ローマの皇帝ハドリアヌスが、ナイル川で溺死した恋人アンティノウスを記念して作らせた街である。恋人なのに男性? うん、まあ、年上の男性が美青年を愛してもいい時代だったので…その。
現在はエジプト中部、現在のエル・シェイク・エバダに当たる。恋人の溺死した場所のすぐそばに作ったらしいのでどうやらこのへんがそうだったらしい。
現代の街が上に作られているため、かろうじて残っているのは郊外のヒッポドローム(競馬場)くらいか。それと古代の断片から債権された観光用の神殿も一部残っているというが、ほぼ残骸。観光資源とかいう感覚のない19世紀に、工場などを作るために大規模に破壊されてしまったのだそうだ。
うっすらと地形は残っており、他のローマ帝国領内の植民地と同じく、ローマ式の街一式(大通り、アゴラ、劇場、競馬場、神殿など)が作られたのだな、ということは分かる。墓は郊外(北東の砂漠部分)にあったので残ったようだ。

ナポレオン隊がこの地を訪れたさいにはまだ多少の建物が残っていたそうで、「エジプト誌」に残されたスケッチがほぼ唯一の資料となっているという。
ギリシャ人入植者が集まる、かなり大きな都市まで成長していたことはかろうじて伺える。

この都市の履歴を追ってみると、
・紀元後2世紀、アンティノスを記念して作られる。地元のもともともの守護神ベスは残しつつ、都市の第一の守り神は神格化されたアンティノスと定められ、神殿が作られる
・5世紀頃からキリスト教が盛んに信仰され修道院が多数建造される
・男色家の愛人の名前はマズいだろ…ということで、ビザンツ支配の時代にはアンティノスの名前がアンセナに改名される
・イスラム教が入ってきた頃にもまだ街としては存在するが、衰退傾向
・紀元後1000年頃には都市が消え、村に戻る
・今に至る
という感じ。
神格化されたアンティノスへの信仰は、あっさり別の宗教に乗っ取られていったようだ。
また都市が消えたあとはハドリアヌスが来る以前の元の農村に戻っていったというのも、なかなか皮肉が効いている。
というわけなので、現状、この都市は都市遺構としてはほぼ何もなく、現代の集落になっちゃってるので発掘しても出てくるものはあまり期待されず、墓から出土したポートレートと僅かな神殿の残骸だけで知られる遺跡になっているのだった。
まあ、とはいえ、調べてる時に「紅海を通じたインド交易路ともつながってる時代があったのでは」という記述もあったので、紅海とナイル渓谷を結ぶ交通の要所として調べてみるのは面白いかもしれない。
古代エジプト遺物だが美術様式的にはギリシャ、「ファイユーム・ポートレート」の科学分析について
https://55096962.seesaa.net/article/499968162.html
というわけで、アンティノポリスの肖像画についてちょっと調べてみた。
結論から言うと、見た目や傾向はファイユームのものと同じ。根底となる文化や時代が同じなので、これは特段不思議ではない。ただ、両方とも「ファイユーム・ポートレート」と呼ばれてしまうので、出土地を細かく見ないとアンティノポリス産とは気づかないと思う。
https://www.wikiart.org/en/fayum-portrait/gayets-mummy-portraits-from-antinoopolis
ちなみにアンティノポリス、名前からしてお察しのとおりというか、ローマの皇帝ハドリアヌスが、ナイル川で溺死した恋人アンティノウスを記念して作らせた街である。恋人なのに男性? うん、まあ、年上の男性が美青年を愛してもいい時代だったので…その。
現在はエジプト中部、現在のエル・シェイク・エバダに当たる。恋人の溺死した場所のすぐそばに作ったらしいのでどうやらこのへんがそうだったらしい。
現代の街が上に作られているため、かろうじて残っているのは郊外のヒッポドローム(競馬場)くらいか。それと古代の断片から債権された観光用の神殿も一部残っているというが、ほぼ残骸。観光資源とかいう感覚のない19世紀に、工場などを作るために大規模に破壊されてしまったのだそうだ。
うっすらと地形は残っており、他のローマ帝国領内の植民地と同じく、ローマ式の街一式(大通り、アゴラ、劇場、競馬場、神殿など)が作られたのだな、ということは分かる。墓は郊外(北東の砂漠部分)にあったので残ったようだ。
ナポレオン隊がこの地を訪れたさいにはまだ多少の建物が残っていたそうで、「エジプト誌」に残されたスケッチがほぼ唯一の資料となっているという。
ギリシャ人入植者が集まる、かなり大きな都市まで成長していたことはかろうじて伺える。
この都市の履歴を追ってみると、
・紀元後2世紀、アンティノスを記念して作られる。地元のもともともの守護神ベスは残しつつ、都市の第一の守り神は神格化されたアンティノスと定められ、神殿が作られる
・5世紀頃からキリスト教が盛んに信仰され修道院が多数建造される
・男色家の愛人の名前はマズいだろ…ということで、ビザンツ支配の時代にはアンティノスの名前がアンセナに改名される
・イスラム教が入ってきた頃にもまだ街としては存在するが、衰退傾向
・紀元後1000年頃には都市が消え、村に戻る
・今に至る
という感じ。
神格化されたアンティノスへの信仰は、あっさり別の宗教に乗っ取られていったようだ。
また都市が消えたあとはハドリアヌスが来る以前の元の農村に戻っていったというのも、なかなか皮肉が効いている。
というわけなので、現状、この都市は都市遺構としてはほぼ何もなく、現代の集落になっちゃってるので発掘しても出てくるものはあまり期待されず、墓から出土したポートレートと僅かな神殿の残骸だけで知られる遺跡になっているのだった。
まあ、とはいえ、調べてる時に「紅海を通じたインド交易路ともつながってる時代があったのでは」という記述もあったので、紅海とナイル渓谷を結ぶ交通の要所として調べてみるのは面白いかもしれない。