「アフリカ」ってそういう意味だったのか! 「ローマ帝国とアフリカ」
本屋を通りかかったときに目に留まったので読み始めた本。
タイトルのとおリ「ローマ帝国」と「アフリカ」の関係について書いた本で、「ローマ帝国の中のアフリカ」ではなく、「ローマ帝国領としてのアフリカ」でもない。アフリカはアフリカのままであり、ローマの支配がそこに入ってくる。
時代は、サブタイトルのとおり「カルタゴ滅亡からイスラーム台頭まで」であり、ローマがアフリカに影響を与え、ローマもまたアフリカに影響を受けてきた。という内容になっている。

ローマ帝国とアフリカ カルタゴ滅亡からイスラーム台頭までの800年史 (中公新書) - 大清水裕
ローマ属州としてのアフリカの本は何冊か読んでいるし、ヌミディア王国、マウレタニア王国についてもちょうど最近調べたところだったので内容はだいたい想定どおりで、ふーんという感じで読んでいたのだが、一点、ものすごく大事な内容が後半に出てくる。
ローマ史における「アフリカ」は、現代の定義である「アフリカ」とは違う。
「アフリカ」とは、エジプトを含まない、チュニジアを中心とした北アフリカのことなのだ。

そもそもの「アフリカ」という名称の起源は、チュニジア北部に住んでいた一部族の名前から来ているという。そしてギリシア人が「リビア」と呼んでいた地域をローマ人が「アフリカ」と呼ぶようになった。
その「アフリカ」には「エジプト」は含まれず、エジプトはエジプトとして別に帝国を支える柱の一本と認識されていたというのだ。
これは、たぶんローマ史を研究している人からすれば常識なのだろうが、あまりにも前提すぎて書かれている本がなく、言われてみればそうか! なるほど?! みたいになった。
「そういやローマ属州アフリカってエジプト入ってないよなあ」くらいに思っていたのだが、ローマ内での扱いも明確に別で、エジプトはアジアでもアフリカでもなく独立したエリアと認識されていたのだ。
エジプトは独自の王国として長く続いた歴史があり、独自の文化も持っていてアフリカやアジアに混ぜられなかっただろうし、ローマ支配の時代は世界有数の人口密度を持っていたので独立扱いされるのは分かる。それと同レベルのエリア区分が、カルタゴ付近を中心としたリビアと、カルタゴの同盟国だった周囲の国を含む北アフリカ文化圏、ローマの認識した「アフリカ」だったのだ。
だからローマ史でいう「アフリカ」で指されている範囲は、ローマ領北アフリカのエジプト以外の部分、と認識しなければならない。この範囲は、ローマの支配領域が拡大したり縮小したりするたびに変わる。
ローマを支える二大穀倉地帯が「アフリカ」と「エジプト」で区分されているのはそういうわけだし、ローマが東西分裂したあと、西ローマの命綱たる穀倉地帯が「アフリカ」だけになる、というのは、その「アフリカ」がチュニジアあたりの地域を指していて、東ローマに属したエジプトは含んでいなかったのだ。
そんで、今までローマ時代の記録で中央アフリカや東アフリカが「未知の世界」「怪物がいる」みたいな滅茶苦茶な書かれ方をしているのを疑問に思っていたが、そこは現代人にとっては「アフリカ」でも、ローマ人にとっては「アフリカの外」という認識だったからなのだ。(多分ほんとに知らなかった。ローマ領域外は未知の世界だった。)
いや…これはっきり言われないとわかんないって…w
まあこの当時の「アジア」が実際にはアナトリア付近しか含まないもので、現代の「アジア」と違うのは知っていたのだから、当然「アフリカ」も別の意味を持つと考えるべきではあった。盲点。
この「アフリカ」地域は、ローマ側からは蛮族扱いされたり文化的に劣る扱いを受けたりするが、カルタゴの栄えた地域であり、古代から地中海地域の交易で文明交流もあるので決して未開の地ではなかった。ローマがやってきて、ローマが去ったあとも、「アフリカ」というアイデンティティは残る。北方からヴァンダル族がやってきて支配するようになっても変わらない。
「アフリカ」にはローマ文化が流れ込んできた一方で、「アフリカ」自身もローマに影響を与えた。支配の歴史の中では、アフリカ出身のローマ皇帝も何人かいた。西ローマが滅びたあとも、アフリカにはローマ人を自認する人たちがいたという。
その独自のアイデンティティが消えてゆくのは、イスラームによって統一されて以降。なので、この本もそこで終わっている。
イスラーム支配以降の歴史は、新しいステージに入る。
(これはエジプトも同じで、エジプトにおける古代文明の系譜が途切れるのもイスラーム支配の時代なのだ。)
これまでの本では得られなかった視点が得られたのは大変僥倖であった。いやー、やっぱさあ、そもそもの話とか、研究者が当たり前だと思ってる前提の部分が一番大事なんだって。そこ書いて欲しいんですよね…。
*****
これまでに調べた記事とか。
カルタゴにとっての「裏切り者」、ヌミディア王国と北アフリカにおけるローマの統治
エジプト最後の女王クレオパトラの娘、クレオパトラ・セレーネと「マウレタニア王国」について
北アフリカのイスラーム支配に抵抗したベルベル人の女戦士、アル・カーヒラについて
タイトルのとおリ「ローマ帝国」と「アフリカ」の関係について書いた本で、「ローマ帝国の中のアフリカ」ではなく、「ローマ帝国領としてのアフリカ」でもない。アフリカはアフリカのままであり、ローマの支配がそこに入ってくる。
時代は、サブタイトルのとおり「カルタゴ滅亡からイスラーム台頭まで」であり、ローマがアフリカに影響を与え、ローマもまたアフリカに影響を受けてきた。という内容になっている。

ローマ帝国とアフリカ カルタゴ滅亡からイスラーム台頭までの800年史 (中公新書) - 大清水裕
ローマ属州としてのアフリカの本は何冊か読んでいるし、ヌミディア王国、マウレタニア王国についてもちょうど最近調べたところだったので内容はだいたい想定どおりで、ふーんという感じで読んでいたのだが、一点、ものすごく大事な内容が後半に出てくる。
ローマ史における「アフリカ」は、現代の定義である「アフリカ」とは違う。
「アフリカ」とは、エジプトを含まない、チュニジアを中心とした北アフリカのことなのだ。
そもそもの「アフリカ」という名称の起源は、チュニジア北部に住んでいた一部族の名前から来ているという。そしてギリシア人が「リビア」と呼んでいた地域をローマ人が「アフリカ」と呼ぶようになった。
その「アフリカ」には「エジプト」は含まれず、エジプトはエジプトとして別に帝国を支える柱の一本と認識されていたというのだ。
これは、たぶんローマ史を研究している人からすれば常識なのだろうが、あまりにも前提すぎて書かれている本がなく、言われてみればそうか! なるほど?! みたいになった。
「そういやローマ属州アフリカってエジプト入ってないよなあ」くらいに思っていたのだが、ローマ内での扱いも明確に別で、エジプトはアジアでもアフリカでもなく独立したエリアと認識されていたのだ。
エジプトは独自の王国として長く続いた歴史があり、独自の文化も持っていてアフリカやアジアに混ぜられなかっただろうし、ローマ支配の時代は世界有数の人口密度を持っていたので独立扱いされるのは分かる。それと同レベルのエリア区分が、カルタゴ付近を中心としたリビアと、カルタゴの同盟国だった周囲の国を含む北アフリカ文化圏、ローマの認識した「アフリカ」だったのだ。
だからローマ史でいう「アフリカ」で指されている範囲は、ローマ領北アフリカのエジプト以外の部分、と認識しなければならない。この範囲は、ローマの支配領域が拡大したり縮小したりするたびに変わる。
ローマを支える二大穀倉地帯が「アフリカ」と「エジプト」で区分されているのはそういうわけだし、ローマが東西分裂したあと、西ローマの命綱たる穀倉地帯が「アフリカ」だけになる、というのは、その「アフリカ」がチュニジアあたりの地域を指していて、東ローマに属したエジプトは含んでいなかったのだ。
そんで、今までローマ時代の記録で中央アフリカや東アフリカが「未知の世界」「怪物がいる」みたいな滅茶苦茶な書かれ方をしているのを疑問に思っていたが、そこは現代人にとっては「アフリカ」でも、ローマ人にとっては「アフリカの外」という認識だったからなのだ。(多分ほんとに知らなかった。ローマ領域外は未知の世界だった。)
いや…これはっきり言われないとわかんないって…w
まあこの当時の「アジア」が実際にはアナトリア付近しか含まないもので、現代の「アジア」と違うのは知っていたのだから、当然「アフリカ」も別の意味を持つと考えるべきではあった。盲点。
この「アフリカ」地域は、ローマ側からは蛮族扱いされたり文化的に劣る扱いを受けたりするが、カルタゴの栄えた地域であり、古代から地中海地域の交易で文明交流もあるので決して未開の地ではなかった。ローマがやってきて、ローマが去ったあとも、「アフリカ」というアイデンティティは残る。北方からヴァンダル族がやってきて支配するようになっても変わらない。
「アフリカ」にはローマ文化が流れ込んできた一方で、「アフリカ」自身もローマに影響を与えた。支配の歴史の中では、アフリカ出身のローマ皇帝も何人かいた。西ローマが滅びたあとも、アフリカにはローマ人を自認する人たちがいたという。
その独自のアイデンティティが消えてゆくのは、イスラームによって統一されて以降。なので、この本もそこで終わっている。
イスラーム支配以降の歴史は、新しいステージに入る。
(これはエジプトも同じで、エジプトにおける古代文明の系譜が途切れるのもイスラーム支配の時代なのだ。)
これまでの本では得られなかった視点が得られたのは大変僥倖であった。いやー、やっぱさあ、そもそもの話とか、研究者が当たり前だと思ってる前提の部分が一番大事なんだって。そこ書いて欲しいんですよね…。
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これまでに調べた記事とか。
カルタゴにとっての「裏切り者」、ヌミディア王国と北アフリカにおけるローマの統治
エジプト最後の女王クレオパトラの娘、クレオパトラ・セレーネと「マウレタニア王国」について
北アフリカのイスラーム支配に抵抗したベルベル人の女戦士、アル・カーヒラについて