死後の世界との行き来可能な信仰の国/エジプトも日本も「祖先の霊は定期的に帰ってくる」

ふと、「そういや古代エジプトの死後の世界って、けっこう"出入り"されてるな…?」と気がついた。

というのも、夕方に沈んだ太陽が再び東の地平から昇る時、魂も太陽の船に乗って一緒に地上に帰ってくるという概念だったからだ。
太陽は、毎日沈んだり昇ったりグルグルあの世とこの世を周っている。
地下は死後の世界、冥界で死者が暮らしているのだが、その死者の魂は太陽の船で戻ってきて自分の墓で供物を受け取り、また冥界に戻っていく。

この「定期的に冥界から戻って来る」という宗教的な概念自体は珍しいものではなく、東地中海世界に広く存在する。
豊穣神が冬に死に、春に復活するというのが典型的なパターンで、カナアンだとバアル神、ギリシャ神話だとペルセポネーの物語がそれに該当する。この基本概念は、のちにキリスト教に取り込まれてキリストの復活に変化する。

だが毎日戻ってくる(あるいは、戻ってこられる)のはさすがに頻度高すぎると思うし、エジプト神話のあの世とこの世の境目ガバカバ過ぎない? とか思ってしまうのだ。

お隣のメソポタミアは冥界の境目がもうちょっと厳しい。神であるイナンナですら冥界下りから危うく戻ってこられなくなりそうになるし、ギルガメッシュ叙事詩のマイナーなバージョンで追加されているエピソードでは、落としてしまった太鼓のバチ(諸説あり)を拾いに冥界に下ったエンキドゥが、二度と戻ってこられくなって泣く。
太陽神はじめその他の地上の神々が、毎日出勤退勤のノリで出入りしているエジプトの冥界は、珍しいパターンなのかもしれない。

もっとも、神話を見ていくと、おそらくこうなった理由は、エジプト人の世界観が「あの世とこの世と対象になっている」というものだからだ。
天のナイルである銀河は地下にも流れているし、地上と同じ世界が地下の冥界にも広がっている。地上世界の神々の王がいるように、地下世界にも神々の王がいる。地上に秩序があるように地下にも秩序はある。
世界の境目に危険な試練や死者の法廷といった関門はあるものの、基本的にはひと繋がりの世界だと認識していたから、つまりは完全な「異界」では無かったから、行き来の神話を設定しても違和感が無かったのではないだろうか。

また、突き詰めていくと、この世とあの世を行き来できる宗教概念は、祖霊信仰と関連しているのではないかと思う。
日本のお盆もそうだが、祖先の霊が定期的にあの世から戻って来るから、お参りやお供えの意味がある。祖先には、子孫たちが元気に暮らしている姿を見に戻って来てほしい。そのためには冥界と生者の世界は行き来できるものでなければならない。

冥界に行ったきり二度と戻れない神話を採用している地域では、祖霊信仰は無いか、ごく薄いものなのではないかと思うのだ。


なお、祖霊信仰のある地域でも、輪廻転生の概念のほうが強い地域ではおそらく冥界は不可逆の認識になっていると思う。
具体的に言うと、「死んだら別の動物に生まれ変わる」という信仰の場合、祖先は霊として戻ってくのではなく、なにか別の生き物として戻ってくる。イベリア半島の古い神話とか、北米先住民の神話とかがそうだ。
冥界は変化するために通り抜ける場所であり、変わらないまま出入りする場所ではない。一回行ったら別のものに変わってしま居、戻ることは出来ない。

古代エジプト宗教の際立った特徴は冥界の出入りのほかにもう一つ、「死んで冥界に下っても魂は変わらない」=永遠に自分であり続ける、という概念なのかもしれない。