かつてキリンビールが手掛けた「古代エジプトビールの再現」、実際の研究内容を調べてきた。→民俗学的アプローチだった
キリンビールが「古代エジプトのビールを実験で再現した」として発表したのは2002年。もうかれこれ25年近く前になる。
当時は古代エジプトビールと称するビールも売り出され、キリンビールの工場で試飲会もやっていたと聞く。
が、その時にキリンビールのサイトに掲示されていた酒の作り方、及び、一般向けに出された内容には、明らかにおかしいところがあり、何でそんなことになったのかが判らなかった。
そこで内容の検証を実施したのが、以下の記事群である。
当時調べた内容まとめ
https://55096962.seesaa.net/article/200808article_18.html
調べ始めたのが2008年なのだが、その時点で既に重要な情報のいくつかにはアクセスできなくなっていた。実験に関わった人もキリンビールを退社してしまっているという話で、どうにもならなかったのだ。
ただ、2014年に実験結果を発表した論文まではたどり着くことが出来、キリンビールのWebサイトに掲載された内容が間違えていた(論文の内容と違う)ことが判明した。
元論文は妥当な内容だった。それを二次解釈した内容がおかしかったのだ…。
https://55096962.seesaa.net/article/201412article_13.html
そして今回はようやく、当時はどうしても見つからなかった、キリンビールの出している非売品の本に辿り着いた。
こちら↓である。

論文のFirst authorである石田氏が書いたもので、ビールの再現に至った経緯、どのように準備を進めていったのか、どう実験したのかなどの手順が全て書かれていて、思っていたより大規模な実験だったことがわかる。
また石田氏自体が酒造りのプロらしく、酒造りに関する熱みたいなものもちょいちょい出てくるのが面白い。「新人に醸成させたら目で確かめるだけで味見もせずに追発酵プロセスに入ろうとした。そんなんじゃ酒作れるわけないだろ。案の定、腐った酒が出来た」「機械だけで酒が作れると思うな」みたいな話から、「現代のビール用機材で何も考えずにビールと同じ手順で冷やそうとしたら、酵母が死にきってななくて失敗した。同じ酒じゃないのだと反省した」とか、まさに実験的な話も出てきて非常に面白い。
2014年に書いた記事で「●変わってしまった研究の意味」のセクションに入れたとおり、この古代ビール再現は、実際には壁画からの再現ではない。
現代のエジプト農村に残る「ブーサ」と呼ばれる酒、およびナイル川流域の文化圏に今も残る同種の酒類の醸造方法を参考にして壁画のジーンを再編した、どちらかというと民俗学的なアフプローチでの再現だ。
にも関わらず、キリンビールのサイトでは壁画から再現したように書いていたので、そもそもの根本を理解していない人が書いたか、理解できないレベルの人が手掛けていたのだろう。実際に苦心して再現した石田氏ではなく、資料提供しかしていないオブザーバー的ポジションだった吉村氏の意向が強かったのかもしれない。
この本を読むと、エジプトのブーサ屋に取材に行った話とか、その発酵方法についての推測、エチオピアやスーダンの民間で作られている酒の試飲など、実に幅広く検証したことがわかる。

そして、それら地元の酒の醸成方法に共通点を見出し、「この条件が整わなければ発酵は起こらない」というクリティカル・パスを設定する。パンや麦を置いとくだけでは発酵は決して起こらない。
発酵は腐敗によく似た化学反応である。酵母が糖分をもとにアルコールを生み出す行為であり、アルコール濃度が高くなれば他の雑菌の活動は詐害されるが、その前に雑菌が働いてしまうと腐敗する。雑菌の働きを抑えるために乳酸も同時に働く必要があるが、乳酸が頑張りすぎると酸っぱい酒が出来てしまう。
このように、実験の内容もアプローチ手法もユニークだし、本来は学術的な価値もあるはずの内容だったのだ。
くだんの肩書だけの権威の役割は、ひたすら情報提供、調査の根回しとかである。カイロにあるブーサ屋の場所を教えてガイドをつけるなどを手伝っている。また壁画資料なども提供したと書かれている。
2000年代初頭の、インターネットもまだ未発達な時代、現地のことをよく知っていて、資料も豊富に持っている人物の存在はありがたかったのだろう。しかし、結果が出揃ったあと、それらを全て「私がやりました」と横取りするのは話が違う。どう読んでも、全く吉村氏の手柄ではないのだ。実際の実験には何も関わっていないのだから。
そして、本来専門家が介入すべきだった部分では、何の仕事も出来ていない。
この本の最後の章、再現した古代エジプト・ビールには複数の作り方があること、古王国時代のビールのほうが手間がかかっており、新王国時代になるとあまり手間を掛けていないことについて、「エジプトが乾燥化したことが木材を大量に使う手法は廃れたのでは」とか「新王国時代
にはエジプトが軍事国家になり諸外国へ領土を拡大していくので、ビール作りに手間をかけなくなったのでは」とか書かれているのが、これはあまりにも素人考え、同意はできない。
壁画はあくまで参考程度であり、その時代のビールが全てそこに書かれている方法で作られていたとは限らない。また、残っているのは貴族墓の資料だけで、民間でどうだったのかも分からない。
本の途中に書かれているとおり、古王国時代の壁画から再現した内容を「古王国時代のビール」、新王国時代の壁画から再現した内容を「新王国時代のビール」と呼ぶこと自体が不正確なのである。少なくとも新王国時代のビールは、壁画に描かれている内容だけからは再現できない。酒造りに必須の手順一式を組み立てた「パス」から見ると、いくつかの必須手法が省略されている。
ということは、壁画の書かれ方のトレンドが変わっただけかもしれないし、書かれていない部分で手間のかかる工程が挟まれていた可能性は否定出来ないのだ。
また、エジプトの砂漠化はビール作りの始まるよりずっと以前から始まっているし、木材が豊富にとれた時代は無い。ナイル渓谷は狭く、古代にはしょっちゅう流れを変えていたため、森林や大木が育てないのだ。西方砂漠からは木炭の痕跡や化石化した木材が出ているので、サハラが緑だった時代には木材もあったと思われるが、そこはエジプト王国の本体であるナイル流域からは大きく離れている。
サハラが緑だった時代には農耕はまだ始まっていない。砂漠が乾燥化して人々がナイルに集中して住むようになってからが農耕開始なので、ビールづくりと気候変動にはあまり関係ないと思う。
軍事国家云々も、エジプトが常備軍を持ち始めるのは中王国時代からだし、ビールづくりは民間で行われるものなので国家体制とはあまり関係ないのでは? と思う。ビールづくりがこなれて手順が簡略化されていった結果、後の時代になるほど手数が少ないビールが出来たと考えるほうがまだ説明しやすいと思う。
そのへん専門家としての知見からコメントできるだけの能力のある人がオブザーバーについていれば、もっと深い仕事が出来ただろうに、非常に残念に感じる。
また、もとの研究では「デーツワイン」だったものが勝手に「ワイン」に変更されてしまった件についても、経緯がなんとなく分かった。
ビール作りの壁画にワイン壺が描かれており、もしかしてワインも使ったのでは、と、最初の実験ではワインを使っていたのだ。それが、のちにデーツ(なつめやし)のワインに変わっている。
ワインを使用した時点で吉村氏に報告しているようなので、その後に出た本番の論文は読まずに、聞いた内容だけしか理解していなかったのではないだろうか…。まあ、聞いた内容だけで適当に構成したのなら、吉村(2004)の資料の出来の悪さはある意味納得なのだが…。
糖分を多く含む果実を使い、そこについている酵母を発酵のスターターとして使う、という部分は、この古代エジプトビール再現のキモになっている。
パンについている酵母では少なすぎるし穀物はもともと糖分がそれほど多くないので増えにくい。逆に雑菌のほうが繁殖してしまうのでパン種を焼いて殺菌するといいが、そうすると酵母も死んでしまう。パンはあくまでほほかの雑菌の働きを阻害する乳酸菌を添加するためのものとして扱う。
これが、すっぱいパン種=サワードゥである。
エジプトは基本的に気温が高い状態が続き、日本酒のように「冬に酒造りを始める」というのは出来ない。気候条件で菌の繁殖も変わるので、これがエジプトの気候にあうやり方だったのでは。というのは、確かに考古学だけでは導き出せない、酒づくりの専門家ならではの意見だと思うのだ。
他にも、エンマー小麦の脱穀方法について、ビールづくりの容器の形状に関して実際に使ってみての考察、パン焼き容器にでっぱりがあるのは容器を使ったあと積み上げるのに便利だからだ、などなど、実験したからこそ分かる記載はたくさんある。
素焼きの土器は使う前にいちど全体を水に浸さないと、いきなり水を入れてしまうと水が内側から染み込んでいく際の浸透圧で割れてしまう、とかは、なるほどなあと思った。素焼きの壺って水で膨張するもんなのか…。というか、エジプトのオアシスに大量の古代の壺の破片が落ちているのって、もしかして、それを忘れて急いで水を飲もうとしたウッカリさんのせいだったりするのか…?
どの容器に何を入れてるかわからなくなるので、内容物によって壺の形状を変えているのでは、という意見はなるほどと思った。確かに、水が入ってるのか麦汁が入ってるのか判らなくてテレコに使ったら大事故が起きる。
(してみると、現代の家庭でも古代人の知恵を借りて砂糖と塩の容器は別の形状のものに変えるべきだろうか)
内容がマニアックすぎて市販しても売れない本ではあったのだろうが、非売品なのが惜しい情報量の本だった。
この内容を正しく要約してサイトに載せてほしかったよキリンビール。
そして、今までも批判してきたとおり、やはり吉村作治氏は功罪でいうと「罪」のほうが大きいと思った。
この研究は吉村氏の手助けなしに達成出来なかった部分があるにしても、石田氏と研究チームの苦労を見るならば誰に功績があるかは明らかである。「私が新しい古代エジプトビールの製造方法を発見しました!」などと横取りしていいものではない。そんなことが出来るのは、よほど恥知らずな、学究者を名乗る資格もない人間である。
本来は酒造りのプロだからこそ気づけた知見に溢れた研究も、彼を介した部分で情報の9割が削げ落ちて、エジプト学会に適切に知見がフィードバックされなかった点も残念過ぎる。名ばかり権威のせいで、その学問分野の成長が遅れるのは罪と言わずして何なのだろう。
言いたいことは山程あるが、エジプト考古学会はマジでこの腐った雰囲気はどうにかしたほうがいいと思う。
当時は古代エジプトビールと称するビールも売り出され、キリンビールの工場で試飲会もやっていたと聞く。
が、その時にキリンビールのサイトに掲示されていた酒の作り方、及び、一般向けに出された内容には、明らかにおかしいところがあり、何でそんなことになったのかが判らなかった。
そこで内容の検証を実施したのが、以下の記事群である。
当時調べた内容まとめ
https://55096962.seesaa.net/article/200808article_18.html
調べ始めたのが2008年なのだが、その時点で既に重要な情報のいくつかにはアクセスできなくなっていた。実験に関わった人もキリンビールを退社してしまっているという話で、どうにもならなかったのだ。
ただ、2014年に実験結果を発表した論文まではたどり着くことが出来、キリンビールのWebサイトに掲載された内容が間違えていた(論文の内容と違う)ことが判明した。
元論文は妥当な内容だった。それを二次解釈した内容がおかしかったのだ…。
https://55096962.seesaa.net/article/201412article_13.html
そして今回はようやく、当時はどうしても見つからなかった、キリンビールの出している非売品の本に辿り着いた。
こちら↓である。
論文のFirst authorである石田氏が書いたもので、ビールの再現に至った経緯、どのように準備を進めていったのか、どう実験したのかなどの手順が全て書かれていて、思っていたより大規模な実験だったことがわかる。
また石田氏自体が酒造りのプロらしく、酒造りに関する熱みたいなものもちょいちょい出てくるのが面白い。「新人に醸成させたら目で確かめるだけで味見もせずに追発酵プロセスに入ろうとした。そんなんじゃ酒作れるわけないだろ。案の定、腐った酒が出来た」「機械だけで酒が作れると思うな」みたいな話から、「現代のビール用機材で何も考えずにビールと同じ手順で冷やそうとしたら、酵母が死にきってななくて失敗した。同じ酒じゃないのだと反省した」とか、まさに実験的な話も出てきて非常に面白い。
2014年に書いた記事で「●変わってしまった研究の意味」のセクションに入れたとおり、この古代ビール再現は、実際には壁画からの再現ではない。
現代のエジプト農村に残る「ブーサ」と呼ばれる酒、およびナイル川流域の文化圏に今も残る同種の酒類の醸造方法を参考にして壁画のジーンを再編した、どちらかというと民俗学的なアフプローチでの再現だ。
にも関わらず、キリンビールのサイトでは壁画から再現したように書いていたので、そもそもの根本を理解していない人が書いたか、理解できないレベルの人が手掛けていたのだろう。実際に苦心して再現した石田氏ではなく、資料提供しかしていないオブザーバー的ポジションだった吉村氏の意向が強かったのかもしれない。
この本を読むと、エジプトのブーサ屋に取材に行った話とか、その発酵方法についての推測、エチオピアやスーダンの民間で作られている酒の試飲など、実に幅広く検証したことがわかる。
そして、それら地元の酒の醸成方法に共通点を見出し、「この条件が整わなければ発酵は起こらない」というクリティカル・パスを設定する。パンや麦を置いとくだけでは発酵は決して起こらない。
発酵は腐敗によく似た化学反応である。酵母が糖分をもとにアルコールを生み出す行為であり、アルコール濃度が高くなれば他の雑菌の活動は詐害されるが、その前に雑菌が働いてしまうと腐敗する。雑菌の働きを抑えるために乳酸も同時に働く必要があるが、乳酸が頑張りすぎると酸っぱい酒が出来てしまう。
このように、実験の内容もアプローチ手法もユニークだし、本来は学術的な価値もあるはずの内容だったのだ。
くだんの肩書だけの権威の役割は、ひたすら情報提供、調査の根回しとかである。カイロにあるブーサ屋の場所を教えてガイドをつけるなどを手伝っている。また壁画資料なども提供したと書かれている。
2000年代初頭の、インターネットもまだ未発達な時代、現地のことをよく知っていて、資料も豊富に持っている人物の存在はありがたかったのだろう。しかし、結果が出揃ったあと、それらを全て「私がやりました」と横取りするのは話が違う。どう読んでも、全く吉村氏の手柄ではないのだ。実際の実験には何も関わっていないのだから。
そして、本来専門家が介入すべきだった部分では、何の仕事も出来ていない。
この本の最後の章、再現した古代エジプト・ビールには複数の作り方があること、古王国時代のビールのほうが手間がかかっており、新王国時代になるとあまり手間を掛けていないことについて、「エジプトが乾燥化したことが木材を大量に使う手法は廃れたのでは」とか「新王国時代
にはエジプトが軍事国家になり諸外国へ領土を拡大していくので、ビール作りに手間をかけなくなったのでは」とか書かれているのが、これはあまりにも素人考え、同意はできない。
壁画はあくまで参考程度であり、その時代のビールが全てそこに書かれている方法で作られていたとは限らない。また、残っているのは貴族墓の資料だけで、民間でどうだったのかも分からない。
本の途中に書かれているとおり、古王国時代の壁画から再現した内容を「古王国時代のビール」、新王国時代の壁画から再現した内容を「新王国時代のビール」と呼ぶこと自体が不正確なのである。少なくとも新王国時代のビールは、壁画に描かれている内容だけからは再現できない。酒造りに必須の手順一式を組み立てた「パス」から見ると、いくつかの必須手法が省略されている。
ということは、壁画の書かれ方のトレンドが変わっただけかもしれないし、書かれていない部分で手間のかかる工程が挟まれていた可能性は否定出来ないのだ。
また、エジプトの砂漠化はビール作りの始まるよりずっと以前から始まっているし、木材が豊富にとれた時代は無い。ナイル渓谷は狭く、古代にはしょっちゅう流れを変えていたため、森林や大木が育てないのだ。西方砂漠からは木炭の痕跡や化石化した木材が出ているので、サハラが緑だった時代には木材もあったと思われるが、そこはエジプト王国の本体であるナイル流域からは大きく離れている。
サハラが緑だった時代には農耕はまだ始まっていない。砂漠が乾燥化して人々がナイルに集中して住むようになってからが農耕開始なので、ビールづくりと気候変動にはあまり関係ないと思う。
軍事国家云々も、エジプトが常備軍を持ち始めるのは中王国時代からだし、ビールづくりは民間で行われるものなので国家体制とはあまり関係ないのでは? と思う。ビールづくりがこなれて手順が簡略化されていった結果、後の時代になるほど手数が少ないビールが出来たと考えるほうがまだ説明しやすいと思う。
そのへん専門家としての知見からコメントできるだけの能力のある人がオブザーバーについていれば、もっと深い仕事が出来ただろうに、非常に残念に感じる。
また、もとの研究では「デーツワイン」だったものが勝手に「ワイン」に変更されてしまった件についても、経緯がなんとなく分かった。
ビール作りの壁画にワイン壺が描かれており、もしかしてワインも使ったのでは、と、最初の実験ではワインを使っていたのだ。それが、のちにデーツ(なつめやし)のワインに変わっている。
ワインを使用した時点で吉村氏に報告しているようなので、その後に出た本番の論文は読まずに、聞いた内容だけしか理解していなかったのではないだろうか…。まあ、聞いた内容だけで適当に構成したのなら、吉村(2004)の資料の出来の悪さはある意味納得なのだが…。
糖分を多く含む果実を使い、そこについている酵母を発酵のスターターとして使う、という部分は、この古代エジプトビール再現のキモになっている。
パンについている酵母では少なすぎるし穀物はもともと糖分がそれほど多くないので増えにくい。逆に雑菌のほうが繁殖してしまうのでパン種を焼いて殺菌するといいが、そうすると酵母も死んでしまう。パンはあくまでほほかの雑菌の働きを阻害する乳酸菌を添加するためのものとして扱う。
これが、すっぱいパン種=サワードゥである。
エジプトは基本的に気温が高い状態が続き、日本酒のように「冬に酒造りを始める」というのは出来ない。気候条件で菌の繁殖も変わるので、これがエジプトの気候にあうやり方だったのでは。というのは、確かに考古学だけでは導き出せない、酒づくりの専門家ならではの意見だと思うのだ。
他にも、エンマー小麦の脱穀方法について、ビールづくりの容器の形状に関して実際に使ってみての考察、パン焼き容器にでっぱりがあるのは容器を使ったあと積み上げるのに便利だからだ、などなど、実験したからこそ分かる記載はたくさんある。
素焼きの土器は使う前にいちど全体を水に浸さないと、いきなり水を入れてしまうと水が内側から染み込んでいく際の浸透圧で割れてしまう、とかは、なるほどなあと思った。素焼きの壺って水で膨張するもんなのか…。というか、エジプトのオアシスに大量の古代の壺の破片が落ちているのって、もしかして、それを忘れて急いで水を飲もうとしたウッカリさんのせいだったりするのか…?
どの容器に何を入れてるかわからなくなるので、内容物によって壺の形状を変えているのでは、という意見はなるほどと思った。確かに、水が入ってるのか麦汁が入ってるのか判らなくてテレコに使ったら大事故が起きる。
(してみると、現代の家庭でも古代人の知恵を借りて砂糖と塩の容器は別の形状のものに変えるべきだろうか)
内容がマニアックすぎて市販しても売れない本ではあったのだろうが、非売品なのが惜しい情報量の本だった。
この内容を正しく要約してサイトに載せてほしかったよキリンビール。
そして、今までも批判してきたとおり、やはり吉村作治氏は功罪でいうと「罪」のほうが大きいと思った。
この研究は吉村氏の手助けなしに達成出来なかった部分があるにしても、石田氏と研究チームの苦労を見るならば誰に功績があるかは明らかである。「私が新しい古代エジプトビールの製造方法を発見しました!」などと横取りしていいものではない。そんなことが出来るのは、よほど恥知らずな、学究者を名乗る資格もない人間である。
本来は酒造りのプロだからこそ気づけた知見に溢れた研究も、彼を介した部分で情報の9割が削げ落ちて、エジプト学会に適切に知見がフィードバックされなかった点も残念過ぎる。名ばかり権威のせいで、その学問分野の成長が遅れるのは罪と言わずして何なのだろう。
言いたいことは山程あるが、エジプト考古学会はマジでこの腐った雰囲気はどうにかしたほうがいいと思う。