辺野古沖の講義船転覆事故とキリスト教団体の奇妙な関係:『日本の』キリスト教団体の特性について
何か月か前に、辺野古沖でキリスト教関連団体が操縦する船が事故を起こして、乗っていた高校生が亡くなるという痛ましい事故が起きた。
修学旅行の学生たちをアメリカ軍基地に対する抗議船に載せ抗議活動に利用した上に、自分たちに責任はないとばかり逃げを打ったことで世間の批判を集めたこの事件だが、肝心の「なんで修学旅行の学生がそんな船に乗ってんの?」とか、「転覆した船を操縦してたのってどういう人たちなんよ」とかの情報は、ほとんど報道されていない。
そして、「何でキリスト教の牧師が沖縄で抗議活動してんの?」という点についても、まともな報道や解説はほとんど見当たらない。
前者2つについては私もネットで見かけた情報くらいしか知らないが、最後の「何でキリスト教の牧師が」の部分については説明できる。ので、今日はその話をしようと思う。
●調べたキッカケは、2014年「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」に対する抗議
集団的自衛権とは、自国が攻撃された時のみならず、自国と関連の深い国・同盟国が攻撃された場合にも自衛権を行使しうるというものだ。これに対し、「アメリカが始めた戦争に巻き込まれる!」「そんなに戦争をしたいのか!」と抗議の声を上げ、抗議声明を出したのが日本のとあるキリスト教団体であった。
当時は安倍内閣。10年以上も前の話だが、「軍事増強は平和を遠ざける、対話で解決すべきだ」といった今もおなじみの論調で批判キャンペーンが打たれていたのを覚えている。
で、その時に、なんで宗教団体が国防に口を挟むの? 軍事も国際情勢も素人なのに?? と思って調べているうちに、抗議運動とか平和学習とかをやってることを知ったのだ。
●そもそもキリスト教は戦争を禁じていない。むしろバチカンは「自衛」を権利と認めている
しかし、これはキリスト教全体の話ではない。というかカトリックだとバチカンが出している公的文書やガイドラインでは、「自国民を守るために戦うことは正当な権利である」と認められ、信仰と軍務は両立しうるとしていた。
この内容を詳しく説明しているのが以下の本だ。

キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理 (中公新書) - 石川明人
この本の著者は良い悪いの判断はせず、ただ事実を淡々と書いているだけだが、自衛隊や自衛権、ひいては全ての軍事力を否定する日本のキリスト教団体の主張は、本来のキリスト教の考え方からはかなり異質で、キリスト教の根本的な教えとも相容れないと読み取れる。
なので、平和を謳いながら暴力的な手法も使って反論者を弾圧していくやり方は、日本の特定団体のみの特徴だと思ったほうがいい。
●「戦争」として想定されているもの/言及されるものは太平洋戦争のみ
さらに、上記の本で既に言及されているとおり、日本の団体が「日本が戦争できる国になってしまう」とか「戦争の悲劇を繰り返さない」と言う時、その戦争は例外なく80年前の太平洋戦争であり、それ以外ではない。これも日本の特定団体のみの特徴だと思う。
中国によるチベット侵略も、マスコミが焚き付けて悲劇を生んだボスニア紛争も、リモートで大量殺人できるようになったターニングポイントとされる湾岸戦争も、民主化の夢を抱いて散った「アラブの春」によるチュニジアやエジプト、シリア、イエメンなどの悲惨な内紛も、ロシアによるウクライナ侵略も、一切触れられてはいない。つまりは、彼らの「教義」は80年前に生まれたままアップデートされていない。
政治家でもビジネスマンでもなく宗教者ならば、古い「教義」に拘泥しても、まあお好きにどうぞというところだが、その宗教者が政治に口出しするからおかしなことになっているとも言える。
既に世界は、一国で防衛を担う時代ではない。集団的自衛権の話が出た10年前の時点でそうだったように、複数国で同盟を組み、陣営を築いて集団防衛するのが現実的になっている。
そして、ロシアのウクライナ侵略しかり、中国の東南アジア進出しかり、防衛力のない国は容赦なく侵略され、国土や領海をゴリゴリ削られることが証明されたのが21世紀である。この現実が見えていれば、防衛力強化と同盟強化以外の選択肢はないことは自明の理だ。
しかし、そうではないから奇妙なことになっている。一般常識から外れた謎の教義に従っているのが日本の特定団体なのだ。
もちろん、日本のキリスト教信者全てがその団体に属しているわけでもないのだが、特定の団体は、常に極端な「平和」に関する持論を展開する。
それも強烈な、クソ迷惑で一般人には絶対に指示されないだろう手法で表明する。
キリスト教徒だからではなく、「その特定団体に特有の教義に従って」そうしている。ここが大事なポイント。
カトリック総本山の方針とも、他の多くのキリスト教国の考え方とも違う。(プロテスタントに特化した調査はやってない、ごめん)
そして、今回の事故の話で言うならば、学校の責任は非常に大きい。
この特定団体の思想がキリスト教の基本的な考え方と異なることは当然承知していたはずで、そこに敢えて学生を送り込む意味がわからない。キリスト教で説かれる「愛」とは何か、キリスト教徒としての理想とは何かといった命題にも答えられるものではない。
また、現実に起きている21世紀の戦争を見ずに、80年前の20世紀の戦争ばかりクローズアップしているのでは、国際感覚の醸成にも役に立たない。何の価値もない、特定思想団体が活動のために若者をダシにしただけの醜悪な行動である。保護者はこの学校に子供を預けることを考え直したほうが良いのでは。
*****
当初、某団体の部分をカトリックと書いてしまっていたのですが、実際にはこの問題を引き起こした団体はカトリックではありません。
とくに教派は書かずキリスト教団体と書くところ、カトリックと書いてしまっていたのであとで訂正しています。
教派を限定して批判すると波風が立つので、書いた人としては特に特定の教派が云々というつもりはありません。特定の「団体」の問題という認識です。
修学旅行の学生たちをアメリカ軍基地に対する抗議船に載せ抗議活動に利用した上に、自分たちに責任はないとばかり逃げを打ったことで世間の批判を集めたこの事件だが、肝心の「なんで修学旅行の学生がそんな船に乗ってんの?」とか、「転覆した船を操縦してたのってどういう人たちなんよ」とかの情報は、ほとんど報道されていない。
そして、「何でキリスト教の牧師が沖縄で抗議活動してんの?」という点についても、まともな報道や解説はほとんど見当たらない。
前者2つについては私もネットで見かけた情報くらいしか知らないが、最後の「何でキリスト教の牧師が」の部分については説明できる。ので、今日はその話をしようと思う。
●調べたキッカケは、2014年「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」に対する抗議
集団的自衛権とは、自国が攻撃された時のみならず、自国と関連の深い国・同盟国が攻撃された場合にも自衛権を行使しうるというものだ。これに対し、「アメリカが始めた戦争に巻き込まれる!」「そんなに戦争をしたいのか!」と抗議の声を上げ、抗議声明を出したのが日本のとあるキリスト教団体であった。
当時は安倍内閣。10年以上も前の話だが、「軍事増強は平和を遠ざける、対話で解決すべきだ」といった今もおなじみの論調で批判キャンペーンが打たれていたのを覚えている。
で、その時に、なんで宗教団体が国防に口を挟むの? 軍事も国際情勢も素人なのに?? と思って調べているうちに、抗議運動とか平和学習とかをやってることを知ったのだ。
●そもそもキリスト教は戦争を禁じていない。むしろバチカンは「自衛」を権利と認めている
しかし、これはキリスト教全体の話ではない。というかカトリックだとバチカンが出している公的文書やガイドラインでは、「自国民を守るために戦うことは正当な権利である」と認められ、信仰と軍務は両立しうるとしていた。
この内容を詳しく説明しているのが以下の本だ。

キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理 (中公新書) - 石川明人
この本の著者は良い悪いの判断はせず、ただ事実を淡々と書いているだけだが、自衛隊や自衛権、ひいては全ての軍事力を否定する日本のキリスト教団体の主張は、本来のキリスト教の考え方からはかなり異質で、キリスト教の根本的な教えとも相容れないと読み取れる。
なので、平和を謳いながら暴力的な手法も使って反論者を弾圧していくやり方は、日本の特定団体のみの特徴だと思ったほうがいい。
●「戦争」として想定されているもの/言及されるものは太平洋戦争のみ
さらに、上記の本で既に言及されているとおり、日本の団体が「日本が戦争できる国になってしまう」とか「戦争の悲劇を繰り返さない」と言う時、その戦争は例外なく80年前の太平洋戦争であり、それ以外ではない。これも日本の特定団体のみの特徴だと思う。
中国によるチベット侵略も、マスコミが焚き付けて悲劇を生んだボスニア紛争も、リモートで大量殺人できるようになったターニングポイントとされる湾岸戦争も、民主化の夢を抱いて散った「アラブの春」によるチュニジアやエジプト、シリア、イエメンなどの悲惨な内紛も、ロシアによるウクライナ侵略も、一切触れられてはいない。つまりは、彼らの「教義」は80年前に生まれたままアップデートされていない。
政治家でもビジネスマンでもなく宗教者ならば、古い「教義」に拘泥しても、まあお好きにどうぞというところだが、その宗教者が政治に口出しするからおかしなことになっているとも言える。
既に世界は、一国で防衛を担う時代ではない。集団的自衛権の話が出た10年前の時点でそうだったように、複数国で同盟を組み、陣営を築いて集団防衛するのが現実的になっている。
そして、ロシアのウクライナ侵略しかり、中国の東南アジア進出しかり、防衛力のない国は容赦なく侵略され、国土や領海をゴリゴリ削られることが証明されたのが21世紀である。この現実が見えていれば、防衛力強化と同盟強化以外の選択肢はないことは自明の理だ。
しかし、そうではないから奇妙なことになっている。一般常識から外れた謎の教義に従っているのが日本の特定団体なのだ。
もちろん、日本のキリスト教信者全てがその団体に属しているわけでもないのだが、特定の団体は、常に極端な「平和」に関する持論を展開する。
それも強烈な、クソ迷惑で一般人には絶対に指示されないだろう手法で表明する。
キリスト教徒だからではなく、「その特定団体に特有の教義に従って」そうしている。ここが大事なポイント。
カトリック総本山の方針とも、他の多くのキリスト教国の考え方とも違う。(プロテスタントに特化した調査はやってない、ごめん)
そして、今回の事故の話で言うならば、学校の責任は非常に大きい。
この特定団体の思想がキリスト教の基本的な考え方と異なることは当然承知していたはずで、そこに敢えて学生を送り込む意味がわからない。キリスト教で説かれる「愛」とは何か、キリスト教徒としての理想とは何かといった命題にも答えられるものではない。
また、現実に起きている21世紀の戦争を見ずに、80年前の20世紀の戦争ばかりクローズアップしているのでは、国際感覚の醸成にも役に立たない。何の価値もない、特定思想団体が活動のために若者をダシにしただけの醜悪な行動である。保護者はこの学校に子供を預けることを考え直したほうが良いのでは。
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当初、某団体の部分をカトリックと書いてしまっていたのですが、実際にはこの問題を引き起こした団体はカトリックではありません。
とくに教派は書かずキリスト教団体と書くところ、カトリックと書いてしまっていたのであとで訂正しています。
教派を限定して批判すると波風が立つので、書いた人としては特に特定の教派が云々というつもりはありません。特定の「団体」の問題という認識です。