アクエンアテンはミイラにされたのか? アテン一神教だとオシリスもアヌビスも居ないんだけど…。
アクエンアテンは、古代エジプト第18王朝の王。アテン神という神に妄信的に帰依して、アテン以外に神は無し! と一神教のはしりのようなものを始めたことで知られている。世界最古の宗教改革、とか、最古の一神教、とか言われることもある。
首都も、既存宗教の影響の強い都からまっさらな場所に移転させた。改革は一代限りで終わるのだが、いろいろ特異だったこの時代のことは、都の名前をとって「アマルナ時代」と呼ばれることが多い。
さて、このアマルナ時代、既存の多神教を否定し、無理やり一神教にしてしまったために、宗教の概念に大きな変更が発生してしまった。
そのうちの一つが、「冥界という概念の消失」「死者の書が使われなくなった」など。これは以前書いたとおり。
冥界の消失:アマルナ時代には「死者の書」は存在しない
https://55096962.seesaa.net/article/502865513.html
冥界はオシリス神の支配する世界であり、太陽神の一形態であるアテン神とは相いれないものだった。
また、オシリス配下の様々な冥界神、審判の神々も存在しないことになったため、それらの神々に対応するための呪文書である「死者の書」も使われなくなっていた。そもそも死者の書自体、エジプト語での名前が「日の元にいづるための書」のような意味で、つまり明解に下った太陽神が再び日の出とともに地上に戻る際にともに魂が復活できるように、というものなので、アテン神と一体化できるのは王たるアクエンアテンだけにしておきたい思想のもとでは採用できないものだったのだ。
これはアクエンアテンが勝手に言い出したことなので、ぶっちゃけアマルナ以外の都市や地方では必ずしも従われてはいない。というか、いきなり「あの世なんてほんとはないから! オシリス神なんていないし来世の楽園もないよ!!」とか言われて従えるはずもないというか。。
よっぽど近しい廷臣とか、アマルナの住民くらいしか従わなかったのではないかと思う。アマルナ時代が終わると全部元通りになってるくらいだし。
ただ、アクエンアテンとその家族だけは、アテン信仰を厳密に実践していたはずなのだ。
だとすると、アクエンアテンはアテン信仰の概念で墓を準備し、死後に備えたはずなのだ。
気になったのは、彼は死後にミイラにされたのか? である。
そもそも最初のミイラはオシリスだった、オシリスの死体を保存したのがミイラ化の習慣の始まりだった、というのがエジプトの神話である。オシリスと一体化する必要のなかったアクエンアテンは、死後にミイラになりたいと願っただろうか。
ミイラづくりの神アヌビスは当然、アテン信仰の世界には居ない。死後の旅路を守護する神々も存在しないので、それぞれの神になぞらえた護符をミイラに巻き込むことも出来ない。棺に守護の神々の姿は描けない。描けるとすればアテンのみ。
死者の書は入れられないがアテン神の呪文書でも代わりに埋葬したのか。
もしかしたら、彼はミイラにすらならなかったのでは、とふと思ったのだ。
冥界が存在しない。死後の楽園もない。死後はアテンと一体化して天に昇るだけ。ならば墓は簡素でいいし、死体にそれほどの意味はない。
アクエンアテンとその家族のミイラは見つかっていない。(アクエンアテンのものではないかとされる骨は残っており、DNA解析ではそれが使われているが、年齢が若すぎるため怪しいとされている)
宗教改革の嵐が去ったのち破壊されたという説もあるが、そもそもミイラ化せず、遺体が朽ちるのに任せた可能性もあるのでは…。
有力家臣の何人かは伝統的な墓の形式に従って、オシリス神などを描くところをアテン神にすり替えるだけで済ませているのが残っているが、もっと厳密にアテン信仰に帰依するのなら、オシリスと一体化するための儀式であるミイラ化もしてはいけないのではないか。
もし、何か理由をつけてミイラ化はしたのだとしても、ほぼテンプレで決まっていたはずの葬祭儀礼の伝統は一切使えないし、葬式どうやって出したんだ…? という感じだ。
アテン信仰のことは、アクエンアテン本人(と、妻のネフェルティティ)以外は理解していなかった/ついていけていなかったふしがあり、アクエンアテンが死んでしまったあと、葬送の呪文を唱えられる神官役すら居なかったかもしれない。
アクエンアテンが即位した時点で、古代エジプト宗教にはピラミッド・テキストの時代から計算を始めたとしても1,000年を越える伝統があった。その伝統をいきなりぶった切って死後の世界を書き換えたのは、インパクトが大きすぎた。民衆にとっても、おそらく本人や家族にとっても。
もし今後アクエンアテンである可能性が高いミイラが出てくるか、死後どこにどう埋葬されたのかが判明することがあるのなら、アテン一神教に帰依した場合の葬式ってどういうものだったのか知りたいと思うのだ。
首都も、既存宗教の影響の強い都からまっさらな場所に移転させた。改革は一代限りで終わるのだが、いろいろ特異だったこの時代のことは、都の名前をとって「アマルナ時代」と呼ばれることが多い。
さて、このアマルナ時代、既存の多神教を否定し、無理やり一神教にしてしまったために、宗教の概念に大きな変更が発生してしまった。
そのうちの一つが、「冥界という概念の消失」「死者の書が使われなくなった」など。これは以前書いたとおり。
冥界の消失:アマルナ時代には「死者の書」は存在しない
https://55096962.seesaa.net/article/502865513.html
冥界はオシリス神の支配する世界であり、太陽神の一形態であるアテン神とは相いれないものだった。
また、オシリス配下の様々な冥界神、審判の神々も存在しないことになったため、それらの神々に対応するための呪文書である「死者の書」も使われなくなっていた。そもそも死者の書自体、エジプト語での名前が「日の元にいづるための書」のような意味で、つまり明解に下った太陽神が再び日の出とともに地上に戻る際にともに魂が復活できるように、というものなので、アテン神と一体化できるのは王たるアクエンアテンだけにしておきたい思想のもとでは採用できないものだったのだ。
これはアクエンアテンが勝手に言い出したことなので、ぶっちゃけアマルナ以外の都市や地方では必ずしも従われてはいない。というか、いきなり「あの世なんてほんとはないから! オシリス神なんていないし来世の楽園もないよ!!」とか言われて従えるはずもないというか。。
よっぽど近しい廷臣とか、アマルナの住民くらいしか従わなかったのではないかと思う。アマルナ時代が終わると全部元通りになってるくらいだし。
ただ、アクエンアテンとその家族だけは、アテン信仰を厳密に実践していたはずなのだ。
だとすると、アクエンアテンはアテン信仰の概念で墓を準備し、死後に備えたはずなのだ。
気になったのは、彼は死後にミイラにされたのか? である。
そもそも最初のミイラはオシリスだった、オシリスの死体を保存したのがミイラ化の習慣の始まりだった、というのがエジプトの神話である。オシリスと一体化する必要のなかったアクエンアテンは、死後にミイラになりたいと願っただろうか。
ミイラづくりの神アヌビスは当然、アテン信仰の世界には居ない。死後の旅路を守護する神々も存在しないので、それぞれの神になぞらえた護符をミイラに巻き込むことも出来ない。棺に守護の神々の姿は描けない。描けるとすればアテンのみ。
死者の書は入れられないがアテン神の呪文書でも代わりに埋葬したのか。
もしかしたら、彼はミイラにすらならなかったのでは、とふと思ったのだ。
冥界が存在しない。死後の楽園もない。死後はアテンと一体化して天に昇るだけ。ならば墓は簡素でいいし、死体にそれほどの意味はない。
アクエンアテンとその家族のミイラは見つかっていない。(アクエンアテンのものではないかとされる骨は残っており、DNA解析ではそれが使われているが、年齢が若すぎるため怪しいとされている)
宗教改革の嵐が去ったのち破壊されたという説もあるが、そもそもミイラ化せず、遺体が朽ちるのに任せた可能性もあるのでは…。
有力家臣の何人かは伝統的な墓の形式に従って、オシリス神などを描くところをアテン神にすり替えるだけで済ませているのが残っているが、もっと厳密にアテン信仰に帰依するのなら、オシリスと一体化するための儀式であるミイラ化もしてはいけないのではないか。
もし、何か理由をつけてミイラ化はしたのだとしても、ほぼテンプレで決まっていたはずの葬祭儀礼の伝統は一切使えないし、葬式どうやって出したんだ…? という感じだ。
アテン信仰のことは、アクエンアテン本人(と、妻のネフェルティティ)以外は理解していなかった/ついていけていなかったふしがあり、アクエンアテンが死んでしまったあと、葬送の呪文を唱えられる神官役すら居なかったかもしれない。
アクエンアテンが即位した時点で、古代エジプト宗教にはピラミッド・テキストの時代から計算を始めたとしても1,000年を越える伝統があった。その伝統をいきなりぶった切って死後の世界を書き換えたのは、インパクトが大きすぎた。民衆にとっても、おそらく本人や家族にとっても。
もし今後アクエンアテンである可能性が高いミイラが出てくるか、死後どこにどう埋葬されたのかが判明することがあるのなら、アテン一神教に帰依した場合の葬式ってどういうものだったのか知りたいと思うのだ。