スーダンの古代文明も「ナイルの賜物」。ジェベル・バルカル付近のボーリング調査から
「エジプトはナイルの賜物」という言葉は有名だが、本来の意味は「エジプトの国土はナイルの運んだ土で出来ている、ナイルが無ければ下エジプトの土地は存在しない」という意味である。
砂漠の中を流れるナイルの水のお陰で人が安定して暮らせるのはもちろんなのだが、ナイルが「作った」土地が無ければエジプトは栄えることはなかったかもしれない。
そしてナイルは国際河川で、エジプトのみを流れているわけではない。夏の増水を齎す青ナイルは、エチオピアからスーダンを経由してエジプトに流れ込んでいる。
ならば、スーダンにも「ナイルの賜物」たる恵みはあるのではないか…?
というのを調査した論文が出ていたので、読んでみた。結論から言うと、スーダンの古代文明の栄えたジェベル・バルカル付近のナイルが蛇行しているエリアは、エジプト同様にナイルの運んだ土が堆積して土地が作られていた。粘土質な土が水を貯めやすい土地を作り出し、農業を可能にしたことで栄えたと言える。
スーダンの古代文明もまた、「ナイルの賜物」だったのだ。
Holocene Nile dynamics shaped the physical and cultural landscape of ancient Nubia
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2529986123
下の図のいちばん左がナイル川の地図、蛇行している部分が今回の調査ポイント。
左から二番目の図が、今回ボーリング調査をした地点で、ジェベル・バルカルから直線で川を中心とした土地の断面をデータに取る感じになっている。
ジェベル・バルカルはアメン神の聖地とされた丘で、紀元前9世紀頃から栄えるクシュ王国の首都でもあった。クシュ王国は、エジプトの強い影響を受けて発展した文明で、大量のピラミッド墓で知られる。

調査結果はこう。ナイル川の断面でも見たことのある、ナイルの堆積土が川の両側にこんもり積み上がった姿がよく分かる。
ナイル自身が谷を作って地形を変えたこと、気候変動や川の流量などが関係して、流れが安定したのは約4,000年前だろうというつまり紀元前2,000年頃から、流れが安定してここに堆積土が積もり始めた。
それにより、人が定住しやすくなり、のちにエジプトの影響が弱まった時にここに独立国家が誕生する下地が出来たというわけだ。
ボーリングの結果を年代順に並べると↓こうなる。
最初はナイル川がこの地点で複数の流れに分離していて一方的に地面を削っていたのが、深い谷が出来て流れがそこに安定するようになると、周囲に土がたまり始める。
エジプト同様、増水季になると土地で広い氾濫原に沈んでしまうが、川の流れが大きく変わることはない。

なお、下流のエジプトでナイルの流れが安定したのは2,000年くらい前とされており、上流のスーダンのほうが安定するのが早かったことになる。エジプトの国力が衰えた時代、第25王朝はヌビア出身の王がエジプトを支配するが、国力の大小にはこのナイルの環境変化も関係していたかもしれない。
ナイル川の流れが安定したのはここ2,000年くらい。治水工事はしようとしても出来ない状況だったのでは
https://55096962.seesaa.net/article/516521835.html
また、最近ではスーダンでも治水工事の痕跡は残っているが、実はエジプトより治水はしやすかったのかもしれない。
ナイル上流、古代の制水設備について。(アマラ・ウェストの調査より)
https://55096962.seesaa.net/article/499733782.html
人口が少ないのと、気候的に暑すぎて麦作はあまり向いてないのがなければ、スーダンにももっと早くから文明が栄えていたかもしれないと思った。やはり古代文明はロケーション…ロケーションが大事なのだ…。
*****
国際ニュースで取り上げられることも少なくなってきたが、スーダンはいま、絶賛内戦中。最近ようやく亡命していた元の政府が荒廃した首都に帰還したが、戦況は一進一退。そんな中でも研究が続けられていることには少し希望も見いだせるが、遺跡群については盗掘を阻止できる監視が機能してないようなのが心配だ。
果たしてメロエのピラミッド群を見に行ける日は来るのか…。平和が訪れる日をずっと待ってます…。
砂漠の中を流れるナイルの水のお陰で人が安定して暮らせるのはもちろんなのだが、ナイルが「作った」土地が無ければエジプトは栄えることはなかったかもしれない。
そしてナイルは国際河川で、エジプトのみを流れているわけではない。夏の増水を齎す青ナイルは、エチオピアからスーダンを経由してエジプトに流れ込んでいる。
ならば、スーダンにも「ナイルの賜物」たる恵みはあるのではないか…?
というのを調査した論文が出ていたので、読んでみた。結論から言うと、スーダンの古代文明の栄えたジェベル・バルカル付近のナイルが蛇行しているエリアは、エジプト同様にナイルの運んだ土が堆積して土地が作られていた。粘土質な土が水を貯めやすい土地を作り出し、農業を可能にしたことで栄えたと言える。
スーダンの古代文明もまた、「ナイルの賜物」だったのだ。
Holocene Nile dynamics shaped the physical and cultural landscape of ancient Nubia
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2529986123
下の図のいちばん左がナイル川の地図、蛇行している部分が今回の調査ポイント。
左から二番目の図が、今回ボーリング調査をした地点で、ジェベル・バルカルから直線で川を中心とした土地の断面をデータに取る感じになっている。
ジェベル・バルカルはアメン神の聖地とされた丘で、紀元前9世紀頃から栄えるクシュ王国の首都でもあった。クシュ王国は、エジプトの強い影響を受けて発展した文明で、大量のピラミッド墓で知られる。
調査結果はこう。ナイル川の断面でも見たことのある、ナイルの堆積土が川の両側にこんもり積み上がった姿がよく分かる。
ナイル自身が谷を作って地形を変えたこと、気候変動や川の流量などが関係して、流れが安定したのは約4,000年前だろうというつまり紀元前2,000年頃から、流れが安定してここに堆積土が積もり始めた。
それにより、人が定住しやすくなり、のちにエジプトの影響が弱まった時にここに独立国家が誕生する下地が出来たというわけだ。
ボーリングの結果を年代順に並べると↓こうなる。
最初はナイル川がこの地点で複数の流れに分離していて一方的に地面を削っていたのが、深い谷が出来て流れがそこに安定するようになると、周囲に土がたまり始める。
エジプト同様、増水季になると土地で広い氾濫原に沈んでしまうが、川の流れが大きく変わることはない。
なお、下流のエジプトでナイルの流れが安定したのは2,000年くらい前とされており、上流のスーダンのほうが安定するのが早かったことになる。エジプトの国力が衰えた時代、第25王朝はヌビア出身の王がエジプトを支配するが、国力の大小にはこのナイルの環境変化も関係していたかもしれない。
ナイル川の流れが安定したのはここ2,000年くらい。治水工事はしようとしても出来ない状況だったのでは
https://55096962.seesaa.net/article/516521835.html
また、最近ではスーダンでも治水工事の痕跡は残っているが、実はエジプトより治水はしやすかったのかもしれない。
ナイル上流、古代の制水設備について。(アマラ・ウェストの調査より)
https://55096962.seesaa.net/article/499733782.html
人口が少ないのと、気候的に暑すぎて麦作はあまり向いてないのがなければ、スーダンにももっと早くから文明が栄えていたかもしれないと思った。やはり古代文明はロケーション…ロケーションが大事なのだ…。
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国際ニュースで取り上げられることも少なくなってきたが、スーダンはいま、絶賛内戦中。最近ようやく亡命していた元の政府が荒廃した首都に帰還したが、戦況は一進一退。そんな中でも研究が続けられていることには少し希望も見いだせるが、遺跡群については盗掘を阻止できる監視が機能してないようなのが心配だ。
果たしてメロエのピラミッド群を見に行ける日は来るのか…。平和が訪れる日をずっと待ってます…。