古代の農業における「食料生産地」と「消費地」の分離、出土する品の違いについて

中央アジアの商業都市の発掘調査の報告書をなんとなく読んでいて、おもしろいなと思ったところがあるのでメモがわりに書いておく。
オアシスに面した商業都市、シルクロードの経由地点の街では、畑はなく、農業は行われていない。しかし人がいるので、食料は運搬されて来ている。麦の固い殻や、果物の種などはたくさん見つかる。

でも、麦ワラが全然出てこない。
可食部以外が出てこないのは、非生産地の特徴なのだという。

これは麦の構造と収穫方法を知っていると意味が分かる。
機械のなかった時代、麦は、すべて手作業で麦を刈り取る。時代ごとに道具が石の刃か金属の刃かの違いはあるにしても、手作業なのには変わりない。
こういう↓感じで。

sickle.jpg

で、こうして刈り集めた穂先を、牛などに踏ませて実だけを外す脱穀作業を行う。古代エジプトではこのあと、要らない麦わら部分を飛ばした麦の粒を袋詰めし、税収監査役が計って一定量を税収倉庫に収めることになる。

20120217-farm trillage with oxen.jpg

この「脱穀する」という作業は、畑のある、穀物の産地の近くでしか行われない。要らない麦わら部分、穂のかさばる部分などは外さないと、かさばって運ぶときに邪魔だからだ。必要な、食べられる部分だけ運ばないと非効率になる。
従って、消費のみする都市部では、麦わらは出土しない。脱穀された麦の粒についている、殻の部分だけが出てくる。

産地から近ければ都市部でも脱穀作業が行われる場合はあるが、産地と消費地が遠い場合は可食部だけが運ばれるので、出土する植物遺物の構成が変わる。

この、農村と都市部で出土する遺物の比率変わるというのは、エジプトの遺跡ではあまり見たことのないパターンだった。
古代エジプトの都市は村落に囲まれているのが基本で、農村の中でも特に人の集中している中心部が都市と呼ばれていることが多い。年の食糧は、その都市を取り囲む村落から供給されるのが基本で、遠くから食料を運搬していたのは、東西の砂漠沿い国境砦や、ヌビアある軍の駐屯地くらいだろう。
たぶんヌビアの砦などを調べてみれば、シルクロードのオアシスと同じように遠方から食料支援をしていた場合の比率で食料遺物が出てくるのではないかと思う。

なおエジプトの場合、麦わらは日干し煉瓦に混ぜて建材にしていたため、けっこう需要が高かった。なので、麦わらだけ都市部、または墓地(葬祭施設やマスタバ型の墓などを作る場合)に輸出ということもあったかもしれない。
ウマの飼育が始まるとウマの飼料にもなるが、他の文化圏の利用方法はちゃんと調べたことがないので、よくわからない…。

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おまけ

脱穀は、壁画だとウシで描かれることが多いが、ロバも使われていた。

巫女✕役人の古王国時代の墓が発見される。だがそこにロバ脱穀が…ロバ?!
https://55096962.seesaa.net/article/502801632.html

古代エジプトの穀物倉庫について。

古代エジプトの「穀物倉庫」はどんな感じ? 調べてみたら思いのほかバリエーションが…
https://55096962.seesaa.net/article/510208509.html