政権寄りすぎてプロパガンダ臭が滲み出す本「トルコ 建国100年の自画像」
最初の部分に「トルコの裏の顔とかが取り沙汰されるようになっているが、裏の顔なんてない! 表の顔が色々あるだけだ」というずいぶん強気な内容が書いてあったので、読んでみた本。

トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書 新赤版 1986) - 内藤 正典
裏の顔云々は、おそらく以下の本を指しているのだろう。
以下の本の内容も事実であるはずなのだが、それとは真っ向から対立するというか、そもそも事実として認めないという、なかなか潔い書きっぷり。いわば思いっきり現政権寄りの内容で、ちょっとやり過ぎてプロパガンダ臭すら漂ってしまっている本になっていた。

トルコのもう一つの顔 (中公新書) - 小島剛一

漂流するトルコ: 続「トルコのもう一つの顔」 - 小島 剛一
どのへんにプロパガンダ臭がするかというと、たとえばアルメニア人虐殺についての記述である。
以下のニュースの時の話だ。
バイデン氏、アルメニア人の集団殺害は「ジェノサイド」 米大統領の表明初めて
https://www.bbc.com/japanese/56876478
この件を虐殺と呼ぶことに対しトルコは猛烈な反発をしていたのだが、まさかの、その時の言い訳をそのまま掲載しているのはマジかと思ってしまった。
当時の政権と今の政権は違うし、当時の政権のやり方を認めていないからノーカン扱い。

これはドイツ政府が「ユダヤ人の虐殺はナチス・ドイツが勝手にやったことで、今のドイツとは関係ない」と言うに等しい。まあ今のドイツ人けっこうそれに近いこと言ってたりするんだけどww
これがまかりとおるなら、国家の一貫性は消失する。本のサブタイトルが「100年の自画像」なのに「数十年前のことは知りません! 当時のトルコは私たちではありません!」と言ってしまっていることになり、意味不明になってしまう。
さすがにこれにツッコめなかったら何のための識者やねんという話になってしまうし、これを「裏の顔」としないのであれば「表の顔が終わってるのでは? せめてもうちょっと繕えや」になってしまう。
この件だけではなく、他にも「EUがトルコを貶めているだけだ」「ネガティブキャンペーンを張っているだけだ」と主張する箇所は多数出てくる。
エルドアン政権の経済政策のダメっぷりを援護するためなのか、「トルコはEUや他の国の尺度では語れないのだ、経済は強い、未来は明るい」と、エルドアン政権のプロパガンダそのまんまなことが書いてあるうえに、インフレ率がヤバいことや観光資源に頼って外貨獲得が綱渡りなことも認めているにもか関わらず「困窮して時はイスラム的な相互補助の精神が生きてくる」などと戦時中の大日本帝国のスローガンみたいなことまで書いてある。どう援護しても、ちょっと苦しいのでは…。
そして、エルドアンの強権を「国民が選んだもの」「投票率は高い、公平な選挙によって選ばれたのだから正しい」と評することも、都合のよい事実だけ見て書いているなと感じた。
この本は2023年に出たものだが、中の人は2025年にトルコに旅行に出かけている。
ちょうどその時、アンカラでもイスタンブールでも、大規模なデモが起きていたのだ。
エルドアンが、政敵で、次の大統領選挙の対抗馬になるはずだったイスタンブール市長を収監したからである。
エルドアン体制しか知らないトルコの若者たちも…人気市長の逮捕に5夜連続で抗議
https://www.bbc.com/japanese/articles/ce98ee8zzrro
2023年の選挙にしても、不正疑惑がつきまとい、完全に疑惑を払拭するまではいかなかった。それに加えて今回のコレ、さすがにこの状態で「トルコは選挙が公正に行われていて投票率も高い、素晴らしい」と手放しに褒めるのはいかがなものか。実際に抗議している国民がいるにも関わらず、「しょせん都市部のインテリが勝手に騒いでいるだけ、貧困層は政権を支持している」「ヨーロッパが悪意を持って反トルコ的なプロパガンダをしているだけだ」などと言っているのは目に余る。
ていうか言ってることがものすごく中国っぽいというか、中国さんも同じロジックで政権批判を無かったことにするのだが、もはやそれが通用する時代ではないと思う。
そもそもを言えば、支持層である貧困層を貧困からすくい上げることも出来ず、補助金や集合住宅への収容だけで「寄り添った」ていを装うのは、政治としては無能だと思うのだ。貧困層を貧困なまま国家に依存させるのではポピュリズム政党になってしまう。
実際、政権に好意的なのは田舎のイスラム的な格好してる農家のおばちゃんとかだった。
イスタンブールで出会った、日本に行ったことがあるというそこそこ学歴のありそうなおっちゃんは、「エルドアンのせいで生活苦しくなる一方だし、言うことは全然信用出来ない」「支持者に媚を売るためにイスタンブールの丘の上に作った金色のモスクが気に入らない。あんなもの建ててる金があるならもっと別のことに使え」と大変おかんむりであった。
トルコの都市部と農村部の格差が激しいのは旅行して見たから知っている。
その格差を良しとしたまま、貧者に寄りそうという政治をやってしまうと、トルコはいずれ破綻するだろう。実際、若者は田舎からどんどん流出して、都市部にいくか、他国に移住してしまい、地方が寂れていっているそうだ。
そのへん見ずに持ち上げるだけ持ち上げて「表の顔」と称されてしまうと、「ああ、やっぱり裏の顔もあるんだな。触れられたくないのかあ」という感想になってしまう。
そもそもどこの国だって光と影はあるのだから、ヘタにごまかすと綻びが出てくるのは当然と言える。
トルコさんにとっては、その綻びが、クーデターだったり、テロ事件だったりするのだろう。
と、自分からするとプロパガンダ臭が気になる本ではあったが、一番気になったのは、著者が終始、トルコを「イスラームをアイデンティティとする国」と認識していたことである。
トルコ人の祖先はもともとイスラームではなく、改宗してからの歴史は浅い。そして自称・イスラム教徒だが、実際にはイスラム教徒とは言い難いアレヴィー教徒なども一定数住んでいる。また東の方の宗教は明らかにキリスト教とミックスされていて、イスラームとは言い難い。
政権側の言い分を全面的に受け入れてしまっている本のため、少数宗派は全無視で「ほとんどがイスラム教徒」と書かれてしまっていたが、実際ににはトルコはイスラームを共通アイデンティティとする国とは言えないというのが私の認識なのだ。
さらに、エルドアン政権が傾倒している「汎トルコ主義」とか「トルコ史テーゼ」といったものには一言も触れられていなかったことにも違和感があった。
ガリポリの戦いと「トルコ史テーゼ」、そして「トルコ人は古代文明の祖」という概念について
https://55096962.seesaa.net/article/515500064.html
トルコ人の祖先はアジアから来た騎馬民族だ。だがイスラーム発祥の地はアラビア半島だし、あとから受け入れた宗教に過ぎない。それだけでは、国としてのアイデンティティを高めるには不十分なのだ。隣接するヨーロッパに対抗して、自分たちの、もっと古くからある堂々たる歴史が欲しい。
そこで、祖先たるテュルク系民族の築いた文明は全てトルコに繋がる、という壮大な系図を描いて、国内外に喧伝しているのである。
これはたとえば、イスタンブールの軍事博物館の展示にも表現されているし、エルドアンがセレモニーのたびにフン族やエフタル、匈奴などの格好をさせた兵士を侍らせて「これがトルコの偉大なる祖先たちの装束だ」などと胸を張るのでも目にすることが出来る。
大統領のお気に入り?甲冑姿の儀仗兵が物議かもす トルコ
https://www.afpbb.com/articles/-/3037543
この事実をスルーしてしまったのは何故なのか。明らかに政権が表向きにやってる活動であり、何も隠してはいないのだから触れるべきだったのではないのか。
もっともそうすると、描こうとした「100年の自画像」の前提が崩れるだけでなく、「テュルク2000年の自画像」になってしまうのだが。…でもエルドアンが描きたいのはそっちの自画像じゃないかな…。
せいぜいトルコに何度か旅行に行った程度の私では、何度も通っているらしい著者より見聞が狭いことは分かっている。
だからこそ、私に見えたものが著者に見えなかったはずはなく、意図的に排除されただろう理由が知りたいなあと思うのだ。

トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書 新赤版 1986) - 内藤 正典
裏の顔云々は、おそらく以下の本を指しているのだろう。
以下の本の内容も事実であるはずなのだが、それとは真っ向から対立するというか、そもそも事実として認めないという、なかなか潔い書きっぷり。いわば思いっきり現政権寄りの内容で、ちょっとやり過ぎてプロパガンダ臭すら漂ってしまっている本になっていた。

トルコのもう一つの顔 (中公新書) - 小島剛一

漂流するトルコ: 続「トルコのもう一つの顔」 - 小島 剛一
どのへんにプロパガンダ臭がするかというと、たとえばアルメニア人虐殺についての記述である。
以下のニュースの時の話だ。
バイデン氏、アルメニア人の集団殺害は「ジェノサイド」 米大統領の表明初めて
https://www.bbc.com/japanese/56876478
この件を虐殺と呼ぶことに対しトルコは猛烈な反発をしていたのだが、まさかの、その時の言い訳をそのまま掲載しているのはマジかと思ってしまった。
当時の政権と今の政権は違うし、当時の政権のやり方を認めていないからノーカン扱い。
これはドイツ政府が「ユダヤ人の虐殺はナチス・ドイツが勝手にやったことで、今のドイツとは関係ない」と言うに等しい。まあ今のドイツ人けっこうそれに近いこと言ってたりするんだけどww
これがまかりとおるなら、国家の一貫性は消失する。本のサブタイトルが「100年の自画像」なのに「数十年前のことは知りません! 当時のトルコは私たちではありません!」と言ってしまっていることになり、意味不明になってしまう。
さすがにこれにツッコめなかったら何のための識者やねんという話になってしまうし、これを「裏の顔」としないのであれば「表の顔が終わってるのでは? せめてもうちょっと繕えや」になってしまう。
この件だけではなく、他にも「EUがトルコを貶めているだけだ」「ネガティブキャンペーンを張っているだけだ」と主張する箇所は多数出てくる。
エルドアン政権の経済政策のダメっぷりを援護するためなのか、「トルコはEUや他の国の尺度では語れないのだ、経済は強い、未来は明るい」と、エルドアン政権のプロパガンダそのまんまなことが書いてあるうえに、インフレ率がヤバいことや観光資源に頼って外貨獲得が綱渡りなことも認めているにもか関わらず「困窮して時はイスラム的な相互補助の精神が生きてくる」などと戦時中の大日本帝国のスローガンみたいなことまで書いてある。どう援護しても、ちょっと苦しいのでは…。
そして、エルドアンの強権を「国民が選んだもの」「投票率は高い、公平な選挙によって選ばれたのだから正しい」と評することも、都合のよい事実だけ見て書いているなと感じた。
この本は2023年に出たものだが、中の人は2025年にトルコに旅行に出かけている。
ちょうどその時、アンカラでもイスタンブールでも、大規模なデモが起きていたのだ。
エルドアンが、政敵で、次の大統領選挙の対抗馬になるはずだったイスタンブール市長を収監したからである。
エルドアン体制しか知らないトルコの若者たちも…人気市長の逮捕に5夜連続で抗議
https://www.bbc.com/japanese/articles/ce98ee8zzrro
2023年の選挙にしても、不正疑惑がつきまとい、完全に疑惑を払拭するまではいかなかった。それに加えて今回のコレ、さすがにこの状態で「トルコは選挙が公正に行われていて投票率も高い、素晴らしい」と手放しに褒めるのはいかがなものか。実際に抗議している国民がいるにも関わらず、「しょせん都市部のインテリが勝手に騒いでいるだけ、貧困層は政権を支持している」「ヨーロッパが悪意を持って反トルコ的なプロパガンダをしているだけだ」などと言っているのは目に余る。
ていうか言ってることがものすごく中国っぽいというか、中国さんも同じロジックで政権批判を無かったことにするのだが、もはやそれが通用する時代ではないと思う。
そもそもを言えば、支持層である貧困層を貧困からすくい上げることも出来ず、補助金や集合住宅への収容だけで「寄り添った」ていを装うのは、政治としては無能だと思うのだ。貧困層を貧困なまま国家に依存させるのではポピュリズム政党になってしまう。
実際、政権に好意的なのは田舎のイスラム的な格好してる農家のおばちゃんとかだった。
イスタンブールで出会った、日本に行ったことがあるというそこそこ学歴のありそうなおっちゃんは、「エルドアンのせいで生活苦しくなる一方だし、言うことは全然信用出来ない」「支持者に媚を売るためにイスタンブールの丘の上に作った金色のモスクが気に入らない。あんなもの建ててる金があるならもっと別のことに使え」と大変おかんむりであった。
トルコの都市部と農村部の格差が激しいのは旅行して見たから知っている。
その格差を良しとしたまま、貧者に寄りそうという政治をやってしまうと、トルコはいずれ破綻するだろう。実際、若者は田舎からどんどん流出して、都市部にいくか、他国に移住してしまい、地方が寂れていっているそうだ。
そのへん見ずに持ち上げるだけ持ち上げて「表の顔」と称されてしまうと、「ああ、やっぱり裏の顔もあるんだな。触れられたくないのかあ」という感想になってしまう。
そもそもどこの国だって光と影はあるのだから、ヘタにごまかすと綻びが出てくるのは当然と言える。
トルコさんにとっては、その綻びが、クーデターだったり、テロ事件だったりするのだろう。
と、自分からするとプロパガンダ臭が気になる本ではあったが、一番気になったのは、著者が終始、トルコを「イスラームをアイデンティティとする国」と認識していたことである。
トルコ人の祖先はもともとイスラームではなく、改宗してからの歴史は浅い。そして自称・イスラム教徒だが、実際にはイスラム教徒とは言い難いアレヴィー教徒なども一定数住んでいる。また東の方の宗教は明らかにキリスト教とミックスされていて、イスラームとは言い難い。
政権側の言い分を全面的に受け入れてしまっている本のため、少数宗派は全無視で「ほとんどがイスラム教徒」と書かれてしまっていたが、実際ににはトルコはイスラームを共通アイデンティティとする国とは言えないというのが私の認識なのだ。
さらに、エルドアン政権が傾倒している「汎トルコ主義」とか「トルコ史テーゼ」といったものには一言も触れられていなかったことにも違和感があった。
ガリポリの戦いと「トルコ史テーゼ」、そして「トルコ人は古代文明の祖」という概念について
https://55096962.seesaa.net/article/515500064.html
トルコ人の祖先はアジアから来た騎馬民族だ。だがイスラーム発祥の地はアラビア半島だし、あとから受け入れた宗教に過ぎない。それだけでは、国としてのアイデンティティを高めるには不十分なのだ。隣接するヨーロッパに対抗して、自分たちの、もっと古くからある堂々たる歴史が欲しい。
そこで、祖先たるテュルク系民族の築いた文明は全てトルコに繋がる、という壮大な系図を描いて、国内外に喧伝しているのである。
これはたとえば、イスタンブールの軍事博物館の展示にも表現されているし、エルドアンがセレモニーのたびにフン族やエフタル、匈奴などの格好をさせた兵士を侍らせて「これがトルコの偉大なる祖先たちの装束だ」などと胸を張るのでも目にすることが出来る。
大統領のお気に入り?甲冑姿の儀仗兵が物議かもす トルコ
https://www.afpbb.com/articles/-/3037543
この事実をスルーしてしまったのは何故なのか。明らかに政権が表向きにやってる活動であり、何も隠してはいないのだから触れるべきだったのではないのか。
もっともそうすると、描こうとした「100年の自画像」の前提が崩れるだけでなく、「テュルク2000年の自画像」になってしまうのだが。…でもエルドアンが描きたいのはそっちの自画像じゃないかな…。
せいぜいトルコに何度か旅行に行った程度の私では、何度も通っているらしい著者より見聞が狭いことは分かっている。
だからこそ、私に見えたものが著者に見えなかったはずはなく、意図的に排除されただろう理由が知りたいなあと思うのだ。