「ケルト語」はケルト人の言語ではない。「ケルト学(言語学)」と考古学の「ケルト人」の定義の違いまとめ
少し前に、ケルト学の定義をケルト学会自身が出来てなくて微妙すぎるんだが? というダメ出しを書いた。
こういうのは、研究者がスッキリまとめてくれないと困るだろ…。と思うのだが、出てくる気配がないので面倒だし自分で現状をまとめておくことにした。
まず最初に、「かつて」と「現在」のおさらいである。
かつてケルトについての本では、こんな風に書かれていたと思う。
「ケルト人は大陸から渡ってきてイギリスとアイルランドに住み着いた」「あとからやってきた人々に追いやられて端っこのほうに残った」「古代のケルト人が話していた言語がケルト語であり、現在ケルト語の残っている地域がケルト人の生き残っている地域である」。
しかし、この説は既に否定された。
ブリテン島やアイルランドに暮らす人々は1万年以上前、つまり最終氷期の終わりごろにイベリア半島から渡ってきた人々の子孫であり、ケルト語の残っている地域だけ遺伝的な傾向が異なる、というような事実は確認されなかった。
この時代はケルト語どころか、インド・ヨーロッパ語族自体がヨーロッパに入ってきていないため、彼らの元々の言語はケルト語とは全く別の系統に属するものだった可能性が高い。
では、ケルト語はいつ、どうやってブリテン島やアイルランドに到着したのか。
インド・ヨーロッパ語族という言語系統は黒海北岸あたりのどこかで祖語が誕生したと考えられている。そこからケルト語系統が分離するのは推定で紀元前4,000年ごろ。分離がどこで起きたのかにもよるが、同一系統の言語が大陸側のブルターニュにも残っているところからして、大陸で孤立した集団がケルト語を確立したのでは? と思う。
そこから、
ブリテン島・アイルランドに渡ってさらに派生➡ブリテン島・アイルランドと島しょ部の言語が全般的に置き換えられる➡後から来たサクソン人などの言語系統が上書きするが、ドーバー海峡を挟んで頻繁にやりとりしていた地域でのみ古い言語が残った
という感じの流れを辿ったのなら、一部だけケルト語系統が残った理由は分からなくもない。
要するに、人は移動せず、文化と言語だけが移動した という可能性である。
これは世界的に見れば珍しいことではない。
たとえば、古代エジプトの言語はギリシャ語、のちにアラビア語に置き換えられていったが、べつに住民が総とっかえされたわけではない。支配層の入れ替えや、文化的な理由である。(参考: 以前書いたもの)
また、中央アジアの言語と民族の問題は昔から議論が交わされているテーマだ。トルコ語とトルコ人がリンクしていない、モンゴル民族の祖先の動向とモンゴル語の分布は一致しない、ということも既知の情報として知られている。
人が変わらないのに言語が変わるのは人類の歴史上頻繁に起きていた事象で、だからこそ、ある言語の話し手が古代からずっとその言語を話していたと思い込んではいけないし、ある言語系統の話し手がすべて遺伝的に親戚なのだと信じる理由はない。
だが、「ケルト語」という名称が最初に生まれた時には、これが理解されていなかった、
「ケルト人が話していた言語がケルト語のはずだ」という認識から「ケルト語」という名前がつけられてしまい、最果ての地にだけ生き残ったケルト人、というロマンチックなイメージが作られてしまった。
実際には両者の分布が重ならず、ケルト人と名付けられた集団がケルト語を話していた根拠も無かった。
言語学で名付けられた「ケルト語」と、考古学的に一部の時代/文化を想定して名付けられた「ケルト人」は別物 というのが理解されないまま来てしまったのが現状なのだ。
そして、現在ケルト語を話している地域の人々は古代のケルト人の末裔ではなく、彼らを「ケルト人」と呼ぶ場合は、「現在ケルト語を話している人々」という意味になる。つまりは古代ケルト人と現代の自称ケルト人は無関係で、伝統や文化を継承しているとも言えない。
これも世界的に珍しいものではなく、現代の自称アッシリア人が古代のアッシリア人とは別物であるとか、現代のギリシャという国家の国民は古代のギリシャ人とは重ならないといった事例がいくつもある。現代のケルト概念は「復興ケルト」と言われることが多いが、どっちかというと「新解釈・創作ケルト」と言ったほうが近いのではないかと思う。
付け加えておくならば、「ケルト学」は本来、「ケルト語」を研究する学問だ。
現在「ケルト語」を使用している文化についても「ケルト学」の研究対象になることはあるが、それは古代の「ケルト人」とは明確に異なる。
先に書いたように、ケルト人とラベルづけされた古代人の集団がケルト語を使っていた証拠は何も無く、むしろ分布からしても時代からしても、ケルト語とは無関係な可能性のほうが高いからだ。
しかも古代の「ケルト人」についても、その分類自体が、日本でいう「縄文人」と同じように、ある時代、ある文化を持つ人間集団を、現代人が意図的に区別してつけた便宜上のラベルであり、実際にそのような民族集団がいたかどうかは微妙である。
ケルト人とラベルづけされていた人々は、果たして自分たちをケルトと名乗っただろうか。そもそも自分たちを一つの集団と見なしていただろうか。政体を持つどころか、まとまった人間集団ですらなかった可能性がある。
純血の民族集団などというものが存在しないのはもちろんのこと、小集団が集まったり分離したり、移動して別の場所に行ったりを繰り返していたはずだ。
「ケルト人」のみならず、古代の人間集団に対する名称は、「議論するための名前がないと面倒だから実体のないものにラベルがつけてある」けくらいの感覚でいい。
もちろん、そんななので、民族名と言語が一致しないのは当然とも言える。「ケルト学」を純粋な学問として扱おうとするならば、曖昧な定義で「ケルト文化」全般を扱おうとするよりは、言語学としてのポジションを固めるべきではないだろうか。
以上、細かい点ははしょって、おおまかな概要をまとめておいた。
たったこれだけ、分かってしまえば何も難しい話ではない。
「言語と民族は必ずしも一致しない」という原則と、「民族というラベルはすべて人為的に作られたものである」という前提さえ理解すればいい。
今まで出ていた本の内容が間違いだらけ&前提からして間違えてるのは認めたうえで、片っ端からすっきり書き直していくのが専門家を名乗る人たちのお仕事ですね。
こういうのは、研究者がスッキリまとめてくれないと困るだろ…。と思うのだが、出てくる気配がないので面倒だし自分で現状をまとめておくことにした。
まず最初に、「かつて」と「現在」のおさらいである。
かつてケルトについての本では、こんな風に書かれていたと思う。
「ケルト人は大陸から渡ってきてイギリスとアイルランドに住み着いた」「あとからやってきた人々に追いやられて端っこのほうに残った」「古代のケルト人が話していた言語がケルト語であり、現在ケルト語の残っている地域がケルト人の生き残っている地域である」。
しかし、この説は既に否定された。
ブリテン島やアイルランドに暮らす人々は1万年以上前、つまり最終氷期の終わりごろにイベリア半島から渡ってきた人々の子孫であり、ケルト語の残っている地域だけ遺伝的な傾向が異なる、というような事実は確認されなかった。
この時代はケルト語どころか、インド・ヨーロッパ語族自体がヨーロッパに入ってきていないため、彼らの元々の言語はケルト語とは全く別の系統に属するものだった可能性が高い。
では、ケルト語はいつ、どうやってブリテン島やアイルランドに到着したのか。
インド・ヨーロッパ語族という言語系統は黒海北岸あたりのどこかで祖語が誕生したと考えられている。そこからケルト語系統が分離するのは推定で紀元前4,000年ごろ。分離がどこで起きたのかにもよるが、同一系統の言語が大陸側のブルターニュにも残っているところからして、大陸で孤立した集団がケルト語を確立したのでは? と思う。
そこから、
ブリテン島・アイルランドに渡ってさらに派生➡ブリテン島・アイルランドと島しょ部の言語が全般的に置き換えられる➡後から来たサクソン人などの言語系統が上書きするが、ドーバー海峡を挟んで頻繁にやりとりしていた地域でのみ古い言語が残った
という感じの流れを辿ったのなら、一部だけケルト語系統が残った理由は分からなくもない。
要するに、人は移動せず、文化と言語だけが移動した という可能性である。
これは世界的に見れば珍しいことではない。
たとえば、古代エジプトの言語はギリシャ語、のちにアラビア語に置き換えられていったが、べつに住民が総とっかえされたわけではない。支配層の入れ替えや、文化的な理由である。(参考: 以前書いたもの)
また、中央アジアの言語と民族の問題は昔から議論が交わされているテーマだ。トルコ語とトルコ人がリンクしていない、モンゴル民族の祖先の動向とモンゴル語の分布は一致しない、ということも既知の情報として知られている。
人が変わらないのに言語が変わるのは人類の歴史上頻繁に起きていた事象で、だからこそ、ある言語の話し手が古代からずっとその言語を話していたと思い込んではいけないし、ある言語系統の話し手がすべて遺伝的に親戚なのだと信じる理由はない。
だが、「ケルト語」という名称が最初に生まれた時には、これが理解されていなかった、
「ケルト人が話していた言語がケルト語のはずだ」という認識から「ケルト語」という名前がつけられてしまい、最果ての地にだけ生き残ったケルト人、というロマンチックなイメージが作られてしまった。
実際には両者の分布が重ならず、ケルト人と名付けられた集団がケルト語を話していた根拠も無かった。
言語学で名付けられた「ケルト語」と、考古学的に一部の時代/文化を想定して名付けられた「ケルト人」は別物 というのが理解されないまま来てしまったのが現状なのだ。
そして、現在ケルト語を話している地域の人々は古代のケルト人の末裔ではなく、彼らを「ケルト人」と呼ぶ場合は、「現在ケルト語を話している人々」という意味になる。つまりは古代ケルト人と現代の自称ケルト人は無関係で、伝統や文化を継承しているとも言えない。
これも世界的に珍しいものではなく、現代の自称アッシリア人が古代のアッシリア人とは別物であるとか、現代のギリシャという国家の国民は古代のギリシャ人とは重ならないといった事例がいくつもある。現代のケルト概念は「復興ケルト」と言われることが多いが、どっちかというと「新解釈・創作ケルト」と言ったほうが近いのではないかと思う。
付け加えておくならば、「ケルト学」は本来、「ケルト語」を研究する学問だ。
現在「ケルト語」を使用している文化についても「ケルト学」の研究対象になることはあるが、それは古代の「ケルト人」とは明確に異なる。
先に書いたように、ケルト人とラベルづけされた古代人の集団がケルト語を使っていた証拠は何も無く、むしろ分布からしても時代からしても、ケルト語とは無関係な可能性のほうが高いからだ。
しかも古代の「ケルト人」についても、その分類自体が、日本でいう「縄文人」と同じように、ある時代、ある文化を持つ人間集団を、現代人が意図的に区別してつけた便宜上のラベルであり、実際にそのような民族集団がいたかどうかは微妙である。
ケルト人とラベルづけされていた人々は、果たして自分たちをケルトと名乗っただろうか。そもそも自分たちを一つの集団と見なしていただろうか。政体を持つどころか、まとまった人間集団ですらなかった可能性がある。
純血の民族集団などというものが存在しないのはもちろんのこと、小集団が集まったり分離したり、移動して別の場所に行ったりを繰り返していたはずだ。
「ケルト人」のみならず、古代の人間集団に対する名称は、「議論するための名前がないと面倒だから実体のないものにラベルがつけてある」けくらいの感覚でいい。
もちろん、そんななので、民族名と言語が一致しないのは当然とも言える。「ケルト学」を純粋な学問として扱おうとするならば、曖昧な定義で「ケルト文化」全般を扱おうとするよりは、言語学としてのポジションを固めるべきではないだろうか。
以上、細かい点ははしょって、おおまかな概要をまとめておいた。
たったこれだけ、分かってしまえば何も難しい話ではない。
「言語と民族は必ずしも一致しない」という原則と、「民族というラベルはすべて人為的に作られたものである」という前提さえ理解すればいい。
今まで出ていた本の内容が間違いだらけ&前提からして間違えてるのは認めたうえで、片っ端からすっきり書き直していくのが専門家を名乗る人たちのお仕事ですね。