あれから10年経ったので。忘れてはならないシリア・イラクの遺跡破壊の時代を思い出そう

考古学というのは、政治や世界情勢の影響を大きく受ける学問ジャンルである。何らかの思想によって解釈が歪められたり、為政者にとって都合よく使われたりすることも多いが、今回話したいのはそういう方向ではない。

「政治的に不安定になると文化遺産は真っ先に略奪対象となる」
「地域政治が不安定なままだと、その地域に関わる歴史を研究することは困難」

という部分。
そして、今から10年ほど前に起きた大規模な破壊と、その悲劇の顛末について、知らない人も増えてきたと思うので改めて当時を思い出して書いておきたい。

まず見てほしいのは、こちらの当時のBBCのニュース記事である。

ISに破壊された古代遺跡の数々 イラク古代都市
https://www.bbc.com/japanese/37996280

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これは、アメリカとヨーロッパが集団でシリアをボコしたら、IS(ISIS、ISILという略称も使われた)というテロ集団が生えてきて、シリアだけでなく周辺国まで勢力下に飲み込みはじめ、遺跡を片っ端から壊していった時期がようやく収まってきたころに出た記事である。

このブログは20年以上前から書き溜めているものなので、当時のあれこれも遡れば残っている。
最初は自分も何が起きているのかさっぱり分からなかったし、多少楽観的にもとらえていた。が、そのうち過激組織がどんどん勢力を拡大し、遺跡を爆破し、博物館を略奪し、非協力的な考古学者を惨殺し、バクダッドに迫るくらいになってくると、頭を抱えてしまった。

(2014年時点 まあ、だいぶお気楽なこと書いてるな自分…)
ISISが遺跡盗掘も資金源に… どうすりゃいいのこれ
https://55096962.seesaa.net/article/201407article_1.html

(この時点ではまだ、「旅行行けなくなっちゃったね」くらいの認識)
イラクの現在勢力図に主要遺跡をマッピングして考古学マニアを絶叫させてみる
https://55096962.seesaa.net/article/201407article_16.html

(2015年、このあたりが一番めちゃくちゃだった。遺跡が爆破され、遺物は売りさばかれていた…)
遺跡の修復と保護に一生を捧げた考古学者の死 - Khaled al-Asaad
https://55096962.seesaa.net/article/201508article_20.html

この悲劇がなぜ起きたのか。どうしてIS(ISIS、ISIL、または「イスラム国」)というカルト的テロ組織が台頭してくることになったのか。
それは、この地域の、特にシリアの近代史を辿ってゆけば見えてくる。

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●そもそもシリアは、かつてはオスマン・トルコの一部だった地域

●オスマン帝国がヨーロッパ列強によって切り分けられ、列強の都合で国境を引かれてシリアが誕生(セーブル条約)
一時エジプトとセットになり一つの国として存在(1970年の大阪万博ではエジプト・シリアを合体させた「アラブ連合共和国」の名前が残っていた)
●独立後は、ヨーロッパ列強の介入を嫌い、基本的に親ソ連な国として運営される。ソ連側も対NATOの観点からシリアを重要視。

●1971年にバッシャール・アサドが大統領に就任、以降はアサド一族が権力を掌握し独裁国家へ
●ただし、この時代は経済的に発展し、中東の中でも豊かな国として知られていた

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ここから動乱の始まり
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●2010年、「アラブの春」と呼ばれる民衆革命が勃発。
チュニジア発のこの革命は近隣の独裁国家に波及し、シリアにも2011年ごろには到達

アメリカをはじめ外国勢力が民衆運動を支援するために介入、シリアでも内戦勃発
 過激派に軍事支援を行いアサド政権を打倒しようとするが、アサド政権側にはロシアがつき、泥沼状態に。

●アメリカなどが支援していた反政府組織側がイスラム過激派に乗っ取られてIS誕生(2013年からISISの名を名乗り始めた)
 破竹の勢いでシリアと隣のイラクを蹂躙 <ここで遺跡の破壊や遺物の盗掘などが大規模に発生>

●ロシアの支援を受けてアサド政権は持ちこたえた一方、アメリカをはじめとする「西側諸国」は日和って消極的な対応しかできず、膠着状態をずるずる引き延ばした
 →大量の難民発生。彼らがヨーロッパに押し寄せ、今の治安悪化の原因となる(ドサクサにまぎれて戦争難民以外も大量に流れ込んだ)

●ISは2017年ごろにはだいたい勢力を削がれていたが、明確に消滅したとは言い難い状態。
各地にまだ拠点が残っていると思われ、完全な平和には程遠い

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これが、おおざっぱな流れである。
歴史はなんでもそうだが、大きな出来事は単発では起こらない。必ず、その前段となる複数の兆候や前書き、シナリオでいうと「伏線」とでも言うべき事件や事象が起きている。

シリア、イラク、そしてイエメンやエジプト、チュニジアなどが混乱に陥り、遺跡が破壊されたり遺物が盗難にあったりした事象の起点となるのは「アラブの春」の動乱。
そして、その動乱を「好ましい民主化運動」として煽りまくったメディアと、自分らに都合のいい政権に変えようとして中途半端に介入した国々が失敗した結果がこれなのである。

この流れを見ていた遺跡マニアや考古学ファンは、この地域の歴史と政治について、知らないわけにはいかなかったはずだ。
単に「国民を弾圧するシリアが悪い! アサドは倒されるべき!(親アメリカ的な意見)」とか「遺跡まで空爆するアメリカが悪い! アメリカが弾薬を反政府組織に流さなければ戦争は終わる!(親ロシア的な意見)」とかだけ叫んでいる人もいないわけではなかったし、意見の違う側をひたすら攻撃することに余念がなかった人もそれなりにいたが、大半の人は「そんな単純な問題じゃねえな、これ」と思っていたのではないだろうか。

実際、そんな単純な問題でもなかった。
ISが掲げた「シリアとシャーム」という概念、勝手に切り分けられた土地を元の大きな塊に戻したいのだという大義名分は、ヨーロッパ列強の行った不誠実な行いに対する怨嗟から生まれた亡霊でもあるからだ。

しかしこれは、ある意味で自業自得でもある。「アラブの春」を持て囃して類焼するよう風を送り続けたのは、西側メディアだったからだ。
そもそもを言えば、シリアで反政府組織を支援するために武器や戦闘技術を提供したのはアメリカで、それが過激派に乗っ取られたのがきっけけでもあった。

「正義」とは何か。「民主化」は本当に良いことなのか。「独裁者を打ち倒す」というヒロイズムに酔った結果が「過激派組織の台頭」であったことをどう受け止めるべきなのか。
すっきりした答えや唯一の正解はない。しかし、考えることは必要だった。
答えの出ない問いに対し考えることができたなら、単純明快な答えやスローガンに靡くはずもなかった。そんな簡単じゃねえな、と思いとどまれたからだ。

あの当時、何も考えずに一方の言い分だけ聞いて強い言葉でスローガンだけを叫んでいた人は、今またウクライナとロシアの戦争でも、イスラエルとパレスチナの軋轢に対しても、同じことをしているだろう。


少なくとも一つ、確実と言える、そして絶対に忘れてはならないことは、「正義を振りかざして情熱を煽る者は疑わねばならない」ということだ。

「アラブの春」の民衆運動で独裁政権を倒した国はすべて政治的な混乱と停滞を体験することになった。唯一の成功例と言われたチュニジアでさえ、現在の状況を見るととても成功と言える状況にはない。
この時の流れを見ていた人たちは、「誰も責任を取らず、情熱だけで国家転覆をはかるクーデターは軒並み悲惨なことになる」「デモと言う名の暴動を煽った人々は何の助けにもならない」ということを、いやというほど知ったはずなのだ。

日本でも東京などの大都会ではちょいちょい似たようなデモを見かけるが、あれがまさにそれである。冷めた目で見られるのは当然なのだ。(「アラブの春」の勃発した国家と違って独裁に程遠い国で同じことをやろうとするのが、そもそもの間違いとも言えるのだが。)

そして、独裁政権を打ち倒すことを正義と見なし、シリアの反政府組織を支援することを是としたメディアが決めた「正義」に乗っかってしまったことについても、反省が必要だろう。アメリカと西側諸国は、その結果クソヤバ組織に力をつけさせてしまったのだから。
泥沼化したことから責任逃れをしたのもまずかったし、罪滅ぼしのつもりなのか積極的に難民を受け入れたのも無策すぎたし、その結果が今の治安悪化や国内の軋轢である。地理的に遠いぶん日本はあまり影響を受けていないが、他山の石とすべき事象だと思う。

さらに言えば、批判するのは容易いが、「ではどうすれば良かったのか」はまた別問題だ。
アメリカについて言えば、中途半端に介入せずに徹底的にやって早期収拾を図るべきだったはずで、それをやらなかったオバマがクソだと個人的に思っているのだが。



少し遺跡や遺物の話から外れてしまったが、最初に戻ると、

「政治的に不安定になると文化遺産は真っ先に略奪対象となる」
「地域政治が不安定なままだと、その地域に関わる歴史を研究することは困難」

ということが、切実な実例とともに伝わっていると嬉しい。

良い戦争などない。戦争が好きな人など誰もいない。
しかし、戦争とは国や勢力どうしの様々な駆け引きの中で発生し、その発生と終結は列強国ですら容易にはコントロール出来ないのを見てきた。そして、話し合いで解決するww など到底無理だということも、実例とともに十二分に分かっている。

「独裁政権を打ち倒す」という、一見して正義のように見えるものすら暴力的な革命に、破壊に、過激派の台頭と混乱に繋がること。
イデオロギーを掲げた戦争において、遺跡や文化財、人としての尊厳や文化などは、真っ先に蹂躙されるということ。

自分たちの好きなものを守りたいのなら、常に「正義を振りかざして情熱を煽る者は疑わねばならない」。
生きる上で絶対的な正義などなく、世の中には立場の数だけ正しいことがたくさんあるのだ。そして多くの争いは、「正しさ」と「正しさ」のせめぎあいである。

これらは、私たちが知っておくべきこと、忘れてはならない教訓でもあると思うのだ。