新王国時代のエジプトと「エジプト属州」、帝国のあり方について

「陛下の奴隷リブ・アダッドは、我が主、我が太陽、王へ申し上げる。我が主の足元に七度を七倍してひれ伏します。」

これは、古代エジプト第18王朝の時代にやりとりされた外交文書、「アマルナ文章」の、ある一つの手紙の書き出し部分である。送り元はグブラ(ビュロス)の王。街が敵に攻められているため援軍を送ってほしい、という嘆願書だ。

アマルナ文書には、エジプトと同格の他国と、このグブラのように属国・属州とでも言うべき格下の勢力とが出てくる。
どちらなのかは冒頭部分を見れば一目瞭然で、同格の国、たとえばアラシヤ(キプロス)やハッティ(ヒッタイト)の王であれば、エジプトの王に「我が兄弟、息災であるか」と親しげに書き始める。格下の小国や少数民族であれば、へりくだって「我が主の前にひれ伏します」から始まる。

アマルナ文書は、アメンヘテブ3世、アクエンアテン、その次代のツタンカーメンやアンケセナーメンのあたりまでの記録が残されている。この紀元前1,300年くらいの当時、エジプトの周囲には、「対等な国」と「格下の属国・属州」とが存在したのである。


…と、いう前段を説明したうえで、以下の地図を見てもらいたい。

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この時代のエジプトの勢力圏である。ただし、「権威の及ぶ範囲」であって、「エジプトの国土」ではないことに注目してもらいたい。
ピンク色の中には、冒頭に例として挙げたグブラ(ビュブロス)も入っているが、この都市国家はエジプトの属国ではあるがエジプトの国そのものではない。別の王がおり、別の政体を持っている。

(そしてアマルナ文書にあるように、援軍要請をしたのにアクエンアテンが既読スルーしたせいで、のちに一時的にエジプトから離反してしまうのだが…。)

新王国時代のエジプトは、「帝国だった」と書かれることがある。実際、ヌビアやシリア・パレスタナ方面に広く勢力を伸ばし、ヒッタイトとの大きな戦争「カデシュの戦い」も起きた。
しかし、それはエジプトの国土が拡大したわけではない。双方とも直接統治していない、属国の領土の中で起きた戦争なのだ。

エジプトの領土は、あくまで「ナイル川のほとり」であり、面白いことに、北は地中海から南はアスワンまでで、ほぼ3,000年ずっと国土の本体の範囲が変わらないのだ。変わるのは、属国・属州の範囲の部分。おそらく、ナイルを中心とした宗教的な思想や概念も関係しているのだろうが、ヒッタイトやアッシリア、そして後世のローマなどの「帝国」たちの持つ、他国を自国の中に飲み込んで一部とすることで領土を拡大していくあり方とは少し概念が違っている。

ここはわりと重要なポイントだと思っている。
エジプトという国にとって、「ナイルの流れていない場所は国土ではなく、そこに住むものは国民ではない」。逆に、「ナイルのほとりの住むものは全てエジプト人である」。何をもって国や国民のアイデンティティとするか、という命題は、各帝国とも苦労するところなのだが、エジプトの場合は古代から自然とアイデンティティが確立されていた。
それが、当初から領域国家として安定していた理由でもあると思うのだ。

なおエジプト帝国については、以前書いた以下の視点もある。
属国・属州になっている部分は、自国に組み込まなければ敵対する他国に取られてしまうので、この時代は帝国的な支配領域の拡大をするしかなかった、というお話。

「古代エジプト帝国」は何故生まれたのか、それは地政学上の必然だった
https://55096962.seesaa.net/article/500637109.html