古代エジプトの王位継承は父から息子の男系だが、「姉妹と結婚する」風習がいつからなのかを調べてみた

かつて、古代エジプトの王位継承が女系ではないかと言われていた時代があった。近親婚の多さから、正妃の娘である王女との結婚によって王位継承権を得ているのでは、と考えられたのだ。

しかし、その後の研究によって、姉妹と結婚しているケースは意外と少ないこと、姉妹と結婚しなくとも確固たる王位を継承出来ていること、皇太子という王位継承者の称号は常に年長の息子が有していることなどから、この説は否定された。
王位継承権を持つのは常に王子であり、時代を通じて、父の正当な後継人は男子の血縁者であり続けた。

にも拘らず、「姉妹と結婚する」という習慣がタブーではなく、それなりに存在したことも事実ではある。
これはエジプト神話における兄妹の夫婦、イシスとオシリスの神話を元に、兄妹の結婚が申請なものとされたからではないか、ともされるが、この神話を持ち出して近親婚を正当化したのはプトレマイオス朝の王たちであって、それ以前のファラオたちがどうだったのかははっきりしない。

というわけで、「そもそも近親婚の記録はいつまで遡れるのよ。いつからやってんのコレ」というのを調べに行ってきた。


結論から言うと、遡れた範囲で最古の事例は、中王国時代 第11王朝。
アンテフ2世(インイオテフ/インテフ)であった。

彼の妻ネフェルカヤトに「王の娘」の称号があるため、姉妹なのでは? と言われているのだ。
ただ、ネフェルカヤトの両親がはっきりしないので、アンテフ2世の兄弟と思われるアンテフ1世の娘だった可能性もある。その場合は従兄弟婚だったかもしれない。

アンテフ2世の息子で後継者となるアンテフ3世も妹と結婚した可能性がある。
王妃イアが「王の娘」という称号を持つことからアンテフ2世の娘だった可能性が高い。

また、その次代のメンチュホテプ2世はイアの息子であり、王妃ネフェルもイアの娘なので、確実に同母の姉妹を妻としていると言える。

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興味深いことに、このメンチュホテプ2世というのは、上下エジプトに分裂していた国土を再統一した王として知られる人物でもある。
第6王朝以降の未曾有の混乱をもたらした第一中間期を終焉に導くのがこの王なのである。

第一中間期の分裂は、地方有力者たちが権力を持ちすぎ、中央集権制が崩壊した結果だとも言われる。地方の豪族出身の王妃を迎え入れる、または王家の姫を地方豪族に輿入れさせることによって権威が分散し、国土分裂にまで至ってしまったのなら、権威と実権を王家に取り戻すためにその逆の政策を取ろうとするのは自然な流れだ。

王家の近親婚の流れが、まさにその政策と重なっているように思えるのは偶然ではないだろう。
以前から、王家の近親婚は神話に即するためではなく、血筋の権威や相続権などを分散させないためではないか、という説があったが、これを見るとそう考えるのは妥当だと思われる。

ちなみに、実の姉妹と結婚したメンチュホテプ2世には、他にもたくさんの王妃たちがいたことが判っていて、跡を継ぐのは王家出身ではない王妃トゥムとの間に生まれたメンチュホテプ3世である。
妹は形式的に妻としておくことで家の外に嫁がせない、という政策だった可能性のかもしれない。

なおメンチュホテプ3世の次代からは、特に姉妹と結婚した証拠はない。


というわけで、姉妹との結婚の痕跡は第11王朝までは遡れることが判った。

さすがに4千年から3千年ほども昔の話のため、資料がない時代はほんとに無いのだが、王家の系譜を見る限り、やはり、必ずしも姉妹と結婚しているわけではないし、数としては意外と少ない。

第11王朝以降、次に姉妹との結婚の確実な証拠が出てくるのは第18王朝なので、「王家の血筋を外に出したくない」とか、「こいつを外に嫁がせるわけにはいかん」みたいな理由がないと近親婚が採用されることはないのでは。と思った。
そして近親婚した場合でも、その結婚から生まれた子どもを後継者として選ぶかどうかは、また別の問題のようだ。

まあずっと近親婚採用してたら、ふつうに家系滅びますんで…。
さすがにそこまでアホなことはしませんよね。というお話。