ヨーロッパにおける移民問題おさらい: 切っ掛けは「アラブの春」による複数国崩壊と過激派組織躍進、当時の空気感などについて

ヨーロッパが移民問題に揺れるようになってはや幾年。この10年ほどで一気に状況悪化したよなぁと思う。
だが、直接の発端となる事件は2011年であり、15年も昔なので、なんでこんなことになったのか知らない人は知らないと思う。ので、簡単に履歴のおさらいをしておきたいと思う。


まず直接的な切っ掛けは、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動である。
チュニジア、リビア、エジプト、シリア、イエメンなどが巻き込まれ、安定していた独裁政権が崩壊。権力の隙間に過激派組織が台頭、治安が悪化。結果として、それらの国と周辺各国から大量の難民が発生した。

その経緯については、過去に書いた↓の記事にまとめたとおりである。

あれから10年経ったので。忘れてはならないシリア・イラクの遺跡破壊の時代を思い出そう
https://55096962.seesaa.net/article/521064504.html


●2010年、「アラブの春」と呼ばれる民衆革命が勃発。
チュニジア発のこの革命は近隣の独裁国家に波及し、シリアにも2011年ごろには到達

●アメリカをはじめ外国勢力が民衆運動を支援するために介入、シリアでも内戦勃発
 過激派に軍事支援を行いアサド政権を打倒しようとするが、アサド政権側にはロシアがつき、泥沼状態に。
<ここから大量の難民が発生、隣国トルコに押し寄せる。また船ですぐ向かいのキプロス島、ギリシャにも押し寄せるようになる>


●アメリカなどが支援していた反政府組織側がイスラム過激派に乗っ取られてIS誕生(2013年からISISの名を名乗り始めた)

●ISの活動した地域・国の治安悪化

国連の情報ではシリアからの難民数は現在までで370万人越え
→この人数の大半がヨーロッパに押し寄せたので、シリア一カ国からだけでもとんでもない数になる

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既に前の記事に書いたとおり、民主化運動を煽ったのはいわゆる「西側メディア」であり、独裁者を倒すための支援もしていた。
さらに、シリア危機は初動を誤ったアメリカや元宗主国フランスに大きな責任がある。そのため、政情不安によって発生した難民をヨーロッパが受け入れるのは当然とも言えた。
そもそも、難民の発生している国は、かつてのヨーロッパ列強の植民地でもあった。元宗主国が保護者ヅラもとい昔の馴染みで面倒みてやる顔をするのはまあ、よくあるヨーロッパのお貴族仕草でもある。

初期の時点では、余裕をぶちかまし、「人道」の名のもとに上から目線で難民を受け入れていた。特にドイツは、当時のメルケル首相が難民優遇を打ち出し、相当な数の難民を受け入れることになったのである。手厚い保護の内容から、難民たちは「ママ・メルケル」と唱えながらこぞってドイツを目指した。キプロスはEU加盟国なので、いったんキプロスで難民申請して申請が通ったらEU内を移動してドイツへ、とかもよくあるパターンだったのである。

だが、数があまりにも増えすぎた。
当然ながら偽装難民は混じってるし、シリア人って言えば優遇されるからと国籍を偽るものが現れたり、ちょうど当時不安定になりつつあっ
たアフガニスタンからも、出稼ぎしたいリビア以外の国出身のアフリカの人たちも、とにかく難民を偽装してヨーロッパを目指した。

船で海を渡って違法にEUを目指す人たちがあとをたたず、地中海で遭難しまくっていたのは2013年頃から。
ドイツ以外のヨーロッパの国が「うちを通り道にすんな!」とブチきれはじめたのが2016年頃から。


これは、CNNの難民関連ニュースの履歴にも残っている。)

それは、国と国との間に怨恨を残し、今も尾を引いている。
いったんトルコに入ってトルコからEUを目指す人も多く、EU加盟をチラつかせながらトルコに多大な負担を強いた件については、トルコの人は今も恨みに思っているらしい。ハンガリーやポーランドが国境に壁を作り、教皇が「作るのは壁ではなく橋だ」と発言して助け合い精神を示したもののあまり効果がなかったこともあった。

この頃にはもう、難民の流入はコントロール不可能になっていた。本物の難民ではない人たちも大量に混じっていた。
移民・難民ブローカーが暗躍し、ペラッペラの救命胴衣とゴムボートを移住希望者に高く売りつけ、先にEUに入り込んだ仲間が手引きして偽装された難民申請を行う。これはあかんなと本格的な方向転換が始まったのは、ようやくコロナ禍以降であった。

欧州移民危機から5年、節目となった五つの出来事
https://www.afpbb.com/articles/-/3302194?act=all&pid=22615961&page=1


難民問題が大きく取り上げられ始めた当時、ヨーロッパはリベラルが強く、「可哀想だから支援してあげるのは当然」という風潮であった。
そして「多様性」を歌い、「医師や学者など高学歴ながら難民にならざるを得なかった人材を獲得できる」とまで言っている人もいた。
切っ掛けを作ったのが誰かも忘れ、難民の受け入れを渋る日本を「非人道的」だの「多様性を拒否している」だの散々御高説垂れてきた国際組織もあった。

で、その結果はご存知のとおりである…。
ドイツなんかほんの10年でインフラ崩壊しちゃいましたからね。


これが歴史というものなんですね。切っ掛けとなる事件が積み重なって結果になっている。なぜ現状のような事態になってしまったのか? を考えられないと、「歴史から学ぶ」という行為は成り立たない。

私は、かつて日本を難民に不寛容だ、多様性がないと批判した人たちのことは忘れないし、いわゆるネットで見かける自称リベラルがガチで嫌いになったのはこの件が切っ掛けだ。そして、彼らは言うだけ言って気持ちよくなったあと、現実に対し責任を取っていない。

そもそも、人類史において移民が移住先の土地にうまく適合ケースは、全て、「少数派である移民が現地の文化・風習を尊重し、馴染もうとした場合」のみである。移民側がいつしか多数派となり、自分たちの文化・風習を声高に叫び、移住した先に押し付けるなら、それは侵略とか乗っ取りとか呼ばれる行為である。(アメリカやオーストラリアが、そうして出来た国である)

多様性を認めるために移民の要求をいちいち呑むのは、多様性の尊重とは言わない。元ある秩序や社会を破壊しにかかる異物は排除されるのが当然の反応であり、そんな当たり前のことをイデオロギーのために見失って、秩序も社会もぶっ壊れたのが今のヨーロッパ社会なのだ。現状進行形で目の前で起きている失敗と同じ轍を踏む意味はない。

歴史を学ぶ方法を知っている人なら、というかごく普通の理解力を持つ大人なら、この流れを見てきて何をすべきかくらいは理解できる。そうでないのは、掲げる理想のために現実を理解したくない人か、誰かに依頼されてポジショントークをしている人くらいのものだろう。


ここまで、たった15年だ。
誤った政策によって社会が壊れ、乗っ取られ、かつての常識が死に、以前と様変わりしてしまうまで15年もあれば十分だということは、これからの世代にも語り継いでいきたい。