エジプト・ナイルデルタ東部から先王朝時代の埋葬が見つかる。このタイプの墓って上エジプトだけじゃなかったんだ…?

エジプトのナイルデルタ東部から、先王朝時代の墓が出てきたというニュースが流れていて、あそこ先王朝時代の墓なんか出るんだ?! とちょっと意外な気がした。ナイル川、この5,000年でめちゃくちゃ流れ変わってるんで、デルタの古い遺跡なんてとっくに全部流されてると思ってたよ。
そんで、デルタは湿地帯なんで、天然ミイラなんて出来ないもんだと思ってたよ…。

New discovery at Kom El-Khelgan reveal millennia of settlement in Nile Delta
https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/40/574231/Antiquities/Ancient-Egypt/New-discovery-at-Kom-ElKhelgan-reveal-millennia-of.aspx

場所が特定できなかったのだが、記事内に「ダカリーヤ県」とあるので、おそらくかつてポーランド隊が発掘していたファルーカ遺跡に近いところではないだろうか。海に近いところは昔は陸ではなかったはずなので、さすがにそこは遺跡ないはず。デルタの中でも上流に近いところなら昔から陸地ではあるので可能性はありそう。

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そして記事内でのポイントは、「見つかった墓はブト期、もしくはブトⅡ期」と言われているところ。
これエジプト年表見慣れてる人じゃないとピンとこないと思うのだが、先王朝時代の上エジプトの代表文化がナカダ文化、その同時期の下エジプトの代表文化がマアディ・ブト文化。
ここテストに出ます(笑)

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※出典元は↓の本
エジプト文明の誕生 (世界の考古学 14) - 高宮 いづみ
エジプト文明の誕生 (世界の考古学 14) - 高宮 いづみ

見てのとおり、上エジプトは初期からわりと文化的に統一されているのに、下エジプトは複数の中心地に分かれてて文化的にバラバラなんですよね。で、先王朝時代にはシリア・パレスチナ方面から移住してきたらしい人の集団も既に居て、その影響を受けた土器などが多く出土するのも下エジプトの特徴。

また、文化的にも、国土をナイル川の上流と下流に分ける「上下エジプトの国」という概念は既にこの時代からあり、文化的な傾向も違う。

このあと、エジプトを統一して最初の王朝を作るのは、上エジプトのナカダ文化に属する人たち。
なので、王朝成立までを一直線に書いてる本だと、下エジプトの文化群は省略されてることも多いです。

――という前提が分かると、「下エジプトなのになんか上エジプトと似た埋葬方法してんの何で…?」みたいな疑問も湧いてくると思う。
上エジプトの先史時代の埋葬といえば、大映博物館に収蔵されている「ジンジャー」が有名で、これはゲベレイン出土なので砂漠地帯。自然にミイラ化したものと言われていてわかりやすい。

今回のはナイルデルタなので砂漠ではない。湿気も多いのできれいにミイラ化はせずただの骨なんだけど、屈葬方式、周囲に副葬品が置いてある、などはジンジャーと一緒。
従来から、「ナカダ文化とマアディ・ブト文化は埋葬方法が類似するので、実は文化として一括りにしたほうがいいのでは?」みたいな議論はあったのだが、これを見ると、確かに埋葬方法の雰囲気はよく似ている。この時代からじんわりナカダ文化の侵食が始まっていた、と見なすのが妥当かもしれない。


それと、↓この埋葬の周囲にある凸凹したものは、初期のヒエログリフに見られる「城壁」のシンボルと同じなので、「城壁の中心にいる人物」=都市のいちばん偉い人とかだったんじゃないかと。

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古代エジプトは統一国家が成立した時点で早々に領域国家に移行してしまうのだが、先王朝時代にはメソポタミアと同じ都市単位での政治が行われていたので、今回見つかったのは、その当時の「族長」とか「都市国家の王」に匹敵する人物と家族だった可能性も。だとしたら普通にエジプト本の先王朝時代の項に載ってくるレベルの発見の可能性がある。

地味だけど重要な発見だと思う。


あと、この墓の上にグレコ・ローマン時代の遺跡とかも重なってたらしいんですけど、数千年分の遺跡が同じ場所に重なってるのもエジプトさんらしいなぁと思いました。