インダス文明の都市モヘンジョ・ダロは平等社会? 邸宅の広さから見る社会構造について
モヘンジョ・ダロの邸宅の大きさを調べてみたら、時代が進むごとにだんだん大きさが均一化されていくので経済格差が縮まっていくのが分かった。という論文が出ていた。
だんだん経済的に平等になっていったのでは? そんで家の並びが生前としていくので、都市計画に沿って公共スペースと邸宅スペースをきっちり分けていったのでは? という話である。
Inequality declined in the Bronze Age city of Mohenjo-daro
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/inequality-declined-in-the-bronze-age-city-of-mohenjodaro/BF07ED4E516F2127F1C3E645C9C8F462
まず前提として、インダス文明は、現在では大河文明とは考えられていない。インダス川に沿って文明が栄えた、と教えられていたのはだいぶ昔の話であり、調査した結果、文明の栄えた当時のインダス川の流れがそもそも違っていたのと、必ずしも川に沿って都市が並んでいるわけではなかった、ということが判ってきている。
またインダス文明は王や有力者をいただく一つの「国家」ではなく、近隣から集まってきた多民族集団が共通ルールに従ってゆるやかに結合されていた文化圏だというのが最近の見方である。(余談だが、同様のイメージ変化を遂げた文化圏に「メディア王国」がある。イラン高原に栄えたこの文明も、実際には王国ではなく多数の部族の集合体だったというのが最近の有力な学説)
インダス文明の最近の動向については、過去に書いたものを参照。
インダス文明はもはや「謎」ではない、最近の研究まとめ本
https://55096962.seesaa.net/article/489735210.html
インダス文明といえばカーネリアン。その製造過程は複数民族の共同作業だった
https://55096962.seesaa.net/article/201901article_12.html
インダス文明における都市のあり方: 「社会構造と都市の原理」
https://55096962.seesaa.net/article/201702article_15.html
で、この流れの上で今回の論文は、「モヘンジョ・ダロでは邸宅の大きさに差がない、支配階級がいない社会だった」という結論を出している。
なので、ここ最近のトレンドには沿っているし、定説化したイメージとも合っているのだが、「平等社会」という言い方をしているのがちょっとおもしろいところ。公共スペースの確保などがされており、都市計画を実行するにあたり、なんらかの寄り合いみたいなものがあってそこで話し合ってルール決めをしていたのでは、という推測である。

これはおそらく正しい発想だと思っている。都市計画というものは、必ずしも王や首長だけが推進するものではなく、たとえばエジプトだとディル・エル・メディーナの職人村などはみごとに通りが別れており、ゴミ捨て場が決められていたり、公共スペースや家の建て方のルールまで決まっていた。
ただし、これは「職人村」、つまり、お互いに関連する職業・同じくらいの経済状況を持つ同一階級の人々が集まっていた環境だからこそ実現された結果だ。
同じように、モヘンジョ・ダロも、お互いに関連する職業・同じくらいの経済状況を持つ同一階級の人々が集まっていた都市だったのではないかと思っている。
具体的に言うと、「商人の街」だ。
インダス文明はそもそも、交易集団として文明を発展させてきた形跡がある。だから、商売を行う季節にしか居住しなかった季節性のある都市が存在するし、このモヘンジョ・ダロも都市の実に1/3が宿場なのである。
メソポタミアと交易するための印章を使い、言語の異なる民族とも共通ルールで取り引きが出来るようにした。インダス文字も、共通ルールを絵文字で示すための文字の原型、文字と呼べるまでは発展していない、前段となる記号だったと考えるのが妥当ではないだろうか。
お互い利害関係を持つ商売人の集まる街だったなら、代表者を出し合って話し合いの場を設けることも容易だっただろうし、経済状況が似通ってくるのも、商売のしやすいよう大通りスペースをきっちり確保したり、公共施設へのアクセスを確保したりするのも当然なのだ。むしろそういった交渉が出来ないなら商売人としてはやっていけないのだから。
とはいえ、今回は家の面積だけでの比較で、そこに住んでいた人の属性や実際の経済状況までは判っていない。そこは、今後の研究次第になるのかなと思っている。
だんだん経済的に平等になっていったのでは? そんで家の並びが生前としていくので、都市計画に沿って公共スペースと邸宅スペースをきっちり分けていったのでは? という話である。
Inequality declined in the Bronze Age city of Mohenjo-daro
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/inequality-declined-in-the-bronze-age-city-of-mohenjodaro/BF07ED4E516F2127F1C3E645C9C8F462
まず前提として、インダス文明は、現在では大河文明とは考えられていない。インダス川に沿って文明が栄えた、と教えられていたのはだいぶ昔の話であり、調査した結果、文明の栄えた当時のインダス川の流れがそもそも違っていたのと、必ずしも川に沿って都市が並んでいるわけではなかった、ということが判ってきている。
またインダス文明は王や有力者をいただく一つの「国家」ではなく、近隣から集まってきた多民族集団が共通ルールに従ってゆるやかに結合されていた文化圏だというのが最近の見方である。(余談だが、同様のイメージ変化を遂げた文化圏に「メディア王国」がある。イラン高原に栄えたこの文明も、実際には王国ではなく多数の部族の集合体だったというのが最近の有力な学説)
インダス文明の最近の動向については、過去に書いたものを参照。
インダス文明はもはや「謎」ではない、最近の研究まとめ本
https://55096962.seesaa.net/article/489735210.html
インダス文明といえばカーネリアン。その製造過程は複数民族の共同作業だった
https://55096962.seesaa.net/article/201901article_12.html
インダス文明における都市のあり方: 「社会構造と都市の原理」
https://55096962.seesaa.net/article/201702article_15.html
で、この流れの上で今回の論文は、「モヘンジョ・ダロでは邸宅の大きさに差がない、支配階級がいない社会だった」という結論を出している。
なので、ここ最近のトレンドには沿っているし、定説化したイメージとも合っているのだが、「平等社会」という言い方をしているのがちょっとおもしろいところ。公共スペースの確保などがされており、都市計画を実行するにあたり、なんらかの寄り合いみたいなものがあってそこで話し合ってルール決めをしていたのでは、という推測である。
これはおそらく正しい発想だと思っている。都市計画というものは、必ずしも王や首長だけが推進するものではなく、たとえばエジプトだとディル・エル・メディーナの職人村などはみごとに通りが別れており、ゴミ捨て場が決められていたり、公共スペースや家の建て方のルールまで決まっていた。
ただし、これは「職人村」、つまり、お互いに関連する職業・同じくらいの経済状況を持つ同一階級の人々が集まっていた環境だからこそ実現された結果だ。
同じように、モヘンジョ・ダロも、お互いに関連する職業・同じくらいの経済状況を持つ同一階級の人々が集まっていた都市だったのではないかと思っている。
具体的に言うと、「商人の街」だ。
インダス文明はそもそも、交易集団として文明を発展させてきた形跡がある。だから、商売を行う季節にしか居住しなかった季節性のある都市が存在するし、このモヘンジョ・ダロも都市の実に1/3が宿場なのである。
メソポタミアと交易するための印章を使い、言語の異なる民族とも共通ルールで取り引きが出来るようにした。インダス文字も、共通ルールを絵文字で示すための文字の原型、文字と呼べるまでは発展していない、前段となる記号だったと考えるのが妥当ではないだろうか。
お互い利害関係を持つ商売人の集まる街だったなら、代表者を出し合って話し合いの場を設けることも容易だっただろうし、経済状況が似通ってくるのも、商売のしやすいよう大通りスペースをきっちり確保したり、公共施設へのアクセスを確保したりするのも当然なのだ。むしろそういった交渉が出来ないなら商売人としてはやっていけないのだから。
とはいえ、今回は家の面積だけでの比較で、そこに住んでいた人の属性や実際の経済状況までは判っていない。そこは、今後の研究次第になるのかなと思っている。