ハトシェプスト女王とトトメス2世の治世を年表にするとどうなるか。やってみた結果
ハトシェプスト女王は、創作物によく出されるわりに実態が知られていない不遇な人物である。日本語の場合、Wikipediaの内容からしてだいぶ古い情報しかないし、間違えてるところもあるしで微妙。そして、そもそも専門書においても複数の説があるため整理しないとわかりにくい。
まあでも情報はあるので整理すりゃいいだけですね。
というわけでやってみた。
彼女の父親はトトメス1世。同じ父親の子であり、位の低い王妃から生まれたとされる兄or弟がトトメス2世。ハトシェプストの母親はアハメス(イアフメス)であり、トトメス2世の母はムトネェルト。
トトメス2世とハトシェプストの結婚は、かつては「正妃から生まれた王女が王権を持つため」と説明されることもあった。確かにハトシェプストの母は正妃ではあるのだが、調べてみるとポイントはそこではなかった。
トトメス1世は、その前の代のアメンヘテプ1世の息子ではないのだ。
アメンヘテプ1世には存命の息子がおらず、甥または従兄弟と考えられるトトメス1世が跡を継ぎ、おそらくアメンヘテプ1世の実の娘と思われるアハメスと結婚することで玉座を強化した。
これは、トトメス1世に「王の息子」の称号がなく、アハメスのほうに「王の娘」の称号がつけられていることからの説である。
ということは、この時点で嫁さん側の権力が強く、トトメス1世は入り婿状態だった可能性がある。アハメスの娘であるハトシェプストに「私こそが王家の正当な後継者」という意識が強かったのは、そのせいもあると思われる。
トトメス1世の息子であるトトメス2世がハトシェプストを妻にしたのは、アメンヘテプ1世の直系である血筋を好き勝手させないため、王家の権力を分散させないため、という政治的な判断が強かったのではないかと思われる。
これは家系図を作るとわかりやすい。トトメス2世の時代を挟んで、王家の「正当な血統」がAからBへと移動していることが分かるだろう。
ハトシェプストが王のように振る舞い、好き勝手出来た背景には、おそらく、アメンヘテプ1世の時代から仕えていた古参の家臣が多く残っていたことが関係している。ハトシェプストの血統のほうに正当性があると感じていた家臣も多かったのではないだろうか。
とはいえ、彼女が息子を産むことは無かったので、結局アメンヘテプ1世の直系は途切れてしまうのだが。

※参考
古代エジプトの王位継承は父から息子の男系だが、「姉妹と結婚する」風習がいつからなのかを調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/521171262.html
また、アメンヘテプ1世も幼くして即位し、母が摂政として政治に関わっていた時代があるため、幼い王が即位すると王家の女性が補佐につくという伝統は、ハトシェプストの2世代前の時点から存在していたと思われる。
なのでトトメス2世の死後、幼くして残された後継者トトメス3世の摂政として王家の直系であるハトシェプストが就任することはスムーズに承認されたと思われる。まあ、そのあと共同統治者を名乗り始めるところまでは家臣団も想定外だったかもしれないが…。
次に年表である。
トトメス2世の統治は、そこそこ長かったとする説と、短く数年だったとする説の二種類がある。従来は、トトメス2世の残した業績が少ないため短かったとする説が主流だった。
しかし、ハトシェプストの可能性が高いミイラが特定され、彼女がどうやら40歳を越えて生きていたらしいことが判ったあたりから、トトメス2世の治世を短くすると、ハトシェプストの死亡年齢から逆算した年齢との整合性がとれなくなってしまうという問題が出てきてしまった。
そのため、今では「実際の統治年は13年程度はあったはず、後世にハトシェプストによって業績が横取りされた」という説が出てきている。実際、未完成だった建造物について仕上げの段階でハトシェプストの名前だけが残された可能性もあり、たとえばカルナック神殿にハトシェプストが作らせた記念碑などは、トトメス2世の治世下で計画されていたものがあったかもしれない。
というわけで、長く見積もられた統治年を採用してハトシェプストの年齢を計算すると、概ね下図のような年表が出来上がる。
ハトシェプストとトトメス2世の結婚は、ハトシェプスト15歳位の頃とする。またトトメス2世も近い年齢だったはずなので、これならトトメス2世の死亡時の年齢が25-30歳とする従来の説からも外れない。

ハトシェプストの誕生がいつだったのかについて、死亡時の年齢を40歳とするか50歳とするかで10年ほどずれる。この年表は死亡時年齢を45歳とした場合のもので、実際は前後5年くらいの幅がある。トトメス3世の治世は54年あり、ハトシェプストはトトメス3世の治世22年には死亡している。
また、トトメス3世は軍事遠征を20回近く繰り返した王なのだが、最後の遠征記録が治世50年。さすがに60歳越えて遠征はせんやろ…というわけで、治世50年を55歳と設定して、即位した年齢を5-6歳と見積もっている。
年表を書いてみるとわかるとおり、トトメス2世の在位が短かった場合、トトメス3世は父親の即位よりかなり前に誕生していなければおかしくなる。また、ハトシェプストとの娘の娘ネフェルウラーはトトメス3世よりかなり年上だったと考えられているため、ハトシェプストが10歳で子供を産んで15歳で摂政につく、みたいな無茶なタイムスケジュールにもなってしまう。
いくら王家の正統な血統だったとしても、未熟な10代で摂政につくのはさすがに反対されるだろう。やはりトトメス2世には少し長生きしてもらって、せめてハトシェプストが20代後半に入るくらいのところで亡くなってもらわなければ辻褄が合わない。
また、古代エジプト世界では平均寿命は30歳から40歳の間くらいとされている。30歳は熟年であり、十分に経験値を積んだ大人と見なされる年齢である。この年表であれば、ハトシェプストが王を名乗り始めたのがちょうど30歳となり、対してトトメス3世はまだ12歳のヒヨッコなので、トトメス3世側の家臣がハトシェプストのやらかしを止めきれなかったことにも説明がつくだろう。
こうして情報を整理してみると、トトメス3世がハトシェプストの死後、彼女の記念碑を削りまくり、記録から消そうとした理由も見えてくる。
最初に挙げた家系図のとおり、トトメス3世の血筋はもともと王家の直系というよりは傍系、分家筋であり、アメンヘテプ1世に男子の子孫がいなかったために入れ替わったものなのだ。
トトメス3世はハトシェプストの娘ネフェルウラーとも形式上は結婚しているが、子供は出来ず、アメンヘテプ1世の直系はハトシェプストの代を持って終わりを迎える。
トトメス3世にとっては、正統な王家の血筋を名乗る義母の勢力に復活してほしくはなく、後々、自分の血筋に疑問を呈するような陰謀の芽も積んでおきたかったのではないだろうか。元々自分たちが傍系だった事実も残したくは無かったに違いない。
トトメス3世の跡を継ぐ息子の名が「アメンヘテプ」なのも、これからは自分たちこそが本家筋なのだ、自分たちこそがアメンヘテプ1世の家系を継ぐ正統な跡継ぎなのだ、という意志の現れに思える。そのためには、ハトシェプストは「居なかった」ことにするほうが都合が良かったのではないかと考えている。
参考
ハトシェプストの娘・ネフェルウラーと、第18王朝の家系を継ぐ者たち
https://55096962.seesaa.net/article/201801article_19.html
まあでも情報はあるので整理すりゃいいだけですね。
というわけでやってみた。
彼女の父親はトトメス1世。同じ父親の子であり、位の低い王妃から生まれたとされる兄or弟がトトメス2世。ハトシェプストの母親はアハメス(イアフメス)であり、トトメス2世の母はムトネェルト。
トトメス2世とハトシェプストの結婚は、かつては「正妃から生まれた王女が王権を持つため」と説明されることもあった。確かにハトシェプストの母は正妃ではあるのだが、調べてみるとポイントはそこではなかった。
トトメス1世は、その前の代のアメンヘテプ1世の息子ではないのだ。
アメンヘテプ1世には存命の息子がおらず、甥または従兄弟と考えられるトトメス1世が跡を継ぎ、おそらくアメンヘテプ1世の実の娘と思われるアハメスと結婚することで玉座を強化した。
これは、トトメス1世に「王の息子」の称号がなく、アハメスのほうに「王の娘」の称号がつけられていることからの説である。
ということは、この時点で嫁さん側の権力が強く、トトメス1世は入り婿状態だった可能性がある。アハメスの娘であるハトシェプストに「私こそが王家の正当な後継者」という意識が強かったのは、そのせいもあると思われる。
トトメス1世の息子であるトトメス2世がハトシェプストを妻にしたのは、アメンヘテプ1世の直系である血筋を好き勝手させないため、王家の権力を分散させないため、という政治的な判断が強かったのではないかと思われる。
これは家系図を作るとわかりやすい。トトメス2世の時代を挟んで、王家の「正当な血統」がAからBへと移動していることが分かるだろう。
ハトシェプストが王のように振る舞い、好き勝手出来た背景には、おそらく、アメンヘテプ1世の時代から仕えていた古参の家臣が多く残っていたことが関係している。ハトシェプストの血統のほうに正当性があると感じていた家臣も多かったのではないだろうか。
とはいえ、彼女が息子を産むことは無かったので、結局アメンヘテプ1世の直系は途切れてしまうのだが。
※参考
古代エジプトの王位継承は父から息子の男系だが、「姉妹と結婚する」風習がいつからなのかを調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/521171262.html
また、アメンヘテプ1世も幼くして即位し、母が摂政として政治に関わっていた時代があるため、幼い王が即位すると王家の女性が補佐につくという伝統は、ハトシェプストの2世代前の時点から存在していたと思われる。
なのでトトメス2世の死後、幼くして残された後継者トトメス3世の摂政として王家の直系であるハトシェプストが就任することはスムーズに承認されたと思われる。まあ、そのあと共同統治者を名乗り始めるところまでは家臣団も想定外だったかもしれないが…。
次に年表である。
トトメス2世の統治は、そこそこ長かったとする説と、短く数年だったとする説の二種類がある。従来は、トトメス2世の残した業績が少ないため短かったとする説が主流だった。
しかし、ハトシェプストの可能性が高いミイラが特定され、彼女がどうやら40歳を越えて生きていたらしいことが判ったあたりから、トトメス2世の治世を短くすると、ハトシェプストの死亡年齢から逆算した年齢との整合性がとれなくなってしまうという問題が出てきてしまった。
そのため、今では「実際の統治年は13年程度はあったはず、後世にハトシェプストによって業績が横取りされた」という説が出てきている。実際、未完成だった建造物について仕上げの段階でハトシェプストの名前だけが残された可能性もあり、たとえばカルナック神殿にハトシェプストが作らせた記念碑などは、トトメス2世の治世下で計画されていたものがあったかもしれない。
というわけで、長く見積もられた統治年を採用してハトシェプストの年齢を計算すると、概ね下図のような年表が出来上がる。
ハトシェプストとトトメス2世の結婚は、ハトシェプスト15歳位の頃とする。またトトメス2世も近い年齢だったはずなので、これならトトメス2世の死亡時の年齢が25-30歳とする従来の説からも外れない。
ハトシェプストの誕生がいつだったのかについて、死亡時の年齢を40歳とするか50歳とするかで10年ほどずれる。この年表は死亡時年齢を45歳とした場合のもので、実際は前後5年くらいの幅がある。トトメス3世の治世は54年あり、ハトシェプストはトトメス3世の治世22年には死亡している。
また、トトメス3世は軍事遠征を20回近く繰り返した王なのだが、最後の遠征記録が治世50年。さすがに60歳越えて遠征はせんやろ…というわけで、治世50年を55歳と設定して、即位した年齢を5-6歳と見積もっている。
年表を書いてみるとわかるとおり、トトメス2世の在位が短かった場合、トトメス3世は父親の即位よりかなり前に誕生していなければおかしくなる。また、ハトシェプストとの娘の娘ネフェルウラーはトトメス3世よりかなり年上だったと考えられているため、ハトシェプストが10歳で子供を産んで15歳で摂政につく、みたいな無茶なタイムスケジュールにもなってしまう。
いくら王家の正統な血統だったとしても、未熟な10代で摂政につくのはさすがに反対されるだろう。やはりトトメス2世には少し長生きしてもらって、せめてハトシェプストが20代後半に入るくらいのところで亡くなってもらわなければ辻褄が合わない。
また、古代エジプト世界では平均寿命は30歳から40歳の間くらいとされている。30歳は熟年であり、十分に経験値を積んだ大人と見なされる年齢である。この年表であれば、ハトシェプストが王を名乗り始めたのがちょうど30歳となり、対してトトメス3世はまだ12歳のヒヨッコなので、トトメス3世側の家臣がハトシェプストのやらかしを止めきれなかったことにも説明がつくだろう。
こうして情報を整理してみると、トトメス3世がハトシェプストの死後、彼女の記念碑を削りまくり、記録から消そうとした理由も見えてくる。
最初に挙げた家系図のとおり、トトメス3世の血筋はもともと王家の直系というよりは傍系、分家筋であり、アメンヘテプ1世に男子の子孫がいなかったために入れ替わったものなのだ。
トトメス3世はハトシェプストの娘ネフェルウラーとも形式上は結婚しているが、子供は出来ず、アメンヘテプ1世の直系はハトシェプストの代を持って終わりを迎える。
トトメス3世にとっては、正統な王家の血筋を名乗る義母の勢力に復活してほしくはなく、後々、自分の血筋に疑問を呈するような陰謀の芽も積んでおきたかったのではないだろうか。元々自分たちが傍系だった事実も残したくは無かったに違いない。
トトメス3世の跡を継ぐ息子の名が「アメンヘテプ」なのも、これからは自分たちこそが本家筋なのだ、自分たちこそがアメンヘテプ1世の家系を継ぐ正統な跡継ぎなのだ、という意志の現れに思える。そのためには、ハトシェプストは「居なかった」ことにするほうが都合が良かったのではないかと考えている。
参考
ハトシェプストの娘・ネフェルウラーと、第18王朝の家系を継ぐ者たち
https://55096962.seesaa.net/article/201801article_19.html